第6話 海原の笹舟 1−2
十一月に入ると木の葉が目に見えて色づいていった。夕方は温度が下がり、肌寒く感じる風には、しっかり冬の香りが混じっている。
大学には珍しいようだけれど、うちのクラスは仲がいい。クラスを担当している教授が気さくで学生と距離の取り方が近く、そこがいい感じに学生たちのカラーにマッチしたようだ。クラスは最初教授を中心にまとまった。
しかし、そこで固まって遊びに行く時はもちろん教授は抜きだ。
クラスの雰囲気もすっかり打ち解けたこの紅葉の季節、有志でキャンプ旅行に行くことになっている。
クラスの男子、水森くんが家族ぐるみで仲良くしている人にキャンプ場のオーナーがいるそうだ。一般的な値段よりある程度お安くしてくれたうえ、空きがあったとかで一棟はログハウスのグレードを上げてくれたと聞いた。
集まったクラス有志は十九人。かなり大きな丸太のログハウスを、男女分かれて二棟貸切だ。
お安くレジャーできることは、あたしにとってとてもありがたいことだけれど、加えて非日常的な雰囲気を体験できるなら、喜びは倍増する。
だから一棟グレードアップが、オーナーに諭されたらしい水森くんによって、女子に使用権がまわってきたと聞いた時には、思わず岬と佳菜子と手を取り合って快哉を叫んでしまった。個人じゃなかなか泊まれない、素敵なログハウスはテンションが上がる。
うちの大学は、世間のイメージで言えばそれほどのお坊っちゃまお嬢様大学ではないけれど、あたしほどの苦学生はそこまで多くはないだろう。たまの大型レジャーには気持ちも浮き立つ。
男女の参加比率は女子が八名に男子は十一名。この人数でバーベキューや花火、近くの河原で遊んだりする予定だ。
岬と佳菜子と一緒の三人部屋だから全く気を使わずに済むし、あたしは純粋に楽しみにしていた。共同チャットにあげられたバーベキューの詳細を読むまでは。
「なぜに……」
メンバーの中に怜和がいるのだ。
お金持ちの怜和は、ラグジュアリーという訳でもないだろう大学の有志旅行に参加するメリットはあるのか? 一棟グレードアップは女子に使用権が回ってきているし、だいたいそんなものよりもっとゴージャスなホテルが御用達のはずだ。
怜和がいつもつるんでいる七、八人の友だちも付属上がりの子が多い。つまりはほとんどの子がお金持ちのご子息だ。
見たところ参加するのは、怜和の他には、中学時代からのつき合いで一番仲がいい城山くんと、あとは安藤くんだけのようだ。仲間うち全員で参加している訳じゃないらしい。
まあ関係ないか。謝ってもくれたことだし、これからはクラスメイトとしてつき合っていこう。どうでもいい人であれば価値観云々に思い悩むこともないわけで、積極的につき合いたくもないけれど無理に避ける理由もない。万にひとつ絡むことがあったとしても、コミュ力が高くギャグのセンスもある怜和は、薄いつき合いなら楽しくやっていける相手だ。
「行ってきまーす」
「杏果、高速バスなんでしょ? 連絡だけは入れてよ? 心配だから。事故とかお母さん心配だからさー」
「わかったぁー」
うちの母は心配性だ。
3DKの公団住宅のドアを開け、コンクリートの階段を降りる。我が家は築五十年近い五階建て物件の三階部分でエレベーターはない。
新宿から高速バスに乗り、長野のキャンプ場近くまで行く。そこからは送迎バスを出してもらえるそうだ。
参加の十九人、遅刻もなくみんなで高速バスに乗り込み長野を目指す。あたしたちの他に乗客もいたから騒がずにいたら眠ってしまい、起きた時には長野に着いていた。待っていてくれた送迎バスに乗り、無事に山の中にあるログハウスに着く。
アウトドア好きのオーナーが作った場所だけあって趣向が凝っている。森の中の開けた場所に、広い間隔をとってログハウスが点在しているらしい。
男子が使うログハウスが流線を描く道の先に半分覗いている他に、建物は見えなかった。女子が使うログハウスの前方は深い森だ。森の前には広い敷地があって、奥の低い茂みの向こう側に、正四角錐の屋根を持つ四阿(あずまや)が見えている。全体として洗練されたランドスケープだ。
