25. 掌中にようこそ

 燃え上がる教会本部グルセイル・ヒアトを多くの野次馬が見上げている。


 その中には外套に身を包んだジェイドの姿もあった。レンズには火の光が反射し、彼の視界を覆っている。


「誰か探しているの?」


 声がした途端、ジェイドの心臓が跳ねた。


 目の前の彼女もまた外套を身に着けていた。ウェーブがかった茶髪はまだ少し乱れている。


「ヴァイオレット、無事で良かった」 


「あなたもね。さ、行きましょ」




 通りを三つ越えれば以外と静かなもので、出歩く人もいなければ起きている気配すらない。本来の夜がここにはある。


「山ほど聞きたいことはあるが、一体どうなっているんだ?」


「火事の犯人のことを言っているなら私にもさっぱりよ。だけど、好機には変わりないわ」


「と言うと、影はまだ生きているのか?」


「一応ね。靴底に例の証拠は残しておいたから、彼らが捕まってしまえば、火事が起きていようと私たちの計画に支障はないでしょう」


 ヴァイオレットはさっきからずっと手に入れた本のページをめくっている。


「計画…この、対アドゥールの計画という意味ではないんだろう?君のその感じからすると、既に次の段階を始めているように思えるんだが」


「よく分かってるじゃない?あなたの言う通りよ、今の標的は産業大臣イステリッジ伯爵。あなたも知っているでしょう?」


「ああ、第二皇子派の中枢の目立ちたがりだったな。今は確か、奴にしては珍しく孤児院関連の事業提携を計画していると聞いたな」


「ええ共同でね。ちなみにその計画も彼を標的にした理由の一つよ」


(一つか。恐らく在学中あのとき、長男のベルツが手を回して君を孤立させたことが一番の理由なんだろう)


「だが奴はアドゥールよりも狡猾だ。陥れるにしても既存の証拠は出ないと思うぞ」


「だから彼を使わない手はないでしょう。教会から嫌疑をかけられるアドゥール伯爵をね」


「繋がっているのか?」


「とっても深くね。アドゥールが裏の世界で大きな顔ができるのは彼のおかげなのよ。産業大臣という地位を使って事業の報告書や地価・資源などの経済情報を横流しし、アドゥールの商売の邪魔になるようなら経済的恩恵や流通を全て取り上げ自滅に追い込む。そしてイステリッジは、その関係築いたおかげで第二皇子のお気に入りの家臣になった。お手本のように腐った縁よね」


 ページの端をつまんでめくるのを止めた。ヴァイオレットは冷静だ。


「なるほど。だが関係があったとしてもだ、イステリッジが奴のように帳簿や書類を残しているとは思えないが、どう攻めるつもりだ?」


「彼の名がどこにも残っていないとしても、その牙にかかったことのある人ならヒントを出すだけで気づくはずよ。皆が気づけばそれは疑惑ではなく事実になるの。そうしたら、実際に起きていないことも真実になるのよ。…って意味分からないわね?」


 ジェイドは困惑を表情には出していないつもりだったが、ヴァイオレットにはその目を見るだけでお見通しだった。 

 

「とにかく、あと20分もすれば教会の消化は完了するわ。だけどこの件に関わる者達の焦燥は続く。その火が何事もなかったかのように消されてしまう前に、決着をつけないといけないのよ」


 ヴァイオレットは歩みを止めて本を閉じた。その重く不明瞭な音がジェイドの心臓に響いた。


「取り敢えずあなたはもう戻って、今日は仕事があるでしょう?」


「いや俺にも手伝わせてくれ。朝までに戻れば問題はないんだ」


「ダメよ、騎士なら騎士らしく使命に忠実でなくちゃ」


「分かった。その代わり本は俺が返しておこう。それくらいは良いだろう?」


 ジェイドは左手を出した。前とは違って、任せてほしいと自信を持っているようだ。

 少し笑って、ヴァイオレットは本をのせた。


「お願いします」

 

 ヴァイオレットはすぐに歩き出した。明かりのない大通りに進む彼女の背中にジェイドは言った。


「気を付けて」 


 ヴァイオレットは笑みを浮かべて応えた。

 頭上の満月にも劣らないくらい、紫目は強く輝いていた。




 

 午前1時10分。懐中時計の長針がまた時を刻んだ。


「重要人物が首都に集まっていると、こういう時に便利ね」


 月を映す噴水の水面が、風よりも小さな足音に揺らいだ。

 

「間に合ったわね。ビー、フロウ、それからシエロ」

 

