第21話 導火線
先陣を切るのは十蔵だ。
「源田殿、準備を」
言うが早いか、十蔵が卵の群れへ斬り込みにかかる。高く尻を構えたメスが低く“フシュー”と唸り、ぬめりを帯びた尻尾で迎撃しようとするが、十蔵の剣閃は卵を次々に叩き割っていく。粘液と血が飛び散り、卵の殻が崩れていく。
その隙に源田が両手で卵を抱え込み、大きく身を翻して奥の通路へ駆け出す。
「ほら!こっちだ!化け物め!! お前の大事な卵を返してほしいだろ!!」
源田が足音を立てて走ると、メスは呻くように叫び、尻を揺らして源田を追おうとする。視界にとらえているのは自分の卵を抱え去る男がだけだ。十蔵の考えたとおり、荒木や十蔵から背を向ける形になった。
「荒木殿、今だ!」
十蔵が鋭く叫ぶ。荒木は刀を抜き払ったままメスの背後へ疾走し、盛り上がった尻の合わせ目を狙う。
むき出しになった粘液のヒダをガッとこじ開けるように斬り裂くと、甲殻の間から生温い血や汁が噴き出し、あたりが嫌な匂いで満ちる。メスが苦しげに“フシュー”と叫ぶが、もう遅い。尻には亀裂が走り、内部の空洞が覗いた。
「おキヌ殿、急げっ!」
荒木が振り返る。おキヌは火薬袋を手に振りかぶる。火のついた導火線がジリジリと音をたてて燃えている。
──もらった!
おキヌは勝利を確信した。火薬術は里では何度も何度も繰り返し訓練されてきたことだ。体に染み付いている。火薬袋の重さ、導火線の長さ、そしてにおい、全てが想定どおりだ。自分が全てをコントロールできる世界線におキヌはいた。
しかし──
想定外なのは、自分の身体だった。本来なら立つことすらできないほどの手負いの状態にもかかわらず、なんとか乗り切ってきたのだが、投げようと踏ん張った右足に深い痛みが走る。もう気持ちでどうにかなるレベルはとうに超えていた。
「ぐふっ……」
おキヌの口から血が噴き出る。それでも、おキヌは諦めない。大勢を崩しながらも投げようとするが……
バシン――!
メスの足が、おキヌの身体を容赦なく叩き飛ばす。。おキヌは岩へ激突してうずくまり、火薬袋が転がる。導火線は短く燃えつつある。もう爆破まで間がない。
荒木は歯を食いしばった。
(このまま爆発しては落盤は必至、運良く化け物を道連れにできたとしても、我らは全滅。俺はいい。しかし、おキヌ殿だけは……おキヌ殿と腹の子だけは守らねば!)
荒木は火薬の爆発を食い止めようと、チリチリと火花を散らす導火線めがけて飛びついた。
しかし──
“フシュー”と甲高い呼吸が響き、化け物の尻尾が一気に振り下ろされた。荒木はとっさに身を翻すが、鋭い腕が彼の左腕を貫く。
痛みと衝撃で視界が霞む。体が地面に釘付けにされ、火薬袋まではあとわずかに届かない。
「くっ……離せ……!」
まるで死神に羽交い締めされたかのようだ。荒木は刀を必死に握り、拘束された腕に向けて振り下ろした。
刃が自分の肩口を断ち切った瞬間、思わず声にならない叫びがこみ上げた。焼けつくような痛みが全身を駆け巡る。自分の腕が体から切り離され、ぼとりと落ちた。血が尋常ではないほどに噴き出して床を濡らす。今にも目がくらみそうなほどのめまいが襲ってくる。
(くそっ、体よ動け……!)
転がるように火薬袋へ手を伸ばす。だが導火線はもう数寸も残っていない。
荒木は息をのんで――ふと天を仰ぐ。
(父上、それがしに力をお貸しくださいッ!)
それは叫びというより啜り泣きに似た咆哮だった。腕を失った激痛をこらえ、荒木はついに火薬袋をつかむ。
(消せればいいが、もう燃え尽きる……いや、どうする――)
「荒木殿ッ!」
十蔵の声が荒れ狂う響きの中を裂く。見ると、十蔵が化け物の下腹を深くえぐり、殻と内臓の合わせ目を抉っていた。ドロリと粘液が噴き出し、わずかに空洞が覗く。
(やるしかない――)
導火線の残りはほとんどない。
荒木は残った右腕に力を込め、ふらつく足を地面に差し込むように一歩ずつ力強く間合いを詰める。そして、火薬袋を力任せに突き刺すように化け物の傷口に押し込んだ。
化け物が悲鳴をあげ、尻を振り回して最後の抵抗を見せるが、十蔵と源田が一瞬の連携で斬り込みを入れる。尻の裂け目から火薬がぐっと奥へ引き込まれた刹那――
ドォンッ!!
腹の内側で火薬が爆ぜ、凄まじい衝撃と粘液の飛沫があたりに散りばめられる。
荒木は腕の激痛にこらえつつ、もう一度地面を転がって後退を図る。間一髪、天井ががたつくものの落盤には至らず、化け物の断末魔だけが洞内に響いた。
“フシュー”……ギギッ……
呻き続けるメスの尾が痙攣を起こし、硬い甲殻ごと内部から破裂した血液と臓物が床を染め上げる。周囲は土煙で視界が悪い。
(倒せたのか……?)
荒木は血にまみれながらも、おキヌの姿を探す。一瞬、岩陰におキヌの細い腕が見えた。荒木は駆けつけたいが、もう体が言うことをきかない。動かない彼女のもとへ、源田が駆け寄る。
「大丈夫か!?」おキヌは動かない。
十蔵が化け物の残骸を睨みつけたまま微動だにせず、警戒をとかない。
「油断は禁物」
一同が息を呑むなか、化け物の咆哮は次第に弱まり、ついに尻尾が地へと崩れ落ちた。
――これで終わったのか、それとも……。
荒木は朦朧とする意識のなかで、父上の名をもう一度呟き、手の中の刀を握りしめる。血の匂いと土煙の向こうで、化け物の陰がまだ蠢いていた。
バリバリバリ──!!
耳を擘くような音がこだます。
「まだ、生きておるようだの」十蔵が言った。
次第に土煙が収まってくると、次第にその姿があらわになる。あの巨大なメスは、産卵のための巨大な尻を脱ぎ捨て、スリムになった体をくねらせていた。その姿はまるでおぞましい顔をした巨大なムカデのようだった。
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