【コミカライズ記念SS】希《のぞみ》①

 

 翠山すいざん国で迎える初めての夏。


 私、范桃英はんとうえいは翠山国の王太子妃として外交式典に参列するため、降嫁して以来初めて故国・大黄だいこう帝国の地に足を踏み入れていた。


「本当に立派になりましたね」


 馬車の中、こっそりすだれを上げてのぞき見た国境の町・淵西えんせいの様子に、私は感嘆の声を漏らした。

 隣で星狼せいろう殿下が苦笑している。


「さすが大黄帝国ですね。我が国の開国後、ここが交易における要地になるだろうと、すぐに整備を始めたようですよ」


 淵西は、翠山国へと続く関所を管理する町だ。かつて降嫁の際に訪れた時は人も建物もまばらだったが、今は堅固な城壁に囲まれ、大街おおどおり沿いに商店が立ち並ぶ活気あふれる都市に変貌していた。


 私たちをのせた馬車は舗装された道を進み、いくつもの牌楼はいろうをくぐった。その赤や緑の鮮やかな彩色や黄龍が躍る意匠がいかにも帝国風で、故郷に帰ってきた、という感慨を覚える。


 星狼殿下は家臣団を率いて私より数日はやくこの町に到着していた。今日はお忍びというかたちでわざわざ関所まで私を出迎えてくれたのだ。


「ほら、もうすぐ役所が見えてきますよ」

「え、あれですか?」


 大街の奥に見えてきたのはレンガの隔壁と、そそり立つような大門だった。帝国の都を思わせるほどの威容だ。


「うわぁ、まるで宮城ですね」

「中もすごい造りですよ。俺たちは数日ここに滞在することになりますが、何もかも配慮が行き届いています。そうそう、食事も美味しかったですよ」


 最後に付け加えられた一言に、私はちょっと口を尖らせた。


「前から思っていたのですが、殿下はわたくしのことをただの食いしん坊だと思っていませんか? 別に食事の味なんて心配しておりません」


 殿下はわざとらしく首を振った。


「そんなまさか、食いしん坊だなんて。我が国の女神・翠母すいぼ様に向かって、おそれ多い」

「もう、からかわないでくださいっ」


 昨冬、山の崩落に巻き込まれかけた翠山の人々を救うため、私は翠山国の建国の女神・翠母の遣いを演じた。その時助けた少年が、私を翠母様そのものだと勘違いしたのを、今でも殿下は面白がっている。


