第19話 民のため

村上は淡々と隊員たちに言って聞かせた。


「みんな、火薬袋を背中に巻き付けてくれ」


「なんと?」


「そして、一人ずつ一気に間合いを詰め、化け物の懐に入る。歴戦のお主たちならできるはずだ。そこを新式リボルバーで狙い撃ちし、化け物もろとも粉々にする」


「に、人間爆弾ではないですか? なぜ、わざわざそのような……」一番若い隊員が唇を震わせて言った。


「いたずらに岩盤の上に爆薬を置いて爆破すると、すぐさま落盤して生き埋めだ。が、化け物の懐で爆破できるならどうだ?」


「化け物の体が盾となって衝撃が抑えられ、落盤を回避できる……」年配の隊員が独り言のように言った。


「そうだ」村上が頷いた。


村上の提案はあまりに突然で、あまりに凄惨だった。それでも追い詰められた竜義隊の面々は、目を伏せて一瞬だけ呼吸を整え、すぐに頷いた。化け物たちはなおも増え続け、撃ち殺した仲間の血を踏みにじるように闇へと蠢いている。


「村上さん、確かにそれは地獄だ。だが、確実な方法だろう」


「俺はいいぜ。もはや腹は据わってる。先に散るだけさ」


 薄暗い炭鉱の一角で、そう呟いた隊員たちの瞳には一点の曇りもなかった。


「……ただし、狙撃手は村上さんがやっていただきたい」


「そうだ。あんたがこの中で一番射撃が上手い。しかも正確だし、冷静だ。もし撃ち損ねて火薬が暴発したら、ただの無駄死にになる。俺らが行くなら、あんたの腕を信じたい」


「それに……あなたに撃たれるなら納得できる。納得して死ねます、村上さん」


「……わかった」


 短く答えると、村上はゆっくりと腰に装着した新式リボルバーに触れた。何度となく手入れしてきた武器が、冷たく重い感触を返す。


「では、頼むぞ!」


 村上がそう宣言したとき、すでに数匹の化け物がこちらを狙い、“フシュー”という息遣いを高めていた。荒れ狂う尻尾や爪が壁を叩き、奇妙な反射を伴いながら血塗れの炭鉱床を爪先で蹴る。隊員たちは互いに視線を交わし、火薬袋を自らの背に巻くと、刀を抜き払って一気に踏み出した。


「いざ……!!!」


 先頭の一人が雄叫びを上げ、化け物の懐へ飛び込む。刀が閃き、甲殻の隙間を狙うが、激しく暴れる化け物の反撃で、瞬く間に腕や脚を切り裂かれていく。その間、村上はすでにその背中へ視線を据えていた。そして、その隊員は化け物の一瞬の隙をついて、長い手足の間から身体を滑り込ませた。


 バン――!


 リボルバーの火花が暗闇を切り裂く。銃声は相変わらず辺りを震わせるが、村上の腕は微動だにせず安定していた。狙いは正確。刀を振るう隊員の背に縛られた火薬袋へ、弾丸がぴたりと吸い込まれていく。次の瞬間、爆炎が炸裂し、化け物と隊員をまとめて吹き飛ばす。その一瞬、粘液の塊と血飛沫が混ざり合い、炭鉱の天井へ飛び散る。


「ひっ……」

「くそ……!」


 周囲の隊員が目を背けそうになるが、村上は躊躇なく次を撃つ。別の隊員が化け物の足元へ潜り込み、必死で刀を振るう。ひと薙ぎのあと、厳しく鍛錬された身体がしなやかに動き、化け物の懐へと入る――


 バン――!


 放たれた弾丸がまたしても火薬袋を射抜き、凄まじい衝撃が化け物の巨体を吹き飛ばす。背後で見守る吉六は、その光景に震え上がりながらも、村上の表情を見てさらに肝を冷やした。そこには微塵の動揺もなく、無機質な瞳が引き金を引き続けている。


「村上さん……やっぱり、あんた鬼だよ……」


 吉六が唾を呑み込みながら呟いたそのとき、村上の頬をスッと一滴の涙がこぼれ落ちた。表情は動かないままだった。


「いや……あんた、鬼じゃねえ……あんたは血の通った人間だよ……村上さん」


 村上が三発目、四発目と迷いなく撃つたびに火薬袋を背負った侍たちが爆煙の向こうへ散っていく。化け物の残骸と膨大な血臭が渦巻き、炭鉱全体が不穏に揺れるほどの衝撃が何度も起こる。


バン――!バン――!バン――!


 隊員は次々と消え、数えること十匹もの化け物が粉々になって散ったとき、そこには村上しか残らなかった。鼻を刺す硝煙と鉄錆の臭い、粘液が染み渡った床に、失った仲間の刀だけが無惨に転がっている。


 そして、化け物の残りは……一匹。

 よく見ると、その化け物も体躯が大きく傷つき、甲殻がひび割れているが、それでもなお不気味な呼吸を“フシュー”と吐きながら村上を見据えていた。


 村上は火薬袋を手のひらで確認し、もう誰もいない周囲をぐるりと眺める。生き残ったのは吉六だけだ。吉六は顔面蒼白で、震える足を押さえ込もうとしている。


「吉六……すまぬが、お前が俺を撃ってくれないか?」


 突然の申し出に、吉六は目を剥き出しにして後ずさった。

「す、すまねえ……お、おいらにはできねえよ、そんなこと……!」


 村上はうなずき、どこか安堵したような息を吐く。


「そうか。……お主は侍ではないからな」


 口調は淡々としているが、その瞳には微かな笑みが宿っているようにも見える。彼は火薬袋を一つつかむと、自らの口にくわえると、刀を抜き払った。


「……化け物よ、付き合ってもらおう」


 最後の一匹が咆哮を上げ、姿勢を低くする。村上が地を蹴った瞬間、三度上がる衝撃と血の噴出。しかし彼は怯まない。まるで鬼神のように刀を振り回し、化け物の懐に飛び込んでいく。


 化け物の鋭い手が閃光となり、村上の左腕を切り落とした。


「おぉおおおおお!」それでも村上はひるまない。まさに鬼神のごとく、化け物に襲いかかる。


 その姿を見ながら、吉六はただ涙が止まらない。


「村上さん!」やっとのことで声を絞り出した。


 だが村上は、振り向かず、火薬をくわえたまま、右腕一本で化け物の胸元へ刀を突き込む。見事に刀が化け物の体を切り裂いた。すぐさま一撃をくらった化け物は反撃に転じる。四方を細長い甲殻類の腕に囲まれ、身動きのできない村上は、それを避けることはできない。そして自分の首筋に鋭い爪が食い込み始めた瞬間、リボルバーをぐっと頭上に掲げる。

 最後に目を伏せ、心の中で静かに呟いた。


──これで民のためになりましたか……源田隊長


バンッ。


 凄絶な爆発が、暗闇の炭鉱を震わせる。閃光と衝撃波が火薬と化け物の血肉をまとめて弾き飛ばし、粘液や破片が四方に散っていく。見る見るうちに天井から土砂が小さく降り、硝煙が立ちこめて周囲が霞む。


 硝煙がわずかに晴れた頃、吉六は何も言わず呆然とその場に膝をつく。あれほどの衝撃を生み出した中心には、人の形はもう見当たらない。

 ただ、仄暗い炭鉱の床に転がる刀の破片が、村上の最期を物語っていた。


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