 子どもたちもまた外套を着てそこに立っていた。フロウだけはまだ息が上がっている。

 彼は掛けていた鞄をヴァイオレットに渡した。


「オルデヒアお嬢様がやっと了承してくれました。なかなか時間かかってしまってごめんなさい‥」


「二週間で説得できるなんて驚異的な早さよ。誇って、フロウ」


 ヴァイオレットは二通の手紙と封筒を取り出し、鞄の方はシエロの肩にかけた。


 再び懐中時計を開く彼女の真剣な顔つきに、空気が変わった。全員の視線がヴァイオレットに集中する。


「フロウはこの手紙をアドゥール邸へ。シエロも一緒にね。ビーは宿で準備をして待機。…タイミングを間違えれば水の泡よ、絶対に時間を確認すること」


「「「了解!」」」


 手首を掴む独特の敬礼は、子供達自身で決めた合図だ。

 己が道を決めるのに年齢など関係ない。ヴァイオレットについていくと、そう語るように彼らは誇りを持った仕事人の眼をしている。

 




 午前1時40分。

 既に消火は完了し、北の塔では、教会幹部による臨時会議が開かれていた。

 

「結論はもう出ているではありませんか。侵入者を二人発見し、指示者の証拠も出ている。その筆跡がアドゥール伯爵のものと一致することも報告されたんです。直ちに捜査を要求するべきではありませんか」


「しかし、アドゥール伯爵はパルスリス公爵の傘下ではないですか。もしこのことが原因で関係が悪化でもしたら、に支障が出かねないでしょう」


「ならば尚更に公爵と話し合うべきでは?事が大きくなる前に」


「いえ、こちらが下手に出ることはありませんよ。どちらにしろ落ち度があるのは向こう側なのですから。むしろ公爵にも問いただし、今後の関係をべきです」


 会議は難航していた。

 聖女の婚姻を認めることでパルスリス公爵との関係が強化されるはずが、その前にむしろ悪化しかねない事態になってしまったことが大きな要因だ。


 実際のところは、この件にどう対応するのが教会にとってか、かを話し合っているのだが、慎重保持な体制が決議の邪魔をしているのだ。


「結論を出すのは少し待っていただけませんか?」


 扉の影から白い聖衣の女が現れた。彼女は温かな黄金の瞳を現した。


「聖女様…お休みになられていたかと」


 幹部の者達は次々に立ち上がり頭を下げる。


「私がこの場にいてはお邪魔でしたでしょうか?」


「とんでもございません。聖女様は我々が敬うべき神のいとであらせられます。ぜひお導きをたまわりたい所存でございます」


「そんなに畏まらないでくださいませ、晧神官こうしんかんの皆様は、私の恩師なのですから」


 聖女が窓の方へと歩いた。

 その声も表情も温和で慈悲深い“聖女”のままだが、晧神官こうしんかんたちには和やかさなど感じられなかった。

 そのヒールの高く堅実な音が響く度、空気が張り詰めていく。


「私は気がかりなのです。もし、アドゥール伯爵が犯人ではなかったらと考えると。確かに、その可能性は極めて高いようですが、その鑑定した文字というのは、通常よりも格段に小さく、火が移ったせいで、色が変わっている箇所も多いとか。明確に、誰の筆跡かを断定するには、不確実な要素が多すぎると思うのです」


「確かに聖女様の仰る通りで…」

 

「我々は結論を急ぎすぎたかもしれません。調査が完了するのを待つのが賢明ですか」


「聖女様はやはりお心が広くていらっしゃる」


「そう言っていただけると、はげみになりますわ。ですが全て、皆様から学ばせていただいたことですよ」


 そう言って月光を纏う彼女の姿を民が見たなら、なんと神聖かと感嘆の声を漏らすだろう。

 だが、逆光に隠れた聖女の微笑みは、晧神官こうしんかんらに心臓を透かし見られているかのような感覚をもたらした。体が反応するままに彼らはその目を見ることをこばんだ。

 

コンコン――


 ノックの音が晧神官こうしんかんらの緊張の縛りを解いた。 


「聖女様、救護の者達がお力をお借りしたいと申しております。」


 扉の向こうからは若い女の声がした。


「分かりました。すぐに向かいます」


 返事をすると聖女はあっさり月光のカーテンを後にした。


「お先に失礼させていただきます。こちらの会議の方は、引き続きご健闘くださいませ」


 扉の前でカーテシーをする聖女の表情は美しかった。

 その穏和で慈愛じあいに満ちた笑顔は計算して作られたがために、美しいと同時に恐ろしかった。




 部屋の外に続く狭い階段では、靴の音さえ響かない。

 聖女は一人、ランタンを片手に下っている。彼女の表情は先程までとは打って変わり、穏やかではなかった。それどころか目が据わり、冷徹な顔をしている。


「チッ……よりにもよって、この大事なときに。全く…使えない男ですね。」


 聖女は小さな窓の前で立ち止まった。

 彼女はランタンの光をもとに細長い紙に単調な文を書き入れると、窓を開き笛を取り出した。

 

