高子
山川タロー
第1話
私の母は腹違いの三姉妹だった。母が七歳の時母の実母は夫に離縁され実家に帰った。名前は高子と言った。
高子は明治三十七年六月十四日、愛知県名古屋市に生まれた。父繁三十八歳、母こう三十七歳、生まれた時上に十五歳年上の兄繁雄、五歳年上の兄長三がいた。長兄の繁雄は歳の離れた妹ができてさぞ可愛がったことだろう。両親も三十代半ば過ぎてからの赤ん坊でそれは可愛がったに違いない。こうして高子は家族に可愛がられながら育っていった。
大正十一年十月、長兄繁雄は大澤家長女タカとの間に長男稔をもうけた。未婚であった。
大正十二年三月、高子は十八歳で戸田家次男正治と結婚、同年八月長男守を出産した。
大正十三年一月、長兄繁雄は長女和子をもうけた。長兄繁雄に長男稔と長女和子ができたが二人とも非嫡出子扱いであった。
大正十五年六月十一日、高子は次女安江を生んだ。筆者の母親である。y末が馬た時高子の夫には前妻の子、貞子がいた。
大正十五年十二月二十五日、大正天皇が崩御し同月昭和元年とする詔書が発せられ激動の昭和が幕を開けた。
昭和三年八月十八日、長兄繁雄は妻タカと正式に婚姻、稔と和子は摘出子の身分を取得した。
同年八月二十三日、高子は次男昭を生んだ。
同年九月十日、高子の二兄長三が山本家長女愛子と結婚、同月二十六日愛子は長男博を出産した。
昭和五年一月十五日、高子の次男
が一年五カ月という短い生涯を閉じた。家族に不幸が続いた。同年三月十三日高子の二兄長三に次男二郎が生まれたが翌々日に亡くなった。
昭和八年七月、高子は正治と離婚した。安江は小学校に上がったばかりであった。
実家に戻った高子は昭和十年一月十一日、赤ん坊を出産し五郎と名付けた。しかし、五郎は翌朝亡くなった。高子の落胆は察するにあまりある。高子なその三年後、昭和十三年十一月二十一日午前十一時、三十四歳と五カ月という短い生涯を失意のうちに閉じた。孫の彌(筆者)は後年そうした祖母が不憫でならなかった。
彌は義母が亡くなった時義母の墓を建てた。しばらくしてお一人では寂しかろうと母親安江と幼くして亡くなった三兄仁を墓誌に国治して一緒に弔うことにした。母安江は三男仁を年老いてからも愛おしく思っていたからだ。彌は母安江が仁の位牌を抱いて「仁ちゃん、仁ちゃん」と泣いている姿を見たことがあった。彌は不憫でならなかった祖母高子もその子五郎と一緒に墓に刻字して弔うことにした。彌は信仰心がなく、あの世も輪廻転生も信じていない。弔うということは自分の心の中の思いである。彼らに対する慈しみの心である。それ以上でも以下でもない。
高子 山川タロー @okochiyuko
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