ひのくににて - 2
声の方へ近づくにつれ、事態がどんどん意識の中に飛び込んでくる。
「おいテメェ、今なんつった?」
そんな言葉と共に、骨が軋むような音が聞こえる。
「……めろ」
小さく細い声だが、聞き覚えがある。先程、関わるなと言っていた口の悪いあの人だ。
「聞こえねェな」
はっきりと確認できるまで近づきそれを認識した瞬間、ミミは自分の顔から血の気が引く音がした。思わず両手で口を覆う。
小さな少年を、体格のいい男が取り囲んでいた。
よくよく確認すると、小さな少年は、先程去っていったサラだということに気づいた。
すぐに彼だと気が付かなかったのは、怪我をしている様子であったから。服も土で汚されており、僅かに血が滲んでいるところから、体の至る所も怪我をしているのだろう。帽子はそばに投げ捨てられ、金髪は頭から赤と土で輝きを失っている。顔は元の肌が分からないくらい赤と青のアザで腫れていた。
「ピィ」
そのとき、少年のすぐ後ろの木影からひょこ、と小さな兎が顔を出した。といっても、毛がエメラルドで、額に宝石が埋まっている。
そんな可愛く小さないきものが、恐怖で震えているのがこちらにもわかる。
「いい。やめろ」
「……キュ」
「んなことにならねぇから、にげ」
狼と同じくなにやら話をしていたのだが、男が振り上げた足がサラの腹部に突き刺さった。
げほげほと腹部を抑えながら痛みに耐える小さな体の横で、震えながらもなにかの意志を固めたのか、ゆっくりと男達に歩み寄るうさぎの長い耳を掴み、持ち上げる。
「こいつはペットとしても食料としても人気なんだ」
「変に隠しやがってクソガキが」
うさぎを連れ去る男2人。その中で、もう1人の男が倒れ蹲るサラに向かって
「でも良かったなァ」
なんて笑いながらかがみ込む。
「この国、女っ気が少ねぇから」
その雰囲気に、ミミは不穏な気配を感じとった。
不意に脳裏に浮かぶのはスミレとの記憶。中学生の頃、ひとつ年上の彼女はとある被害に遭いかけた。偶然、その場を通りかかったミミが必死に間に入って未遂に終わったのだ。
あのときのことを詳細に思い出しかけて、目を固く閉じてそれを頭の端に追い出した。
「やめなよ」
そう言ってサラに手を出したその太い腕を、小さな手が掴んだ。
「あ? なんだテメェ」
「この子を殴ってその上何しようとしてたの」
上から威圧的な表情がこちらを見下ろす。そんなの、慣れてる。いつだって、背の小さいミミは見下ろされる側だったから。
「関係ねーだろーが。はな、」
男はそれに気づいた。小さな女の子に掴まれた腕が少しも動かないことに。どんなに力を入れても体を引かせてもびくともしない。
「っ!?」
少女は腕を両手で掴むと、
「てぇいっ」
そのまま背負い投げをした。
まさか、小さな少女に大柄な自分が投げられたとは思っていなかったのだろう。
男は無様にも宙を飛び、地面に背中を激突させた。土煙を巻き上げて痛みに呻く男を見た後、
「大丈夫?」
傷の状態を確認すべく、ミミはサラに声をかける。
血で固まった前髪の隙間から覗く瞳はまん丸になっていて、なおさら大きな綺麗な瞳が際立っていた。
「関わるなって、言ったろ」
「サラ」
なんて悪い態度だ。
なにを、と拳を握しめかけたそのとき、後ろからヒカリの声が聞こえた。
すっかりその存在を忘れていたミミは気まずそうに振り返る。
「手助けしてくれた子にはお礼を言いなさいって、私言ったわよね?」
ヒカリは胸に先程連れ攫われたはずの兎を抱えてやってきた。
「キュキュ。キュゥ」
「そうね。まずは怪我を治しましょうか」
うさぎはヒカリの腕から飛び降り、なんとか起き上がろうとしている小さな体へ駆け寄る。
「……」
一瞬、うさぎの額にはめ込まれた宝石が光に反射するように輝いた。
すると、みるみるうちに少年の怪我が癒えていく。ミミはそんな光景に目を見張った。病院いらないじゃないか、なんて見当違いなことを考える。
「……。ありがとう」
とびついたうさぎに一瞬困惑していたが、抱き寄せてその頭を撫でた。その手つきは酷く優しい。
ぽそりとつぶやいたお礼はきっとうさぎに向けてであり、ミミに向けたものでは無いことくらい、本人は気づいていた。だからこそ、頬を膨らませた。
「あのね。人に暴力振るったらダメだからね」
起き上がった巨漢に向かって、説教するように指をさせば、しっぽ巻いて逃げていってしまった。なんと情けない。謝罪の言葉すらないのか。
「……」
