シャル ウィ ダンス

「アン・ドゥ・トロワ」

 稽古場にしている板張りの地下室に靴音が響く。

魔法使いの弟子、長谷川邦子は長い髪をアップでまとめ、体操服でステップを踏む。

 相手を務める魔法使い、神楽坂庵はいつもより3割増笑顔で邦子を支え、踊る。服装はスーツの下に上はワイシャツとカジュアルだ。


 そう、今日は訓練でも模擬戦でもなく、二人は社交ダンスを練習していた。


・ ・ ・


「ダンス、ですか?」

 ある夜会の帰り際、神楽坂師弟は眼鏡をかけた協会役員の男に呼び止められた。確か和御魂にぎみといっただろうか。名前が珍しいので覚えていた。

「はい……関東の支部で集まって同好会としてちょこちょこ練習していたんですが、大阪本部の社交ダンス同好会さんにお呼ばれしてしまいまして、他にもあちこちの同好会も集まりあれよあれよと来月小さな大会をする運びとなりまして……」

「それで何故庵が?」

 邦子は無表情のまま首を傾げる。

「……あの、すみません。神楽坂さんはダンスがお上手だと伺いまして、先方のたっての希望で……お忙しいとは重々承知しているのですが……」

「ああ、邦子は怒っていないから大丈夫ですよ。大阪という事は未小法みこのりくんあたりかな」

「は、はい。未小法会長が神楽坂さんも是非にと」

 邦子は庵の顔を見上げる。

「予定がなければ行ってあげたら?」

 庵も邦子を見て少し考える仕草をした。

「できないことも無いです。とはいえブランクもありますし、ワタシはこの子以外と踊る気は無いですが、よろしいですか?」

「は、はい!それはもう、大体皆固定ペアでやっていますので」

「え、わたしは踊れないわよ……」

「大丈夫です。ワタシが教えて差し上げますから」

「会場は大阪なのでホテルと交通費は経費で出します。……と、謝礼はどれくらいお包みしたら……後で請求でも大丈夫ですが上限が……」

「ホテルは一般の方と一緒だと爆破される可能性があるので現地集合で構いません。交通費も大丈夫ですので警備費用に充ててください」

「爆!?…………あの……。それですと神楽坂さんにメリットがなにも……」

「特段必要ありません。ワタシはボランティアで構いませんから、邦子には後で図書券でもあげてください」


・ ・ ・


「本当に社交ダンスとかやっていたのね」

 静かにワルツの基本の足運びを繰り返しながら邦子は呟く。

スピンターン、ナチュラルターン、ホイスク、シャッセフロム

床材に保護をかけ、庵が買ってきた練習靴でステップを踏む。

 庵は妙にノリノリで、一日も経たないのに道場の壁に等身大のミラーまで貼っていた。

「習い事に凝っていた時期がありまして。ワタシこう見えて実は編み物も得意なんですよ」

 庵はブランクを感じさせない動きで軽口をたたきながらも邦子を完璧にリードしていた。ド素人の邦子でさえ基本の足運びを繰り返して庵に合わせて回るとなんとなくそれっぽく見える。今回の課題曲は2曲。両方ともワルツだそうで初心者の邦子でもなんとかなるだろうとのことだ。

「ドレスは何色にしましょう。形も何種類か試作して見たいですね」

 邦子はその瞬間理解した。これは着せ替え人形イベントだと。

 昔から庵は時々こういう事をするのだ。祭りだとか発表会だとか夜会だとかにかこつけ、邦子の服を山と買う。9割以上はサイズ合わせ以降一度も着ないのに!

