Remind 〜繰り返される矛盾の先で~
赤い鴉
第1話 Remind
「何も成し遂げられなかったんだよ」
目が覚める数秒前に聞こえた誰かの声と突如訪れた訃報。
俺の母の姉。つまり、伯母が死んだ。ばあさんが死んだ。
親族の誰も会ったことがない見ず知らずの男がばあさんの遺体を持ってきた。到底信じられなかったが、男は、ばあさんと家族しか知り得ない事をツラツラと語る。
死因は事故だという。
ばあさんが死んだ。その青天霹靂に告げられた言葉を即座に理解できる人は、ほとんどいなかった。
しかし、男が持ってきたその遺体は本当に血の繋がった親戚のものであり、信じようと信じまいと葬儀は滞りなく行われて終えた翌日にばあさんが暮していた家で遺品整理をしていた。
押し入れの奥底に隠されたビデオテープ。ラベルシールが色褪せて撮影日なんて分からない。題名は『甥っ子』というものだった。つまり自分に向けて、もしくは自分に関係したビデオだとあたりをつける。
ビデオデッキが父のコレクションの中に含まれていたはずだと、俺は記憶の中でソレを探して、背中を押されるように、ばあさんの家を後にした。
実家のガレージに放置された古びた再生機を引っ張り出して、延長コードを伸ばして、ビデオテープを再生機に入れた。独特な機械音は、ガレージの中で響く。モニターから雨のようなノイズが映り暫くすると、それらは形を築いた。
『おばさん!なにしてるの?』
声変わりしていない少年時代の俺がカメラに向かってくる。『過去を記録しているんだよ』とカメラを持っているであろう人物――伯母、
久しぶりに聞いたばあさんの声は、若々しいものだった。最後に聞いたのは、いつだっただろう。
もう忘れてしまったのだが、いざビデオ越しに聞いた声は、懐かしい、と思えるほどに覚えがある。ばあさんと認識できるほどだ。忘れるほど会ってないわけじゃないんだろう。
横線の砂嵐がテレビ画面に映し出される。幼い俺が映し出されて他愛無いことをしている。ボール遊びだとか、一人縄跳び。ばあさんはいつだって見ているだけだった。
懐かしさを感じていたが一つだけ違和感があった。俺はこの日を知らない。
俺が、ばあさんと会ったのは中学生の頃だっただろうか、もしくは、もう少し幼い頃かもしれないが、こんな純真無垢な少年時代にばあさんには会っていない。
それに、中学生の当時は喧嘩ばかりで年月の感覚なんてないが、テレビに映る小学生の俺。低学年時期にばあさんに会ったことはないはずだ。それも正面を向いて、顔を合わせて話をするほど俺はおばさんっ子ではなかった。
『これは、未来の誰かが見るかもしれない想い出だ』
『んー……わかんない!』
『だろうね。君に理解できるとは思っていないよ』
意地の悪いことを言う。大人げないと言ってもいい。
憶えのない情景。記憶は美化されると言うが憶えていなければ、美化される対象はどこにもないはずなのだが、このビデオもまた素敵な日々だったと美化された虚像なのかもしれない。
気がつけばビデオは終わっていた。俺は漠然と画面を見つめていた。いつの頃だっただろうかと自分の思考空間に溺れていた。ビデオデッキから戻って来るビデオテープ。再生を終えたことを俺に伝える。
巻き戻すこともしないで戻って来る。次に再生するとき、巻き戻さなければ見られないと知っていながら俺は、何もしなかった。
結局ばあさんを見る事は出来なかった。撮影者はいつだって顔を見せる事はない。鏡に映る奇跡、カメラを持ち直して自撮りするわけでもない。ばあさんは自分のことを記録しなかった。残っているのは声だけ、その声もばあさんのものかと言われたら、たぶんそうだ、と曖昧でうろ覚えだ。さっきまで覚えていたと感動していた矢先にだ。
