ひのくににて - 1

 炎の国に一歩踏み入れて感じたことは、獣の臭いだった。至る所で大きな薪があり、その上に毛皮を剥がされたであろう肉が焼かれていた。そのまま食らうのだろう。なんて原始的な食事だ。

 獣の毛皮が至る所で干されていたり、出店に並んでいる。ミミがこの世界に来た時に初めて出会った白銀の狼の毛皮も並んでおり、背筋にぞっと悪寒が走った。今まで自分の世界でも、牛や豚、鶏などの肉を食してきたが、こういった"外側"を間近で見た経験がなかったのだから。

 また、どうやらこの世界は物々交換が主流らしい。他の国から来たであろう人が持ってきた果実と毛皮を交換している。もしかしたら、これが火の国の生業なのかもしれない。

 ミミは、とりあえず周辺見て回ることにした。今まで自分が過ごしてきた環境とはかけ離れたこの場所を知りたいと思ったから。敵や、あわよくば元の世界に帰る手がかりが見つかれば良い。

 国と呼ばれているが、どうやら面積はそこまで大きくは無いらしい。四面のうち二面は崖で遮られており、他の二面もミミの身長の倍以上あるであろう木が等間隔で並んでいる。その間を、棘の付いた針金で敷き詰められており、この間を抜けるには文字通り八つ裂きにされそうなほど困難だ。

 地上では外からも内からも侵入するにはかなり困難だと感じる。

 入口は、ミミが入ってきたところに門があるのみで、なんというか、閉鎖的だ。

「あいつら、また柵を壊しやがって」

 柵を眺めていると、ぶつぶつと文句を呟きながら体格がよい男が柵を直していた。手のひらから零れた炎が鉄を熱し、あっという間に意図した形に組み上がる。

 非現実的な光景に、ミミは目を丸くさせながら眺めた。

 その他にも、何も無いところから燃え上がった炎を使って肉を焼いている女性や、暗がりの小屋を、溢れんばかりの光で照らす老人、怪我を瞬く間に治す少女など、この村の住人はミミが憧れている魔法を使っていた。

 しかし、ミミの表情は暗い。早くここから出たい気持ちがじわりじわりと湧いてくる。

 何故か。理由は簡単。この村の住人全員、表情が辛気臭いからだ。

 動物の臭いが漂う空間とそこで過ごす人間の暗い表情。

 ここに来て短い間だが、下水道の通路に居るような気持ち悪い気分だ。

 何気なしに、古びたテントへと足を向けた。

 動物の骨で作られたであろう、アクセサリを眺める。がたがたの、何を模したか分からない無骨なデザイン。塗装も禿げて茶色にくすんでいる。まるで血液がこびりついているようにも見えて、不気味さと気持ち悪さを感じた。

「テメェ、何見てんだ」

 感情が表情から漏れていたのだろう、売り子ならぬ売り爺に睨まれた。

「お金無いんですけど、どうやったらこのアクセサリー買えるんですか?」

 とりあえず誤魔化すために笑ったところ、は、っと馬鹿にした声で笑われた。

「お金? なんだそりゃあ。テメェみてーな乳臭ぇガキに渡すもんなんざねェよ」

 見下す顔でしっし、と追い払う仕草をされて、先に怒りが湧いてきた。

「誰が来るかこんな店」

「あぁ!? 今なんつった!?」

「別に、あなたに言ってませんけどー」

 捨て台詞を吐いて店を後にした。

 何か言ってやらなきゃ気が済まなかったので、少しばかりすっきりとした。

 サラの口が悪かったのも頷ける。ここの村にしばらく住んでいるだけで口調が汚くなるものだ。

 さて、識の王が来るまでどうやって時間を潰そうか。

「相変わらず、くっさくて汚い国よね」

 立ち止まりうーんと悩んでいたところ、偶然隣にいた女性が、ミミに同意を求めてきた。

 突然知らない人から声をかけられたが内容は心底同意するので、

「まあ、そうですね」

 とりあえず頷き、横目で姿を確認した。

 160センチメートルくらいの身長で、額に巻いた長い赤いバンダナが目を引く。ミミに似た茶色で胸下くらいの艶めいた髪がゆらゆらと揺れている。一重の瞳はより魅惑さを助長させているが、胸は控えめ。だぼついた服の中に収まっている。

「だよねー。あのさ、毛皮ってたしかに処理が必要だけど、こんなに見える位置に並べる必要ってないわけ。なのに、どうしてこんな村の集落に立ててると思う?」

 ミミよりも嫌そうな顔をして辺りを見渡す名も知らぬ女性。

 その横顔を、ミミは自分でも気付かぬくらい食い入るように見つめてしまっていた。

「一応ね、ここが火の国の中心地なの。なにも知らなさそうだから教えるわね」

 その通りだけど、余計なお世話だよ。

「あ、はい。ありがとうございます」

「なによ、ジロジロ見て。恥ずかしいじゃない」

「……いや、なんでも」

 ぱっとミミは目線を落としたが、彼女は大して気にする様子もなく、そう、とだけ呟く。

 そして、話を続ける。

「さっきの答えね。俺たちはこんなに強いんだって自慢してるってわけ。誰にって感じよね。敵でもない、害のない生き物狩って自慢している矮小な村よ。ほんと、早く王が決まって整備してくれないかしら」

 ひどい物言いである。ミミの胸に宿っていた新鮮な気持ちがどんどん萎んでいくのが分かった。

「で、あなた名前は? 見たところここの国の人じゃなさそうだけど、何しに来たの?」

 名も名乗らず自分の考えを言い放っていた女性が、ようやくミミを見た。

「名前は、ミミです。識の王に会いに来ました」

「あなたもあいつに用があるのかぁ」

 人気者だねあいつも、なんて、腕を組みながら何度も頷く彼女は、一体何者なのだろうか。

 そんな様子を察してか、にこりと笑う。

「私、ヒカリって名前。よろしくね」

 しかしヒカリは何かを見つけたのか、すぐに不穏な空気を纏ってどこかを向いた。つられてミミも視線を向ける。

 遠くの方でなにやら大人がこそこそとなにかしているような動きがある。怪しい。

 ミミは、引き寄せられるようにゆっくりそこへ近づいた。なんだか、誰かに見つかってはならない気がして周囲を見渡し、なるべく人目を避けてそこに向かおうとして、

「ほら、行くわよ」

 楽しそうな声に若干の戸惑いを残しつつも、ミミは彼女の後を追いかけた。

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