 浴衣はまだ翌年や部屋着代わりに着られるかもしれないが、社交ダンスのドレスを再び着る機会はそうそうないだろう。

 一度も着なかったまま入らなくなった服は古着屋に卸しているので近くの古着屋が妙に豪華な品ぞろえになっている。同じ道を辿りそうだが、そもそも社交ダンスのドレスは専門店以外で買い取りしてくれるのだろうか。

 資源の無駄を考え、邦子は結論を出した。

長内おさないさんに頼んで、一着だけ」

 長内玲子は術師の裁縫屋だ。邦子の服を何度か頼んだこともあるし、庵が急に頼むことが多いので用がなくともたまに採寸に呼ばれる。庵が買ったブランド品のサイズ調整も長内がしてくれているらしい。向こうも庵は金払いも良いし凝った作業もさせてくれるから好きだと言っていた。ドレスのオーダーを出せばきっと喜ぶだろう。

 つまらないと唇をとがらす師に邦子は溜息を零す。

「なら色はあなたのスーツに合わせて。デザインもあなたの好みでいいわ。で」

「……。それは……とても良いですね。そうしましょう!」

 女子中学生ばりにお揃いというワードに弱い師はすぐ機嫌をなおすとニコニコとターンした。


 それからは、しばらく邦子は学校から帰るとダンスの練習に明け暮れた。庵がいない日は庵に化けた火狐が相手役をしてくれる。火狐は庵が記憶の一部を学習させてあるので動きも遜色ない。

 剣術の練習や魔術理論、普通に学校の勉強もあり忙しかったが、新しい事を覚えるのは楽しくはあった。


 そうこうしているうちに、あっという間に大会の日になった。

 大阪には化けた火狐が運転する車で、庵と後部座席に座って移動した。助手席とトランクにはドレスやらが積まれている。

 会場はよく野球中継などが行われるドームだった。

この日のためだけに前日大阪メンバー総出で芝の上に浮かせたステージを作ったらしい。普通に体育館でも借りればいいのにと邦子は思ったが、きっと彼らなりに何かこだわりがあるのだろう。


 邦子のドレスは白のサテン地に硝子ビーズやスパンコールが縫い付けられたきらきらしい物だった。ありがたい事に胸元が開いているデザインではない。

 揃いの庵のスーツも同じ材質の布にスパンコールがあしらわれている。妙にぴったりの白いヒールもおそらくオートクチュールだが型を取りに行った覚えはない。寝ている間に勝手に取られたか。

 用意された控え室で邦子の髪を結い、飾りリボンを整え、庵はうっとりとため息をこぼす。

「とても似合ってますよ」

「はは……、飲み物でもこぼしたら跡が残りそうね……」

「大丈夫です。ワタシが染み抜きしますので」

「…………」

 邦子はツッコミを諦めた。お任せにしたのは邦子だ、文句を言う筋合いもない。約束は約束だ。

 邦子を立ち上がらせて庵は軽くステップを踏ませたり回らせたりした。流石にプロの仕事、大きく動いても裾を踏んだりはしない。

 