 ピー


 一本の糸が張るような細く高い音だ。

 すると30秒も待たないうちに、夜空を具現化したような黒い鳥が窓辺に舞い降りた。その足には小さな筒が取り付けられている。


 聖女は紙を折って筒の中に丁寧にしまい、鍵をかける。


「やはり、を強行するべきでしたか。まぁ、いいでしょう。もう一度失態を晒すようなら…のように始末すれば良いだけですもの。」


 彼女は手首に乗せた黒鳥を空に放った。黒い翼は光を吸収し、月を遮った。


「ねぇ、お父様。」


 それを見上げ笑う聖女の目は、枯れ野に吹く北風のように冷え切っていた。





 2時20分。

 アドゥール伯爵邸もまた、眠りにつくことができないでいた。


「何がどうなっている⁉」


 アドゥールは握り潰した手紙を暖炉に放り込んだ。 

 彼は額に汗をかき、落ち着きなく書斎を歩き回っている。


「収拾がつくまで待機していろと…クソッ…だが公爵にはまだ知られていないのが不幸中の幸いか」


 薪の中で溶け始めた封蝋ふうろう立金花リュウキンカの紋様をしている。


「気づかれる前にあの帳簿を消さねば…私が消される…!」


 焦りのままに机を拳で打ったせいでインク壺が床に落ちた。だが、そんなもの彼の目には入っていなかった。膨れ上がった焦りが思考を支配し、目の前にある物さえ見えていないのだ。


「どうするっ…!」


 その時、扉を叩く音がした。


「旦那様。手紙が届きました」


「後にしろ!」


「ですが…旦那様が望んでいるものだと言われまして。…妙な封筒も渡されたのですが…」


「何の話だ!後にしろと‥‥」


 “封筒”その言葉に頭の熱が消し飛んだ。


 アドゥールは何の言葉を発することもなく、執事から手紙と大きな封筒を奪った。戸惑う執事を締め出して、彼は慎重に手紙を裏返した。封蝋にはラナンキュラスの紋様が入っている。


「やはり…第二皇子殿下の紋…」


 急いで封筒を破ると中から薄い冊子が出てきた。影に取り返させようとしていたあの裏帳簿だ。


「…奴の帳簿か!」


 高揚したアドゥールは手紙の封を切った。カードにはこう記されていた。

 “裏帳簿を全て燃やせ。イステリッジに罪を被せろ”


「流石は殿下だ…!」


 アドゥールはそのカードを暖炉に放り、生気を取り戻した。

 善は急げと、彼は隠していた裏帳簿を薄汚れたトランクに詰め、例の庭師に渡した。


 庭師の男はトランクを荷車に乗せ、細く一層暗い道を進んだ。その方向からして、森に行き帳簿を焼却するつもりなのだろう。だが今回も、最後までは上手くいかない。

  

 彼が背中に視線を感じたときにはもう遅かった。振り向いた矢先、棒のような影が顔面に激突し吹っ飛ばされてしまった。男は目を回して倒れ、偽の髭がずれた。

 シエロが棒で顔をつつくと、髭は完全に剥がれ落ちてしまった。


「…変な趣味」


 シエロの純粋で辛辣しんらつな発言はいつものことである。





 同時、イステリッジ伯爵邸。


 アドゥール邸と同じように書斎はまだ明るく、廊下には灯火が歩き回っている。しかしその理由は違う。教会本部グルセイル・ヒアトが燃えたというのに、この首都で呑気に眠れる貴族はいないのだ。


「お手紙です」


「ご苦労」


 従者は封筒を机に置くと静かに書斎を後にした。

 イステリッジは書類にサインをし終わると手紙に目をやった。ラナンキュラスの紋様が目に入った。


「この紋は…っ教会絡みじゃないだろうな」


 急いで封を開けカードを見ると、彼は歯を食いしばるように顔を歪めて舌打ちをした。


「…しくじりおって」


(おかげであの計画も今日のうちに中止だ…!)


 灰皿の上で破った封筒とカードに火をつけると、イステリッジは書斎を発った。


 “アドゥールが放火に関与している。巻き込まれぬよう、夜が明ける前に縁を切っておけ”

 火の中にはその文字があった。


 

 


 2時45分。

 “宿”、つまり路地裏の古びた空き家に裏口から人影が入って行った。


 中は見た目通り強風が吹けば崩壊しそうなくらい、柱は腐っているように見える。目の前には一つしかない部屋への扉。埃を被ったドアノブは妙に重たく、三回捻ると鍵が開いた。昼間のように明るい部屋の中へ入った。


「おっ時間ぴったり!ビビ、こっちは準備オーケーだよ」


 ビーとフロウが待っていた。手作りの大きなテーブルの上にはシエロが奪ってきた裏帳簿が並べられている。奥にはおごそかな機械が準備されている。


「シエロはどうしたの?」


「上で就寝中」


 ロフトの柵越しに動く毛布の影が見えた。あそこなら小さな声や照明の明かりは届かないのでぐっすり眠っていることだろう。

 クスりと笑って、ヴァイオレットは小声で言った。


「じゃあ早速、仕分けといきましょうか」


「「了解!」」


 ビーとフロウはその目に活力をみなぎらせた。

 夜が明けるまであと三時間。目を閉じる暇もないが、初めての大仕事に彼らの気合は十分だった。

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3つの嘘で返り咲く 梁名 鏡 @LenaRogue

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