ビデオテープを回収したとき、ラベルの裏に文字が書かれていることに気づいた。剥がれかけた『甥っ子』のラベルを剥がしてみると乾いた粘着剤の上に小さな文字が不格好に書かれていた。文字、いや数字が羅列している。一目見ただけでは何かわからなかったが、長考の末に住所であることがわかった。スマホでその数字を打ち込んでみると近所ではないがウェブマップからさらにその位置を特定すると山奥にポツンと小屋がある事がわかった。今の時代、スマホ一台でどこでも検索出来てしまう。それが幸か不幸か、その場所を割り出してしまった。
その住所に向かうために一度、自宅に戻り支度を始めた。必要最低限の荷物を持って、駅に向かった。車で行って迷子になるのはごめんだと言うだけで、特別な計画なんてなかった。
そこになにがあるのか考えてもいない。ただ興味があった。ばあさんがあのビデオに残した住所。隠されているものを暴いてみたくなった。
素性不明のばあさん、伯母ってだけで別に親しい間柄でもない。ただ、ばあさんの鼻を明かしたかったのかもしれない。死んだ人間の鼻を明かしたところで、いったい何の意味があるのか。
ヒトって言うのは不思議なもので、未知を恐怖するのとは別に未知に興奮してしまうものらしい。身に危険が伴わない未知は暴いてみたくなる。人の性だろう。
そして、俺も例外なくその未知を突き止めようとしていた。
久しぶりに駅に足を運んで電車に揺られた。
その最中、様々なことが思考を巡った。それらすべてが、ばあさんに関する事だった。青天霹靂の訃報は、親族の中では大ニュースで混乱を引き起こすには十分だった。ばあさんの知り合いだという一人の男が、ばあさんを持って現れた。それが本当にばあさんなのかは調べて分かった。
その男は、ばあさんの事をよく知っているようで、家族の話も、ばあさんから聞かされたことだった。
ばあさんは自分の事は多く語らなかったが、家族の事や友人のことを揶揄いながらに話をしてくれたのだと目を伏せながらその男は告げていた。
誰かを揶揄うのが好きなのだ、本当の事を言っているようでその実、言っていることは全てデタラメの嘘。そう言う人だと俺も知っている。
そんな中、万が一にも自分が死んだら、遺体を、遺骨を家族のもとに届けて欲しいと頼んだ。生前は、身勝手な人だったが、死んでもなお、迷惑を与える。
目的の駅に到着した。長距離移動の末に御代志町と呼ばれた田舎町に来た。
田舎と言うくらいだから、無人駅かと思えば、そんなこともなく駅員が常駐している。町中も極端に田舎というわけではなく、ほどほどに発展している。もっとも観光地以外はほとんど住宅街か、もしくは田んぼで、寧ろ田んぼの方が面積がある。都会と比べたら完璧なまでの田舎だ。
駅前に停まっているタクシーを拾って山奥に向かう。その道中で運転手が「なんで、山奥になんかに? 何もないですよ」と言ってきた。俺だって、ばあさんのメモが無ければ、こんな田舎に来る予定じゃなかった。
「亡くなった伯母がこの辺りにタイムカプセルを埋めたらしいんです」
なんて清々しい程の嘘を言えば「へぇ」と興味をなくしたのか運転手との会話はその後なかった。
三十分ほどタクシーを走らせると『この先、車両の通行禁止』と看板が立てられている。予想通りと言えば、予想通りで、この先は徒歩で行くとタクシーを降りると運転手に「帰りはどうすんだい?」と心配そうに尋ねられた。
此処まで道なりに進んでいただけだ。暗闇でもスマホのライトを使えば、迷うことはないだろうと言えば、「無理しないで、もしダメそうなら、ここまで来たら連絡をして構わないよ」とタクシー会社と運転手の電話番号を受け取った。田舎ゆえにこうした交流が盛んなのだろうと気づき感謝を告げた後、看板の先へと足を進める。
人が歩いていた跡がある獣道だったが、確かに車が通ったら草木で車体を傷つけるし、地面は凹凸ばかりでタイヤが嵌ってしまうだろう。看板がなんとも完璧な位置に設置されていると内心感心しながら生い茂る草を掻き分けて、歩き続けること八分だろうか。丸太小屋が森の中にポツンと建っている。マップで確認した通りだと足を小屋に向ける。