後ろで立ち上がった気配を感じ取り振り返れば、少年は俯いたままそこに立っていた。手は抱いていたうさぎの毛を所作なさげに弄っている。
「なに?」
何を言いたいのか、口を開いたり閉じたりを繰り返した後、
「……別に。感謝とか、してねーから」
まっったくもって可愛くない言葉を呟いた。
「はあ?」
彼の言葉に理解が追いつかないうちに、少年は草をかき分け向こうへ走っていってしまった。
「なんかさ、自分の子供見てるみたいよね」
怒りに青筋を浮かばせているミミの傍で小さく笑う声が聞こえた。
「子供……いるんですか?」
「……」
ヒカリは、自分で言った言葉に初めて気づいた様子だった。
「分からないわ。前の世界のこと、もう思い出せないから」
でも、もしかしたらいたのかもしれなあわね。
なんて笑う彼女は、どこか寂しそうに見えた。
「さ、行きましょうか」
先程の感情を振り払うかのように手を叩いた。これ以上、詮索するなと言われたかのようだ。
どこか黒いものに引かれそうになった心を振り切った。
「どこにですか?」
「サラの住処に決まってるじゃない♪お礼もちゃんと言わないなんて、そんな無礼な子に育てた覚えは無いもの」
はあ、とミミは胡散臭げに呟く。
「それにあれは、お礼するからついてきて欲しい、って言ってるのよ」
言っていない。一ミリも言っていない。
なんという、穿った解釈だろうか。信じられない。
「何か言われたら私の責任にしていいから。行くよ」
ヒカリに促されるまま、半信半疑の感情を抱えつつミミは後ろを付いて行った。
「キュ」
薄緑色のうさぎはそんなミミの体を駆け上がり、肩に座り込む。突然の衝撃に驚きながらも顔を向ければ、その頬に体を擦り付けられた。
懐かれて……いるのだろうか。
動物は好きだし、このうさぎっぽい生き物は可愛い。害はなさそうだしこのままにしようとミミは肩に乗るうさぎの頭を撫でた。ふわふわしていて心地よくて、自然と気分が和らいでいくのがわかった。
それから、獣道すらにもなっていない土を踏みしめ歩く。木の根がむき出し、土は柔らかく足にまとわりつく。辺りを包む空気は濃く、ひとつ呼吸をするだけで奥にまで冷たく重いものが肺に入り込んできた。
ミミは、自分の体力が蝕まれていくのを感じながら、飄々と長い髪をたなびかせて歩くヒカリの後ろ姿を追いかけた。
「ここよ」
歩き始めてしばらく経ち、ようやくヒカリは足を止めた。
ミミはヒカリの横で足を止め、辺りを見渡した。
一言で表すと、樹海であった。幹は麗しくミミが抱きついてもビクともしないそれが等間隔に座っていた。上を見上げれば空が小さく見えるほど生き生きとした葉で覆われている。辺りは濃い空気に包まれているのに神社のように冷えて澄んでおり、ひとつ呼吸をするだけで体力が回復するような感覚を覚えた。
目的の人物はすぐに見つかった。
サラは、ここに来るのがわかっていた様子で、茶色の器をふたつ持って立っていた。
そのうちのひとつを手渡してくる。
「ありがとう。美味しいのよね、これ」
嬉しそうに受け取ったヒカリの横でミミもそれを受け取って中を見ると、透明な液体が入っていた。
しばらく感じていなかった喉の乾きが、今更思い出したように騒ぎ出した。
ミミも一気に煽る。冷たい液体が勢いよく喉を通り抜けて爽快感が全身に広がった。ココナッツの皮を思い浮かべるような厚い皮からほんのり香ばしい香りがする。
「……おいしい」
水というものを美味しいと感じるのは初めてだった。
思わず漏れた言葉を聞いたヒカリがクスリと笑う。
「でしょ? 好きなの、ここの水」
あの村で出される水なんて飲めなくなるわよ、なんてウインクされれば、たしかにミネラルウォーターも霞むほどだ。
ほう、とミミは人知れずにため息をついた。
「……ありがとう」
小さくお礼を伝えれば、少年の代わりにウサギが、キュ、と答えた。
聞きたいことが、たくさんある。
だがしかし、聞いてもいいのか。聞いたとして素直に答えて貰えるか非常に悩ましい。ほんの短い間で印象は結構落としている。これだけではまだマイナスだ。
「……」
「え?」
はじめは声が小さくて聞こえなかった。
「ああ、サラはミミが何か聞きたがってると思ったから声をかけたのよね」
「ーっちが」
ヒカリがニヤニヤしながら指摘すれば、帽子の下からでも分かるくらい顔を真っ赤にさせた。
「本当はこの子に興味あるくせに」
「ーっせえ、適当言うな!」
「事実でしょうに」
