第二十九章
トニーはライヴ会場入りするまでの時間の余裕があったので、通りかかった時に気になっていたジュエリーショップに入った。ジョージにジェシカの誕生日を聞いておいたのでプレゼントを買おうと思っていた。
「いらっしゃいませ。プレゼントをお探しですか?」店員が、にこやかに尋ねた。
「ああ、はい…まだ何を買うか決まっていないので少し見させてください」トニーはウィンドウに飾られたアクセサリーを見ながら答えた。
「どうぞ、ごゆっくり御覧ください」
綺麗な水色の宝石をあしらったシンプルなネックレスがあった。
ジェシカに似合うだろうな…
「トニー、それはアクアマリンだよ」顔をあげると、スティーブだった。
「そうなんだ…綺麗だな」
「お客様、こちらのネックレスは石を替えることも可能です。料金は宝石のお値段に1割増しになりますが…よろしければ御希望の宝石で造り替えますよ」
店員が話しかけてきた。
「どのくらいの日数がかかりますか?」
「御希望の宝石の在庫次第ですけど…在庫があれば今日のご注文で明日の午後には」
店員が答えた。
今夜と明日のライヴで明後日には、移動で、この国を出発するから在庫があれば時間的に余裕だ。やっぱりブルートパーズがいいな…バンドの名前だし、何よりジェシカの瞳みたいだから。
「ブルートパーズ、ありますか?」
「少々お待ちください。確認してまいります」
トニーは店内を、ぐるりと見渡した。スティーブは指輪を見ながら店員と話していた。
指輪…ジェシカはピアノを弾くから…指輪って邪魔になるだろうか…
「それでは、包装致しますので少々お待ちください」店員はスティーブが渡した現金を受け取った。
「スティーブ、指輪買ったの?」
「お、おう。まぁな」
「彼女にお土産?」
「イヤ、土産というか…結婚指輪だよ。このワールドツアーが終わったら結婚するから、さ。もうプロポーズはOKしてくれたんだけど指輪まだだったから。ちょうど気に入ったデザインが見つかったし。トニーは彼女のプレゼント決まったのか?」
「うん、宝石があれば作ってくれるっていうから在庫の確認待ち」
「お揃いのペアリングとかでも、いいんじゃないか?」
ペアリング!
トニーは雷に打たれたような衝撃を受けた。ペアリング…ジェシカとお揃いの。
「でも指輪ってピアノ弾くのに邪魔かなぁって思ってさ」
ジェシカのことを思って自然に顔が緩むのを感じながらもトニーは言った。
「演奏する時は判らないけどデートの時には指輪着けてくれると思うよ。在庫、あるといいな。じゃあ会場でな」
「うん、ありがとう。後でね」
スティーブは店員から商品を受け取り颯爽と店を後にした。
「お客様、大変お待たせいたしました」
店員が小さなケースを手に持ってきた。
「こちらが当店のブルートパーズの在庫です」
淡い水色から濃い水色まで5種類あり、トニーはジェシカの一瞳に一番似た濃い水色を選んだ。
「それから…あ、あの、ペアリングって、ありますか?」
トニーは言ってからジェシカの指のサイズを知らないことに気付いた。
「こちらにございます」
店員は案内してくれたがジェシカのサイズが判らない。
…まぁジェシカに連絡して、さりげなく指輪のサイズを聞いておいて次に行く国のジュエリーショップで見てもいいよな…。
「お客様、お相手の方に手と鉛筆が写った写真を送って頂くことが可能でしたら私、サイズの特定が可能ですが」
トニーの様子を悟り店員が提案してくれた。
「本当ですか?連絡してみます!」
他の国のジュエリーショップでも、と思ったがトニーは気に入ったデザインをショーウインドウに見つけていた。
トニーはジェシカに電話した。
「トニー、どうしたの?」
「ジェシカ、突然ごめんね。指のサイズ判る?薬指、薬指の」
息急ききってトニーは訊いた。
「え?知らないわ…どうして?」
トニーはジェシカに手と鉛筆を写して送って欲しいと頼んだ。
「解ったわ待ってて」
ほどなくジェシカから画像を添付したメールが届いてトニーは店員に見せた。店員はサイズを特定した。トニーはネックレスとペアリングの料金を払って領収証を受け取り、商品は明日、受け取りに来ると約束してライヴ会場に向かった。
鉛筆と私の手の写真なんて、どうするのかしら…トニーからの不思議な電話のあと、ジェシカは街へ出かけた。ドラッグストアに入り店員に睡眠薬の場所を尋ねた。
「処方箋がないと強い効き目の物は売れないんですよ…眠れませんか?」
「それなら処方箋がなくても買える睡眠薬をください」
ジェシカは睡眠薬を購入した。
弱い効き目の物でも一瓶全部、飲んでしまえば大丈夫よね…
