第26話 包丁
彼女の真剣な表情は信じさせるものがあったが、時間を稼げと言われたって――
ポケットに手を伸ばすが、砂糖の粉があるばかりだ。
『浮気チンコなんか切り落としてやるるるるるる!!』
「くそっ」
めったやたらに包丁を振り回してくる相手に、砂糖の粉を投げつける。
効果は期待していなかったが、意外や意外。目に命中し、平定がよろめいた。
『アアア……アアアアア』
目の水分が奪われて、光が捉えられなくなったのか?
いや、理屈なんか三色団子に後で考えてもらえばいい。
このチャンス、どう活かす。
これが武道なら、相手は隙だらけの死に体。
攻撃の好機だが、幽霊相手に攻撃が通るのか?
――待て。
明らかにドアをこいつは叩いていた。
それに物質の包丁を握っている。
なら、コイツの手は物質なんじゃないか?
「よし、狙うはそこだ!」
軸足に力を込め、回し蹴りの体勢に――
「やめろ!! 包丁は個体じゃない!!」
「え?」
入口の方から、霊子の叫びが響いた。
だが、体はもう止まらない。
床を離れた足は、蹴りは、止められるはずもない。
回し蹴りは狙い通りに平定の、包丁を握る拳をとらえた。
そして、俺の足は拳と包丁を見事にすり抜けた。
霞を蹴るような手ごたえの無さと、その際の遠心力で俺は大きく体勢を崩してしまった。
『アアアアアア!!』
そこに覆いかぶさるように、平定が飛び込んでくる。
真っ逆さまに落ちて来る包丁。
スローモーションに見えるそれを、必死に体をよじってかわす。
「ぐっ」
それでもかわし切れず、腰の端に痛みが走る。
だが止まるとまた狙われる。
必死に転がってその場を離れていく。
「すまない! ボクが間違えていた! 包丁が現場に残っているはずがない!」
確かにその通りだ……!
殺人事件の証拠の包丁なんか、警察が真っ先に回収するはずだ。
ガンガン音を立てているから個体と思い込んでいたが、考えればすぐにわかること。
だが、霊子の天才ぶりを過信して、思考停止していた俺が悪い。
「極薄の水分子だ! 受けるな! 逃げろ!!」
薄手のガラスのようなものか。
筋肉を無視して貫通した腰の鋭い痛みがそれを証明している。
その痛みを堪えて転がるが――
「ぐっ」
壁に激突。必死に逃げただけに勢いがつきすぎて息が詰まる。
逃げ場を失った俺の前に、真っ赤なクラゲ――平定が浮遊していた。
『イヒッ、追い詰めた追い詰めた』
俺の腹の上で浮いているのは、例の包丁。
これは、もう――
「あなたの欲しいものはこっちです!!」
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