「ちげぇ、早く帰れ。迷惑だ」
「本当に帰っていいの?」
帽子越しに乱暴に頭を手のひらで撫でながらヒカリはからかう笑みを崩さなかった。ミミは彼女が殴られるんじゃないか、それともまた魔法のような炎で燃やされるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが。
意外とサラは大人しくされるがままだった。
「……何見てんだよ」
心情を悟られたのか、睨まれた。ビクッと肩を跳ねさせて思わず目をそらしてしまう。
「この子はね、こーんな辺鄙な場所に住んでるから人と接するのに慣れてないのよ。だから、こんな風にグイグイ関わればすぐに心開いてくれるわ」
「……そう、なんですね」
仲良く見えるのはそれが理由か、とミミは納得した。苦手な印象を持つ少年との接し方を教えてくれるのはありがたい。
あれから、少しばりヒカリと共に彼の家で過ごさせてもらった。
どれくらいの間かはわからないが、とてもゆったりと時間が流れており、とても心地が良かった。
周辺は、音が全て吸い込まれているのではと錯覚するほどの清涼としておりとても静か。はじめは周辺が暗いと感じたけれど、木々の隙間から強い光が降り注いでいるから、隙間から指す光は眩しい。木々によって遮られていなかったら傘が必要だっただろう。
そして、どうやらお腹が空くということが無さそうだということを知った。おいしい水を飲んでいるということもあるけれど、空腹による体調が悪くなることはない。
もう一つ、不思議なことがある。睡眠についてだ。
時間の感覚がないことが原因なのだろう、人によって時間もタイミングもまばらだった。
侵略者を退治する、という役割がまだやってこないからか、ヒカリと共に辺りを見回ったり水を飲んだり、うさぎと遊んだりしている。
正直、役目が終わり次第すぐに元の世界に帰りたい。その帰属意識はまだ胸の中にある。特に、家族が心配だ。なにも言葉を交わさずこの世界に来てしまったのだから、ミミを探し回っているのだろうか。
「私もよ。早く帰りたい気持ちは」
そんな不安をヒカリに伝えたとき、困ったように笑われた。
「いつまでこんな生活を過ごさないといけないのかと思う反面、ここの生活も悪くないの。ここで知り合った人達と離れてしまうわけだからね。正直、複雑な気持ちだわ」
そう言いながら、彼女は大の字で口を開けて寝ているのだから、信用なるのかならないのか……。
「サラはどこに行ったのかな」
頭を撫でている、あの時助けたうさぎに声をかければ、キュ、と鳴きどこかへ走っていく。
ミミは足場に気をつけながら追いかけると、目当ての人はすぐに見つかった。
川で体を洗っていたようで、上半身は剥き出しの姿でこちらを向いた。
薄い体の瑞々しく艶やかな濡れた肌は、光を反射している。金髪とキラキラと輝き、まるでこの世のものでは無いのではないかと錯覚するほどだ。
「なんか、ごめん」
後ろめたさで目を塞げば、何言ってんだこいつ、と言いたげな顔で見てきた。
「何言ってんだ」
声にも出してきた。顔を上げれば、サラの濡れた体躯は服ごと乾いていた。
帽子をかぶる後ろ姿を見て、あわてて
「あのさっ」
言いかけて、何を話したら良いのかわからなくなってしまった。聞きたいことはたくさんあるのに。
「君の付けてるネックレス、誰から貰ったの?」
とりあえず、先程ちらりと見えたネックレスを指さす。
コミュニケーションは大事だ。しばらくお世話になっているのだし、もう少し交流を深めるのもいいかもしれない。
「知らねぇ」
はい会話終了。さよなら私の努力。
「記憶に繋がるものかもしれねーから持ってる」
諦めていたミミに、なんと二言目が。いつも、一言で会話を終わらせていた人が。
「なんだよ」
「……いや」
ついまじまじと見てしまった。
睨まれたので勢いよく顔を背けると、ため息をつかれた。
ヒカリのいる方向へ歩いていくので、ミミも付いていく。
「あのさ、悪者っていつ来るの?」
「知らん」
「来たら分かるの?」
その時、ピタリとサラは足を止めた。同時に、不穏な空気を感じ取った。なにか、モヤモヤするような胸を締め付けられる居心地の悪さ。
「なにが」
「来たぞ」
体の異変への答えを、サラは口にした。
「待って!」
どこかへ駆け出す小さな体を、ミミのもっと小さな体が追いかけた。
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