どんな我慢も隣にいることができるなら

 貴方の隣にいれたら良いんだ。

 私は、貴方とコイビトになりたいだなんて傲慢なこと思わないから。

 隣で笑っていられたら良いんだ。


矢田やたさん大丈夫?」

「は、はい!大丈夫です!」


 先輩に声をかけられて私はハッとした。

 今何をしていたのか思い出して私は手に持っていた紙に目を落とす。


 在庫の確認をやっている途中だった。


「…疲れてるなら休む?」


 私は彼の言葉に勢いよく首を横に振って作業を再開した。

 彼の名前は七瀬幸ななせゆきさん。私の指導係で私に仕事のことを教えてくれた。

 無口だけど時々奇行に走るけど良い人…だと思う。


 私はそんな彼に片思いをしている。

 でも気持ちを伝えることは出来ずにいた。

 七瀬さんに彼女がいなくて彼女を絶賛募集していることも知っているけど、「私とかどうですか?」って自分から立候補することも出来ない。


「矢田さんは、今日仕事終わった後暇?」

「暇です」

「じゃあご飯食べに行こうよ」


 七瀬さんは時々ご飯に誘ってくれる。

 別に誰か他に人を呼ぶことがなくていつも二人で食べる。


 どうして私だけ誘うのかと聞くと「他の人に声をかける勇気がなくてついつい話しやすい矢田さんに声をかけてしまう」ということだった。


「七瀬さんは本当になんなんでしょうね?」

「私のセリフね?」


 同性の先輩である朝日春あさひはるさんに相談するとそんな言葉が返ってきた。


「七瀬は仕事できるけど行動の原理が分かんない、それを同期の私は何年も一緒にいるから気にしてはいないけど」

「春さんは良いなぁ…七瀬さんと同期で」

「アイツと同期とかしんどいぞ?挨拶しても無表情だし…初めて会った時困惑した」


 彼女の目はとても遠くを見つめていて私は少しだけ同情した。


「矢田ちゃんと七瀬って最初はそんな感じじゃなかったよね」

「はい」



 私もこの仕事に就いたばかりの頃は、七瀬さんが指導係と店長に言われて私の顔は酷かったと思う。

 教えて貰っている時は普通に怖がっていた。

 名前を呼ばれた時はなにかしでかしたのではないかとビビり散らかしていた。


「俺の事怖い?」

「…い、いえ?」

「矢田さんって嘘つくの下手って言われない?」


 突然事務所の中で休憩してたらそう言われた。

 目を逸らして私は七瀬さんに言ったせいでバレてしまったらしい。

 七瀬さんは「んー」と悩んで事務所の箱から何かを漁っている。


「これならどう?」

「…ぶっ!」


 ひょっとこのお面をつけた彼の姿があった。

 私はそれを見て我慢できなくて吹いてしまった。


「笑ってくれたね」

「…ごめんなさい」

「怒ってないよ」


 お面越しだから表情は分からないけれど、声は穏やかに感じた。

 そこから私は七瀬さんと普通に話すことができるようになった。



「で、七瀬とご飯行くの?」

「暇なので」

「矢田ちゃん今日は七瀬に奢ってもらうの?」

「いいえ?私が出します」


 私は今七瀬さんに連続五敗をしている。

 なんの敗北かというとご飯に連れて行かれて私は毎回彼に奢ってもらっている。


 割り勘をしようと話してもトイレのついでに払っていたり、伝票をさっさっと持っていってしまったり、と奢ってもらっている。


 先輩の顔を立てるというのなら良い言い方なのだが、私にとっては複雑な気持ちだ。


「矢田さん」

「は、はい?!」


 私は背後から七瀬さんに声をかけられて上擦った声で返事をする。


「毎回言ってんだろ七瀬、背後から声かけるなって」

「ごめん朝日」

「矢田ちゃんが優しいからって甘えんなよ」

「わかってる」


 春さんにこう言われるといつも七瀬さんは少しだけムッとして返事をする。

 可愛らしい一面を見て私は笑った。


 私この生活を壊したくない。

 七瀬さんは、もし私が思いを伝えたらどうなってしまうのだろうか?

 きっと優しい彼の事を困らせてしまうと思う。


「終わったら連絡して」

「分かりました」


 私たちの様子を春さんは退屈そうに見ていた。


「…一回告白してみたら?」

「しませんよ」

「絶対あいつ矢田ちゃんの事気になってるって」

「ないない」


 私は片付けを済ませて七瀬さんに連絡した。


「待ってて良いのに」

「ご迷惑をかける訳には…」

「気にしないで良いのに」


 ゼェハァと肩で息をしながら私は彼の目の前にいる。

 流石に待たせる訳にはと思って走ってきてしまったが、いくらなんでも体力がなさすぎる。


「慌てなくていいのに」


 七瀬さんは、仕事の時と違って優しい声色で私にそう言ってくれる。


「七瀬さん」

「どうしたの?」

「あの、七瀬さんに迷惑かもしれないけど伝えたいことがあって…!」


 やっぱり隣にいれればいいとか、そんなの嫌だ。

 私に今向けてくれた笑顔とか声色を他の人にもやるって考えたら嫌だ。


 これでダメなら明日バイトを辞める。


 そんな覚悟を持って伝えたら、彼は目を見開いてその後また微笑んでくれた。

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