 今回は競技選手としてではなく開会式の賑やかしと聞いていたが、会場は人でごった返していた。付け焼刃も大概な自分が賑やかす必要性を邦子は考える。

「この中で踊るの……」

「大丈夫ですよ。ダンスエリアは区切られていますから」

 庵の姿に気づいた術士達が道を開けていく。夜会でもそうだが花道を作られるのはどこでも居心地が悪いものだ。

 今日は踊る都合仮面も禁止されている。向けられる好奇の視線から逃れるように、邦子は庵に体を寄せて歩く。

 邦子の気持ちを知ってか知らずか、庵は邦子の腰を抱いて上機嫌だ。


 例の末小法会長とやらが中央で何か言っている様子だがよく聞こえない。邦子は庵に促されるままついていく。

 他にも3組がデモダンサーとしてオープニングを飾るようで4つ用意されたダンスエリアに一組ずつが入っていた。

「さぁ、始まりますよ。練習通りに、できますね」

「……ええ」

曲が始まる。


 ステップは早すぎず、遅すぎず。足の動きは大きく、かつ下品にならないように。ターンも、スイングも、動線は手と身体で庵が引いてくれる。

 視線は高く、姿勢は立て、ドレスのフレアが美しく広がるように。

音楽とメトロノームで覚えた動きを、身体が再現していく。

 一瞬、視界の端を何かが横切った。

「そのまま、続けて」

庵の唇が微かに動く


 襲撃を受けている。

一曲目が折り返す頃には邦子も理解していた。

何かがいる。そのために練習と足運びが全く違う。

入れる予定のなかったリフトも一回挟まれた。

庵は笑みを浮かべて踊りながら会場を観ている。

火狐を放って探っているのだろう。

影は何度も横切り、その度にステップが変更される。

『捕まえた』

小さく庵の口角があがる。

敵の姿は見えないが、庵の白いダンスシューズが何かを踏みつけた事は邦子にも分かった。


 魔術回路を繋いで思考を共有しながら、庵はリアルタイムに邦子に指示を出す。

『ここから少しフィガーを開くものに組み替えます。ついてこれますか?』

『練習範囲なら』

『良い子です』

 庵の思惑はすぐに伝わった。邦子を支えていた手を放し、手を掲げる動きに合わせて何かを投げた。

角度調整もダンスへの復帰も全く違和感を感じさせない。

『ひとり倒れたわね』

『もうふたりいます。銃口が向いていますので、ちょっとターンしますよ』

 銃声や着弾音は聞こえない。障壁に当たった銃弾がぽとりと落ちる。

『甘夏(火狐)が狙撃手を捕捉しました。あとひとり……いやまだいるなぁ』

 庵は自身に向けられる殺気に敏感だ。

襲撃者を遠隔に始末しながら楽しそうに笑みを浮かべたまま、淡々とパフォーマンスを続ける。


 頼まれた二曲が終わるころには邦子は汗だくになっていた。

疲れより何より緊張が凄まじい。

「もう、おわり?」

「はい、お疲れ様です」

それが二重の意味だと、ふたりだけが知っている。

庵は微笑を浮かべたまま汗一つかいていない。

「わたし、やっぱりこういうの、向いていないわ……」

「ふむ」

 拍手を贈る観客たちに一礼して庵は邦子をひょいと抱き上げた。

「い、いおり?」

「後は帰るだけですからね」

「あ、汗。衣装についちゃう……」

 苦情を無視したまま誇らしげに邦子を抱き上げ、他のデモダンサーやらが見ている中さっさと庵は会場を後にした。


 ドームの外に出ると狐が車を回してくれていた。

庵はジャケットを脱いで邦子に羽織らせ、座席に乗せると、シートベルトをつけて椅子の裏から水と化粧落とし、タオルやら氷嚢やらをポンポン取り出す。水はクーラーに入れていたのかよく冷えていた。

「さっきのは……流石に失礼だったと思うわよ」

「大丈夫ですよ。そもそもワタシが最後までいるはずないと知り合いは皆わかっていますから。協会の仕事ではないんです、サイン会までしてやる義理はありません」

タオルで邦子の汗を拭い、庵は微笑む。

「邦子こそ。そんなに顔を真っ赤にして、無理をするものではありませんよ」

「……ごめんなさい」

「?」

「わたし、あなたに軽率に出てあげたらとか、無責任に。こんなに……恥ずかしいのに……」

「……あ……なるほど……そういう?……ほほー」

「……その顔やめて」

 にまにまと笑う庵に邦子は化粧落としを投げた。

庵は余裕をもって袋を避け、二人を乗せた車はゆっくり関東に帰って行った。



・ ・ ・


 後日。

 邦子が鍛錬を終え台所で麦茶を飲もうと廊下を歩いていると、狐がちょいちょいと邦子を呼び止めた。

「なに?」

 差しだされたのは郵便物。

薄いパッケージ、毒物、爆発物のチェックはOK

差出人は……『湖沼社交ダンスサークル』代表、和御魂孝明になっている。

「そんな名前だったのね……あの会」

 茨城と千葉の沼付近の支部で結成したのだろうか。

 庵と邦子の連名になっているので邦子が封を開けると中身は礼状とカタログギフト、それとアクリルボードが入っていた。団体戦で和御魂のチームが3位入賞した報告と礼らしい。

板には踊る邦子たちの姿が大きくプリントされている。

「……肖像権……」

 邦子はため息をつきアクリルボードだけ倉庫に投げ入れると、残りを封筒に戻し庵の部屋に向かった。



おわり





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