ばあさんが暮していたのか。入り口には、ロッキングチェアが置かれていた。風で時折揺れて軋む音。色のくすんだ窓から小屋の中は、はっきりとは見えないが人の気配ない。
扉を前にノックをするが、案の定誰かが出て来る様子はない。仮に誰かが出てきても、ばあさんを持って来た男だと思っているのだが、誰も住んでいないのだろうかと扉に手を付くと蝶番が悲鳴を上げて、扉が開かれた。
小屋の中は、窓から覗いた時より鮮明に仲が見えた。外の廃れた様子とは違い。微かに生活感がある。まだ人が住んでいるような気配があった。
しかし、このライフラインが完全に遮断されている小屋で暮らそうなんて現代人ならば絶対にお断りだろう。スマホもパソコンも使えず、速達サービスも期待できない。コンビニも駅近くには合ったが、住宅街に入れば、車は必需となるのは、言うまでもない。都会よりも田舎の方が面積が広い癖に交通の便がまかり通っていないというのはよく耳にしていた。
そんな田舎の山奥にある小屋、人の気配はないのに、人が生活している気配はする。その矛盾が俺の周囲にまとわりついている。小屋の奥に進むと床には、目に見えた違いを見つけた。
床が新しい板に張り替えられている。その隙間から風が流れてきている。下に部屋がある。推理小説なんかでよくあるのが、地下室に隠れている殺人鬼。獲物が来るのを今か今かと待ち構えている。もしそれは真実ならば、ぜひ会ってみたいものだ。何を思って人を殺しているのかと、ね。
まぁ、ばあさんが殺人鬼に殺されたと言うのなら、ばあさんを持ってきた男が容疑者になる。俺が此処にいることを誰にも言ってこなかったことが仇になるか、それとも杞憂になるか。行ってみたらわかることだと板を外した。そもそも中に人がいるというのは、俺の勘違いだって可能性だって大いにあり得る。
八割、何もないと言う気持ちと、二割の何かあれば面白いと好奇心と共に、板に手を伸ばすと呆気なく外れた。二枚の板を外すと、ヒトが一人が通れるほどの地下室への道が出来上がる。冷たいコンクリートブロックで出来た階段。
恐怖心が無いと言えば、嘘になるが、好奇心が俺を奮い立たせている。男とは時に無謀なことをしたがるものだ。だからこそ、親族たちに、何も告げずに行動できた。もっとも現実に戻ってみたら、なにを呑気なことをしているのかと咎められる未来が見えるのだが、ばあさんが聞いたら何というだろう。
「さすが、我が甥っ子だ」と哄笑するか、はたまた「たまには、普通に接してほしいな」と悲しむか。どちらも想像なのだが、後者であった場合、ばあさんがそんな弱気で悲し気に微笑を浮かべるなんて、想像はしたが、想像できない。
死人に口なしで、地下室が何のためにあるかなんて本当のことは誰にもわからない。ただそこにあった。正確に言えば、そこにいたものに驚愕するのは、案外難しくはないということだ。
「……?」
陽の光に当たることなく、紫外線を完全に遮断したその髪色は、真っ白であり、少しでも汚れがあれば目立つほどに、細くさらりと一本一本が絹のように滑らかである。
俺の身長は、一七〇以上あるが、相手はその半分、中学生ほどだろうか。今の中学生はもっと発育が良いから、余裕で一六〇以上ある子がほとんどであるのだが、俺の前にいるのは、それよりも背の低い少年だったのだ。
「お、お前……なんなんだ」
殺人鬼ならば、もっといい反応が出来たと我ながら思う。震えるほどの相手ではないはずなのに、声は震えて情けない。
白い髪の少年は、真っ赤な瞳をこちらに向けている。確かそう言った容姿を持つ子供のことをアルビノと言うのだったか。詳しいわけではないため、知り得ているのは、透明感のある者たちがアルビノと言われているくらいだった。
くりくりとした真ん丸の目が、いまにもこぼれ落ちてしまいそうなほどに見開いてこちらを見る少年は「ぁ……」と発言していないと言っていい程に、消えてしまいそうな声を発した。
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