第2話 Remind
「……ぁ、ぁあ……」
母音だけが響く仄暗い部屋。地下室は、牢獄のように狭く肌寒さを感じさせる。ばあさんが少年を幽閉していたのかと考えると頭が痛い。ばあさんが犯罪に巻き込まれたのではなく、犯罪を引き起こしている人物だと知れたら親族は葬儀の名残など消して、罵詈雑言を尽くすことだろう。
これがまさか知りたかったばあさんの生活の真相なのか。
「お前、どこから来た? ……誘拐されたのか?」
「ぁ、……ぁ」
「はぁ、まいったな」
「っ……」
本当に参った。知らなくてもよかったことを知ってしまった気がするとガシガシと髪を掻いた。
幽閉されていたのなら、言葉なんて知らないし、読み書きも理解も出来ないのではないだろうか。もしそうなら、今此処で何かを告げたところで意味もなく「あ」しか言えない。もっと成長して、知識を得て、物事を理解できる時までは、どうしてここにいるのかも理解できないだろう。
ばあさんの置き土産か、もしくは、ばあさんの粗か。
どちらにしても、少年をこのまま放っておくことは出来ない。
そう思い少年に近づいた。怯え震えている様子もない。なにかを必死に告げようとしているが、その口からは意味のない音が漏れるばかり。両脇に手を差し込んで持ち上げる。だらんとまるで猫のようにぷらぷらと手足が揺れる。思っていた通り身体は軽い。けれど、食べさせてもらっていないわけではないようで部屋の隅に置かれた書き物机の上には木の皿が置かれていた。絵本に出て来るような不格好に掘り削ったような皿。
「外に出るけど……お前、失明とかしないよな?」
幼い頃から暗闇の中で生活している者が突然、明るい場所に出ると失明してしまうと言う話を聞いたことがある。どこで聴いたのかは覚えていないが、もしも少年がそれに該当するのであれば、安易に地上に連れて行くと失明する危険がある。
だが、此処で言葉の通じない相手と押し問答を続けていたって何も進まない。日が暮れてしまえば辺りは真っ暗になる。車両通行禁止の看板までの道のりはそこそこに遠い。
一度持ち上げていた少年を床に下ろして「ここで待って」とジェスチャーした後、小屋に戻る。肌寒さとは一変してむわりと蒸し暑さを感じる。まるで湿地にいるような気分だ。
窓から差し込む橙色の光は夕暮れであることを知らせる。急いで周囲を見回す。小屋の家具類は全て木材で手作りされている。ばあさんが日曜大工をするような人にも見えないが、手先は器用な方だろう。記憶の中にいるばあさんは、折り紙で何でも作っていたのを憶えている。日本伝統的な折り鶴から細やかな花まで折り込んでいた。実際、母親の部屋にもばあさんが作った折り紙が写真と一緒に飾られている。
全ての基準が折り紙や身近なものの所為で日曜大工が出来るのかは不明瞭だ。
もし仮にこの小屋も、ばあさんが作っているとなれば、かなりの技量を持っている。そんなふざけた思考をしながら目的の物を見つける。
「おぉ! あったあった! まだ、使えるか?」
目的の物をのぞき込むが生憎と専門家ではない為、使えなければ考えている計画は台無しになる。目的の物を持って、再び地下へと戻ると、先ほどの少年は言われていた通り、大人しくしていた。
「お前、これ知ってるか?」
手に持っていた、目的の物。オイルランタンだ。
小屋と言えば、アウトドアでありランタンだろうと男心を抱いていたため、本当に小屋の中にあった時は感動したが、ここからが問題だ。オイルは入っているのか、マッチは使えるのか。
少年が失明しないように小さな灯りならば、どうだろうと勝手の分からないランタンをいじくりまわしていると少年が手を伸ばして、俺の手からランタンとマッチを取り慣れた手つきで明かりを灯した。橙色の光が狭い部屋を心許無くも照らす。
その色だけで温かみが増して、俺は安堵の息を吐いて、少年に視線を向ける。明かりに照らされた顔が鮮明に見える。髪はやはり白で、瞳も紅い。はっきりと見えて来ると余りにも華奢で、まるで西洋人形のように思えてしまう。しかし、持ち上げた時の重さを考えるにしっかりと生命を感じさせていた。
「俺の言っていることわかる?」
極めて優しく言えば、目をぱちぱちと瞬かせて静かに頷いた。
言葉は理解できている。発言する力がないのかもしれない。
「お前は、どこから来た? 連れて来られたのか?」
尋ねると首を横に振った。誘拐されているわけではない。つまりここに住んでいるのだろうか。有り体に言えば、俺は家宅侵入に当たるかもしれない。俺が犯罪者の片足を突っ込んでいることになるのか。
一応、小屋があるってことは私有地なのだろう。勝手に侵入して、勝手に小屋の中の物を物色している時点でもう犯罪に片足どころか両足が浸かっているかもしれない。これは百歩ほど譲ってもらうしかない。
「ばあさ、……聖灯って人は知ってるか?」
結婚していなければ、母さんの旧姓、
少年がばあさんのことを知っていれば、この小屋でなにをしていたのか知る事が出来る。少年は案の定、頷いた。
橙色の空も落ち着き、紫色をしてから、夜の帳が下りる。
ランタンを少年から受け取り、空いた手を取って、地下から脱する。
仄暗さが引き立ち、小屋の中は真っ暗だ。ランタンが無ければ、足元も覚束ないだろう。硬そうな木の長椅子に座らせて、思考を巡らせた。
ばあさんのことを知っているが、ばあさんが誘拐してきたわけではない。では、ばあさんとはどう言う関係だったのか。
まさか、ばあさんの子どもってことはないだろうか。年齢的に居ても不思議ではないが。中学生ほどなら十三年か、十四年前になるが、もしもそんな子どもが山の中にいたら田舎町なら噂が広まるものじゃないのか。タクシーの運転手の様子からして、町中のコミュティは広々と明け透けになっているだろう。
一度外に出てなにかを買えば、それらすべて町の人たちにバレている。そんな印象を抱いていた。勿論、大袈裟に考えているだけで実際には、他人がそれほど自分たちに興味などない。
この田舎では、どれだけの範囲、興味がない、に適応されるか分からないが、この山奥の小屋が話題にならないということは、知られてはいない。
タクシーの運転手が、この先に変人が住み着いているなんて話もしていない。ばあさんの隠し事がうまかったか。この町が言うほど他人に興味がないかのどちらかだろう。
木製の長椅子に座らせた少年に向かって、俺は木のテーブルに腰かけて目線を合わせる。
「話せるのか?」
「……ぁ、ぃ……ぅー、ぇ、ぉー」
「あー、そう言う」
わかっていたが、母音しか話せないのだろう。ばあさんが教えなかったか、本当にそれしか言えないか。話せないとなれば、名前を聞くことも出来ないだろう。
ばあさんの事も知っているが、どこまで知っているか。近所の人程度なら、話をする意味もない。そのまま警察に保護してもらうしかないだろう。
「にゃ~ん」
ふいに聞こえた猫の声。顔を上げると窓際に前足を揃えてこちらを見る黒猫。夜に紛れて、見間違いかと思ったが確かにそこには猫がいた。
それもただの猫ではない、その尻尾は二つに分かれている。猫又だ。珍しいがいないわけではない。山奥にもそう言った変わった生き物がいても可笑しいことはない。ばあさんが暮していたのだ。変な生物もいるだろう。
「なんだ、ジロジロ、顔を見て。我輩の顔になにかついてるか?」
「は?」
前言撤回、変な生き物――もとい喋る猫はいない。
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