幸奈のオススメ


「――型番はそれです。色はWH――はい、確認ありがとうございます。ではそちらキープさせてください。ご契約いただいたらご住所送信しますので発送お願いします」


 カウンターの中で別店舗と連絡を取っていた美晴は、電話を切りお客様の元へ戻った。ゆったりと微笑み対面に腰かける。


「お待たせいたしました。当店にはなかったご希望のホワイト、近隣店舗にございましたので、よろしければそちらからご自宅への発送にいたしますが――はい、配送料は当店からの場合と変わりません。ええと、これからすぐ発送手続きいたしますと、最短であさって午後以降の到着となりますね――」


 ではそれで、とうなずく客に住所、配送希望日時などこまごまと記入してもらう。お会計をすませ契約書面の控えを封筒に入れてお渡しし、一件完了だ。

 こういう業務は基本単独でこなすものだし、美晴も勤務中はわりと気が楽だった。従業員は広い売り場にばらけているのだから。

 たまにカウンター内でツンケン一年目女子と並ぶこともあるけど、私語で突っかかってくるほどの何かは相手にもないらしい。だったら最初から友だちに肩入れした態度なんか取らなきゃいいのに。

 でもそれをスルーしてあげるぐらいには美晴も大人だった。そんな余裕が持てるのは、私生活でストレス発散できているからなのか――。

 ふふふ。

 今日は早上がりなので幸奈と待ち合わせし、中華街でご飯にするのだ!




 幸奈との約束は媽祖廟まそびょうの前だった。わかりやすいから、だそう。

 媽祖さまは航海の安全を守る海の女神。港町ヨコハマに建立されるのもわかる。

 その建物はこじんまりしながらも美しかった。オレンジ色の瓦がのった門や堂宇にほどこされる装飾は波をかたどったものも多く、青や水色に彩られている。それらが灯りにほんのり照らされて幽玄を思わせた。

 門の前は意外と人が少なくて、幸奈はすぐに見つかった。だが誰かと話している。家族のような五人連れで、女性は頭にスカーフをかぶっていた。


「――あ」


 美晴に気づいた幸奈が片手を上げ合図してくる。すると話していた相手はにこやかに手を振って離れていった。

 手にしていたスマホをしまう幸奈と歩み去る誰かを見くらべ、美晴はきょとんとした。


「お待たせ、ゆっきー。今の人たちは?」

「宿泊のお客さまだよ。ばったり会っただけ」

「へえ?」


 お互い英語が母語ではないのでスマホの翻訳アプリをスタンバイしていた、と幸奈はなんでもなさそうに笑った。インドネシアからのご一家で、館内でお世話をしたら顔を覚えられていたそうだ。


「メッカの方角訊かれて。よくあるんだ」

「ああ……」


 それでスカーフだったのか。でも媽祖廟は異教の施設だけど。そう首をかしげたら笑われた。


「拝んだりしなきゃいいんでしょ。さて、お目あての店はこっち。しっかり中華な感じってリクエストにこたえて選んだよ」

「あ、うん。楽しみ」

「でも唐辛子な四川系じゃないの。広東だったかな」


 連れられて角を曲がると関帝廟通りだ。きょろきょろしたが、この間ひとりで歩いた中華街大通りよりも人が少ない。


「なんか空いてる。穴場なの?」

「ううん。中華街全体、夜のほうが店に入りやすいんだよね……東京圏から日帰りで来る人が多いんでしょ」


 そうか、言われてみれば気軽にフラリと訪れる距離の観光地だ。日中あふれていた立ち食いの若者は帰ってしまっていて、それに修学旅行らしき制服の中高生もこの時間だといない。


「今から行くとこも、昼は行列するよ。念のため予約しておいたけど」

「おおう……ゆっきーったら有能ホテリエ」

「いやあホテル側としては宿泊してほしいんで、中華街が夜ににぎわうぐらいがいいんだけどねえ」


 東京からのアクセスのよさが仇になるのが悩みらしい。横浜は夜景も素敵なのだから、泊まらないのはもったいないと美晴も思った。この中華街も、あと半月して十一月終わり頃になると春節の灯篭で飾られるのだそう。


「金色の龍が大通りの上にうねるから、楽しみにしてな」

「ひゃあ、おめでたい感じ」


 話していたらすぐに「ここ」と店を示された。新しめで、おしゃれなデザインのビルだ。

 予約してた宮下です、と幸奈が名乗ると明るい女性がニコニコ迎えてくれた。元気な接客に驚く。


「――名物女将なんだよ」

「そうなんだ」


 こっそり笑いあってメニューを見る。


「でも本当の名物は、牛バラ煮込み。それをご飯にも麺にものせられるの。八角の香りがだいじょうぶなら、いっとくべきだね」

「牛バラ……広東っていうと魚介のイメージだった」

「そっか確かに。んじゃ餡かけ焼きそばとかは? エビがブリンブリンだよ」

「わあ。どっちも食べたい」

「シェアしよっか。中華って大人数でわけあいたくならん?」


 ひょいと視線をやると女将さんがすぐ来てくれた。牛バラご飯と五目餡かけ焼きそばを注文し、明日も仕事だけど二人で一本ビールをもらうことにする。すると幸奈がこそっと女将さんに尋ねた。


「今日、牡蠣の春巻ってできます?」


 はいはい、と力強く請け合われ、幸奈は「じゃあ二人分」とうなずく。厨房に注文を伝えるのを見送りながら美晴は目をぱちくりした。


「……それ何?」

「裏メニュー。ってもみんな注文するんだけど。生でいける牡蠣を中心にいれた春巻きなんだ」

「ほえー」


 裏、とは。それは楽しみだ。

 すぐに持ってきてくれたビールを、幸奈はグラスに注いでくれた。なのに自分は手酌する。


「んで? お店どうよ」

「んー、わりと平気」


 カチン。かるく乾杯して、ひと口。

 グビグビいきたい、という気分ではなかった。言葉どおり、美晴の心はかなり落ち着いてきたらしい。


「恋愛ざたなんて当人以外にはどうでもいいんだよね。気にするだけ馬鹿らしいって思えてきた」

「うんうん。社内の空気がまともでよかった」

「それ」


 でなきゃ転職まっしぐらだ。

 苦笑いしていたら、すぐに牛バラご飯が出てくる。ふわりと甘い香りが、言っていた八角だろうか。


「ふわあ。すごいねこれ」

「けっこう匂い強いでしょ。もし無理なら私が食べるから」


 美晴は小皿に取り、試しに口に運んでみた。とろりとした煮込みは味もわりと甘め。肉がやわらかくほどけ、牛の匂いと八角が混然一体となる。


「美味しい」

「よしよし」


 続いてきた五目焼きそばは対照的にあっさりした塩味だった。でも魚介の旨味、ぷりっとしたエビやイカ、こりこりのキクラゲが楽しい。

 そしていよいよ裏メニューだという春巻きだ。カリッと揚がった皮のはじっこを割り、そこからレモンをしぼって食べてくれと女将さんに説明されて言うとおりにやってみた。

 ――ふわっと海が香った。生ではない、でも完全に火を通したのでもない、じゅんわりした牡蠣。それにまわりの具材の味がしっかりしているのでレモンだけでいける。


「うまあ……」


 美晴がテーブルに崩れ落ちそうになるのを見て、幸奈はしてやったりとニヤニヤした。


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