 そんな他愛のない話をしているうちに城門にたどりつき、私たちは役所の中へと招き入れられた。


 馬車に乗ったまま一般の役人たちが働く外朝を抜け、朱色の門をくぐって高官しか入れない内朝へ。

 さらに奥に進むとそこには淵西の長官の私邸がある。私たちが乗る馬車が止まったのは、その門前だった。


「桃英様、長旅ご苦労様でした」


 馬車から降りる私の手をとってくれたのは、りゅう徳妃・りょう様だった。

 男装――しかも甲冑かっちゅうに身を包んだ軍装で、腰には剣を帯びている。


「涼様こそ警護をありがとうございます」

「とんでもない。これが私の役目でございますから」


 私の手をとったまま、涼様は際立って麗しいお顔で微笑んだ。その笑顔には、自信と誇りが輝いている。


 男として生き、武人になりたいと望んでいた涼様は、かつて恋人の侍女・桂鈴けいりんと結ばれぬことを嘆いて無理心中を謀った。


 だが、今は後宮の警護を司掌ししょうする武官として活躍されている。それは涼様らしい生き方であり、己と桂鈴を救ってくれた星狼殿下への恩返しなのだ。


「桃英様は護衛である私に気など遣わず、堂々と振舞ってくださればよいのですよ」


 堅苦しい私を気遣ってか、涼様は私の鼻先を指でそっとつついた。


 この大黄帝国訪問において、私の警護を担当するのが涼様だ。

 私は常人離れした怪力と五感を持ち合わせているので、本来護衛など必要がないのだが、だからといって警護なしでうろつくわけにはいかない。それは翠山国の体面にかかわる。


「こら劉徳妃、それは私の役目だぞ」


 先に馬車を降りていた星狼殿下が、涼様から私の手を奪い取った。


「おっと殿下、これは大変失礼いたしました」

「まったく、油断も隙もない。徳妃、護衛として常に桃英様のおそばにいるからって、俺の妃を口説くなよ」


 徳妃は肩をすくめた。


「口説いてなどいませんよ。麗しき女性への正しい接遇をしたまで」

「はぁ。貴殿の場合はそれが口説いていることになるのだ」


 星狼殿下のため息に、背後に控えた侍中のおん漣伊れんい殿が笑いをこらえている。


 見知らぬ町の城壁の中でも変わらぬ皆の様子が、私にとっては心強かった。

 

 *


 公務で忙しい殿下と別れた私は、帝国の宦官かんがんが担ぐ輿こしに乗せられ、数日起居することになる殿舎へと向かった。涼様をはじめとする護衛たちも、油断なく警護しながらともに進む。


 私の滞在のために用意されていたのは、小さいながらも煌びやかな殿舎だった。


「これはまた……なんとも立派ねぇ」

「まったくです」


 基壇きだんを登って扉の中に踏み込んだ私は、侍女の夏泉かせんと並んであっけにとられていた。


 入ってすぐの庁堂ひろまは、天井や壁、はりや柱の隅々まで鮮やかな彩色が施されている。散りばめられた文様は、可憐で優美な草花やさえずる鳥たちで、へや全体がまるで繊細な絵画のようだ。


 夏泉が小さな悲鳴をあげた。


「うわっ、この卓と椅子、紫檀したんじゃないですか? これ、皇帝陛下の玉座に使用するような材ですよ」


 一方、へやの隅にさりげなく置かれた花器に、私は眩暈めまいを感じていた。


「これきっと景蘭鎮けいらんちんの白磁だわ。幼いころ、後宮でお父様が使っていたのと同じ」


 警護のため部屋を隅々まで検分していた涼様も、感嘆を漏らす。


「これは……私のような田舎ものには目が回りますね。ご覧くださいませ、庭も見事でございますよ」


 大きな丸窓からのぞく庭では、月李コウシンバラが咲き誇っていた。あでやかな紅の花弁が、夏の強い日差しに劣らぬ輝きを放っている。


 私と夏泉は顔を見合わせた。


「ねぇ夏泉、このもてなしって、もしかして……」

「はい、間違いございません」


 脳裏に浮かぶのは、穏やかで慎ましい細面の青年。

 夏泉が遠い目で言う。


「過剰なまでの歓迎――これは皇帝陛下が直々に差配され、調えられたものに違いありません」


 私は頭を抱えた。


熹李きりってどうしてこんなに過保護なのかしら」


 大黄帝国の皇帝――双子の兄の熹李はなにかと私に甘い。この煌びやかな殿舎は私への過剰なまでの心配りだろう。これでは皇帝権の濫用らんようだ。


「まぁ兄とはけっこう過保護なものですよ」


 涼様がくすりと笑う。


「我が兄・ぎょうも冷酷無比な男に見えますが、あれでけっこう私には甘いですからね」


 劉暁将軍は小柄ながら剣の達人で、若くして将軍職に就いている。「冷酷無比」は言い過ぎだと思うが、確かに感情をわかりやすくおもてに表すような方ではない。


「それは……意外ですね」

「でしょう? ましてや桃英様は辺地に嫁がれた身。そんな妹が久々に故郷に帰ってくるのです。兄としてはどうしても気合いが入ってしまうのでしょう」


 私は改めて房内の調度品を見回した。目がくらむほどの調度品の数々が、熹李から私への想いのたけかと思うと、よけいにこそばゆい。


「ゆったりとお過ごしなさいませ。兄の想いに応えるにはそれが一番ですよ」


 片目をつむって涼様は言う。夏泉も頷いた。


「特に明日からはお忙しくなりますからね」

「たしかに――そうね、今日は素直に甘えて、のんびり過ごしましょう」


 明日はいよいよ開国の式典だ。その後は帝国と翠山国の貴人が列席する宴もある。気が張る一日になるのは間違いなかった。


 でも、それと同時に、久々に生身の熹李に会えるのがとても楽しみだった。

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