しかし外観を目にした時よりも、女子八人でそのログハウスに入った時の方が、みんなの驚きはずっと大きかった。
「うわあー感激ぃー! 素敵だねえ!」
「ほんとほんと。これこんなに安くていいの?」
「ログハウスでこのレベルって、たぶんもう生涯泊まらない気がするー」
「広すぎだよね。もっと人数は泊まれそう」
「いっそ、ここひとつで良かったんじゃない?」
とにかくリビングが広い。節(ふし)をそのまま生かして組んだ丸太はニスだけはきっちりと塗ってあるのかオレンジ色っぽく艶めいている。黒い鉄でできた本物の暖炉が目立つ場所にシンボル然と鎮座し、そのパイプがリビングの空間を大胆に割いて天井に伸びている。
四人は腰掛けられそうな茶色い革張りの豪華なソファが二つ。同じテイストのひとり掛け用の椅子が二つ。シマウマの敷物。流木にライトをいくつもあしらったシャンデリア。アイアンワークのローテーブルはガラスの天板で、裏側から蔓草の模様をほどこしてある。
その向こうの空間には十人程度がいっぺんに食事ができる、一枚板の長テーブルがあった。
ログハウスらしい無骨さを前面に出している一方で、古き良きアメリカとモダンアートを絶妙なバランスで融合させたセンスの塊みたいなリビングだ。
「映画のセットみたい」
「ね!」
「ねえねえ、あたしたちの部屋、上だよね。行ってみようよ」
佳菜子の言葉で、我に返った女子七人は、リビングの壁沿いに設置された丸太むき出しの階段を、軽快な足取りで登って行った。
四つあるうちの三つの部屋を使うことになる。あらかじめ誰と一緒になるかは相談していたから、すんなりと部屋は決まった。
内装はどの部屋もほぼ同じだ。窓からのぞむ陽にさらされて輝く緑も、大差なく美しい。
ひと通りログハウス内を見てまわり、みんな最初の興奮が落ち着いてきた頃、下のリビングから男子たちのブーイングの声が聞こえてきた。玄関扉に鍵はかけていないから、ノックしても返事がないとかで、そのまま入ってきちゃったんだろう。
どうやら男子の部屋はなんの変哲もない丸太小屋で、しかも女子より人数が多いのに、このログハウスの方が若干だけれど大きいらしい。
文句を垂れながらも、真剣に怒って男女の部屋を変更しよう、なんて揉めそうな事を言い出す輩がいないところも、うちのクラスが仲良くなった所以のひとつだと思う。
怜和を盗み見ても、別段不愉快に感じている風はなかった。少し意外だ。
昼食はそれぞれコンビニで買ってきたものや、作ってきたお弁当を食べた。その分夜は豪華なバーベキューにするらしい。
何度もここに来ているらしい水森くんがみんなを集めて音頭を取る。
「買い出しと、バーベキューの準備に分かれるか。八人乗りのバンがあるから俺運転するよ。食糧や飲み物で重いから男がいいな。矢島、お前アウトドア得意って言ってたよな。そっちの指揮とってくれるか?」
「りょうかーい」
矢島くんが返事をする。
矢島くんがバーベキュー準備チームの班長になるらしい。となると、男子は自然に二つに分かれ、矢島くんとふだん関わりが深い子やアウトドアに強い子たちが残ることになった。
怜和や城山くん他、ばらばらとあっという間に買い出しに行く七人が決まった。
「女子の意見も必要じゃん」
とそこで男子ばかりになった買い出し組の中から誰かが声を上げた。
「誰か行く? 俺らだけだと男飯になるんだけど。スイーツとか欲しくない?」
水森くんが自分の側にいる男子ばかりの買い出しグループを、今さらげんなりした表情で眺めまわす。
バンの残りはひと席だ。この状況で女子の中に率先して手を挙げる人がいない。
最初に男女の人数で分けなかったのは、あきらかに采配ミスでしょ。女の子が少しいれば申し出やすいのに。
「杏果」
怜和があたしの名前を呼んだ。しかもファーストネームで。
「え……」
「行こ」
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