短編 カタクリ

実城を下ったところにあるお花畑。


「ここは見事な場所ですね」

「うん」


菊は、知らない。

この場所の記憶。

御実城さまと父と話した場所。

そして、この手で幼い甥っ子を斬った場所。

この腕の中でぐったりと重くなった甥の重さがいつまでも残っているようだ。


「カタクリというのでしたね、この花は」

「ああ、この季節は見事に咲くんだ」

「綺麗ですね。甲斐ではみたことがありませんでした」

「そうか」


「あら」


菊がふいにしゃがみこむ。


「白いカタクリです」


心臓が跳ねた。

菊は何も知らないのだ。



――御実城様にとっての、あなたのお父上のような存在になりましょう


あの人は、そう屈託なく笑った。

最期まで恨み言ひとつ言わず、なにもかも受け入れたのだろう。


白いカタクリなど、春日山で見たことは無かった。

本当に咲いているというのは、あの年、天正七年に燃えて……否、燃やした年の春に目にしたという話を廃嫡となった本庄繁長の子から聞いただけだ。


「景虎様のような花でした」


本庄顕長は、泣きそうな顔でそう笑っていた。



「殿?」


菊の声で我に返る。


「どうかされましたか? ご気分が優れないなら」


「いや、違うんだ。綺麗な……綺麗な白だなと思っただけだ」


「では居室にお持ちしましょうか?」


「きるなどそんなことはできない。ここで、自由に咲いていて欲しい」


切るなんて、斬るなんて


「お優しいのですね」


望みのまま、生きられたらどれほど幸せだろう。

叶わないと、その道を捨てたのは自分なのだとは分かっている。

それでも


――義兄上と生きていくことが出来たなら……



誰にも言わない。

誰にも悟られてはいけない。

小さな小さな、叶わない望み。


菊の隣にしゃがみこみ、白いカタクリにそっと触れた。



「思うままに咲いて欲しい」


菊は何も知らない。

それでも、笑うこともせず、黙って、共にカタクリを見つめてくれた。

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義とは心の拠り所だから 御館の乱篇 外伝 檀ゆま @matsumayu

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