ジェシカは部屋に戻るとドレッサーの引き出しの中に睡眠薬を入れて瓶の上にお気に入りのハンカチを載せて隠した。トニーが帰ってくるまで、まだ2ヶ月以上ある。それまで悔いが残らないように過ごそう。ジョージがくれた休みの大半をジェシカはピアノの練習に費やした。ピアニストの夢を諦めることにしても弾かないでいられなかった。
ピアノを弾くことはジェシカにとって呼吸をするようなものだった。
午前中、ひとしきり練習が終わってジェシカはマリアに電話した。
「まぁ!ジェシカなの。あなたから電話してくれるなんて嬉しいわ。ジョージさんから聞いたかしら?遊びに来てくれたら嬉しいわ。明日とか予定あるの?」
「何も予定はないんです。ピアノの練習するくらいですから。遊びに行っても構いませんか?」
「もちろん!遊びに来てくれたら嬉しいのよ。それに大切な話もあるの。そろそろ私から電話しようと思っていたところなのよ」
マリアは直接話したいからと言ってジェシカと約束をした。
翌日、ジェシカはダンバー邸を訪ねた。
マリアはお手製のアップルパイを出してくれた。
「いつもありがとうございます。この間も…せっかく、お店にいらして頂いたのに失礼してすみませんでした…ジョージおじ様もアップルパイ美味しいって言っていました」
「気にしないで。最近は体調は大丈夫?」
「はい、最近は元気です」
マリアは微笑み、ジェシカに紅茶を淹れて勧めた。
「良かったわ。話というのは、ね…ジェシカ、あなた音楽ホールでピアノを弾いてみない?」
「音楽ホール、ですか…」
「そう、この街にある音楽ホールなの。二百人くらい収容できる小さなところなのだけど」
マリアは、ゆっくりお腹をさすりながら、ジェシカの向かいに座った。
「あのね、実は私、赤ちゃんを授かったのよ…」
「えっそうなんですね。おめでとうございます!」
「ありがとう。それで妊娠が判る前にホールでのリサイタルを予定していたのだけど…2ヶ月先の日程なの。そうすると、妊娠5ヶ月目になるしお腹も目立ってくるしピアノの演奏も難しくなると思うのよ。初めての妊娠だからロバートが、リサイタルは止めた方がいいって、毎日電話してきてうるさいし…まぁ心配してくれてのことなんだけど…」マリアが微笑みながら言った。
「本当に私で、いいんですか?」
「あなただから、よ。キャンセルしようかと思ったけど、あなたに出演してもらえたら嬉しいわ…代理を、お願いできるかしら」
「ありがとうございます…とても光栄です。だけどレストランでの演奏もあるし、ジョージおじ様に相談しますから即答は出来ませんけど…」
「実はね、ジョージさんには許可を頂いたのよ。あとは、あなたさえ良ければなの。ホール側からもピンチヒッターOKもらったのよ」マリアはジェシカに紅茶のお代わりを注いだ。
──音楽ホールでリサイタルさせてもらえるなんて思ってもいなかったことだわ…だけど…私、大丈夫かしら…でも凄く嬉しい。私次第なら、引き受けさせて頂こう。あと僅かの人生だもの。悔いが残らないように。
「マリアさん、ありがとうございます。是非、出演させてください」
「良かった!ありがとうジェシカ。当日は私も聴きに行くわ」
それからは、目まぐるしく忙しくなった。リサイタルとはいってもロビーコンサートで時々共演するヴァイオリニストにも共演をお願いした。
ジョージは張り切ってポスターやチラシを印刷してレストランに貼り、チケットもレストランで販売した。チケットは瞬く間に完売した。
──凄いわ…私の人生のフィナーレとして神様が応援してくれたのかしら。
「えっジェシカのリサイタル?俺も!俺も観たい!聴きたい!行くよ。ワールドツアーから一時帰国するっ」
トニーから電話がきてジェシカがリサイタルさせてもらうことを話すとトニーが行きたいと言い出した。
「マリアさんの代役ということで突然頂いたお話だったの。それにトニーはワールドツアーの最中じゃない。一時帰国なんて」
「日程を見て調整する。いつなの?」
ジェシカが日程を言うと、トニーは電話口で嘆いた。
「俺らが帰国する2週間前か~しかも同じ日にライヴだ。飛行機と汽車を乗り継いでも遠いし何より時間的に無理だ。体2つ欲しい」
「トニー、その気持ちとても嬉しいわ。遠く離れているけど、お互いに頑張りましょう。それに、ジョージおじ様が録画するって張り切っているの」
「わかった。それをDVDに焼いてもらって、俺繰り返しガン見するから」
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