第4章 第5話
白猫がくい、と指を一本動かすと同時――。
花々に紛れて隠れていた猫たちが、四方から一斉に飛びかかってくる。花壇にいたのは匂いを紛れ込ませるためだったのか。私は最初から誘い込まれていた。
反応が遅れて、一匹、二匹と抱きつかれる。次々と群れが続く。ぼす、ぼす、ぼす、と鈍い衝撃が体を襲う。
猫の腹におおわれて、視界が途切れる。もがいているうち重さに耐えきれず、とうとうその場に転ぶ。
振りほどこうとしても猫の一群がさらに加わって、熱がこもり、苦しい。全方位から声が反響していた。ニャアニャアニャアニャアニャアニャアニャア。覚えのない速さで、方向感覚が揺らいでいく。
一瞬だけ自由になった腕をポケットに突っ込む。二球だけ残しておいたまたたびボールを取り出し、その場で握りつぶした。
粉末が飛び出し、近くにいた猫の鼻息が荒くなる。統率がそれで乱れて、おおいかぶさっていた猫たちの力が抜けていくのがわかった。
振りほどいて、猫の山から抜け出そうとする。しかしまたすぐに別の一群がやってきて、足元から上ってくる。深い雪のなかを歩こうとしているみたいに、足が重い。
これでは牧に近づけない。タイムリミットを迎えてしまう。どうする。考えろ。違う、考える前に動け。行動に起こせ。
近づけないなら、向こうから来させればいい。
「三分あるなら逃げればいいのに!」
猫の群れの声にかき消されないよう、白猫に向かって叫ぶ。一歩も動かず、白猫は警戒するようにこちらを睨む。
「そんなところに立ってないで、さっさと離れればいいのに! 見つからないようにかくれればいいのに! どうしてそれができないか知ってるよ!」
来い。挑発に乗って来い。お願いだから。
「まだ体が自由に動かないんでしょ! 牧がいるから、この丘から離れられない!」
威嚇するように、白猫が歯を見せる。さあ来て。
「あなたはまだ自由になんかなってない!」
来た。
と判断する頃にはもう、目の前に白猫がいた。
ひとでもなく、猫でもない動き。
猫たちでさえ反応に遅れて、一瞬後には邪魔をしないように離れていく。声も出ず、指先一本動かす暇さえなく、白猫が私の服をつかむ。
次の瞬間には体が浮き上がっていた。遠心力におそわれて、投げ飛ばされたのがわかった。視界がまわる。何も追えない。
叫ぶ前に、水のなかに落ちていた。パニックになって盛大に飲み、体を起こすと同時に吐き出した。
髪から水滴がしたたり、服のなかに水が染み込んでくる。周りを囲う造りで、噴水まで吹き飛ばされたのだとようやく理解した。頭上には時計台がそびえている。あと一分半を切っていた。
花壇の柵をまたいで白猫がまっすぐ向かってくる。うるさい私を排除することに決めたらしい。
かけていた水鉄砲を体から外して、噴水内に思いっきり突っ込み、タンクに水を補給する。こぽ、こぽ、とあきれるほどのんびりとタンク内の空気の泡が立ち上ってくる。早く早く早く早く!
水を半分まで補給しおえてかまえる。白猫のほうに銃口を向けると同時に、水鉄砲を握っていた感覚が消えた。片手で一つで弾き飛ばされていた。
一歩下がると、躊躇なく白猫が噴水内に入ってくる。足元が水に浸かっても、かまう様子を見せずさらに近付いてくる。何か武器は。応戦できるものは。
「んぐっ……」
服の首元をつかまれる。水に浸かっていた足が完全に浮き、牧からは想像もできない力で、軽々と持ち上げられる。もがこうとしたが、さらに絞められて息ができなくなる。
「そのまま、ねむってて」
空いたもう片方の猫の手が、拳の形に変わるのが見えた。殴られる? どこを? 身構えないと。それとも拳はフェイクで、地面に叩きつけられるのか。あるいはこのまま締め落とされて――
「ニッ!?」
その瞬間、白猫の腕に何かが飛びかかり、噛みついた。
ひるんだ白猫が反射で腕を振る。私は噴水の外に放り投げられて、ベンチの足に背中を打ちつける。
起き上がると、そばのベンチに、噛みついたその子が着地する。
「ミミちゃん!」
左右の耳の色が違う三毛猫。私がニックネームをつけていた数少ないうちの猫。
ミミちゃんが一度だけ目を合わせてくる。私の無事を確認したみたいに、そのまますぐに顔をそらして、白猫のほうへ駆け出していく。
「なんだ! なんでジャマする!」
白猫の顔に全身をおおいかぶさるようにして、飛びかかっていく。視界を失った白猫がふらつきはじめる。ミミちゃんをつかんで放り投げると同時に、噴水の枠に足をぶつけて、そのまま白猫が倒れる。
駆けだし、次は私が突進した。
起き上がりかけた白猫にまっすぐぶつかり、地面に倒す。ぐるりと何度も景色が反転し、勢いが落ちることなく、そのまま丘の斜面を転がっていく。
白猫に蹴られて、体が離れる。全身に衝撃。芝生だから痛くない。立ちあがって、まわり続ける視界を安定させるために、噴水の時計台に視点を定める。あと一分。
「う、く」
三半規管がまだ安定しないのか、白猫は四つん這いのままだ。もう時間がない。
白猫に飛びつくと、察した彼女が暴れ始める。服や毛や、尻尾、あらゆる場所をつかんで振り落とされないようにする。
首から勾玉のひもを外す。
これが最後のチャンスだ。
「戻ってきて!」
体重をかけて押し倒す。
馬乗りになって、そのまま強引にひもを首にかける。ひもから手が離れるのと、再び蹴り飛ばされるのはほぼ同時だった。すんでのところで手を離し、ひもがちぎれるのを防ぐ。やった。白猫に勾玉をかけた。あと四五秒。ぎりぎり間に合ったはず。
「ぐ、うううううう……」
立ちあがった白猫がうめき声をあげだす。苦しむように膝をつく。その体が青白い光に覆われ始めていた。
「ぐううううううううう」
腕の体毛が消え始める。猫のそれだった手が、牧自身の手に戻っていく。効いている。ちゃんと効いている。
「ううううううううううううぅぅぅっ」
このまま、静まって。
歯をくいしばり、祈る。
「あああああぁぁぁぁああああああああああああ!」
ひときわ大きな白猫の悲鳴があがり。
そして――
ガラスの砕けるような音が響き。
勾玉が、真っ二つに割れた。
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