第15話 無惨な姿
重々しい扉が開いてしまった“船”らしき物体の前に、十蔵たちは陣形を固めつつもしばらく待ち構えていた。
ドアの奥からときおり「フシュー……」という低い呼吸音が聞こえるが、それ以上の気配はなく、化け物が飛び出してくる様子もない。半ば拍子抜けするような沈黙の時間が、かえって不気味さを増幅させる。
十蔵が周囲を警戒しながら、ドアの内側へ視線をやる。緑色の淡い光が照らす通路は、左右に曲がりくねっているのか、それとも奥へ大きく広がっているのか、外からでは判別しがたい。ぼんやりとした輝きと、粘液のようなものが滴る雰囲気だけが伝わってくる。
「妙だ」
源田半之丞が低く唸る。
一方、吉六は口元を押さえて震えている。彼が誤って押してしまった“ボタン”のような突起が、今や開かれたドアの脇で微妙に盛り上がっており、何か生きているかのように呼吸を繰り返しているようにも見える。
「こんなに時が経っても化け物が出てこないということは……」
荒木が松明を握りしめながら言葉を探す。人間を見つけるや否や襲いかかってきた化け物たちを知るだけに、この沈黙は異様だった。
「もしかして、寝ているのかもしれぬ、の。あるいは、何らかの理由で動けないか……」
十蔵がそう口にすると、源田はわずかに眉をひそめて頷く。
「仮に寝ているならば、今が化け物を倒す好機ということか。――林原さまに報告する前にここを爆破してしまう手もあるが……」
その言葉に荒木は咄嗟に反論した。
「火薬を使えば、この地下全体が崩落するかもしれませぬ。そうなれば我々も無事ではいられますまい。それに……」
荒木の視線には、“もしおキヌ殿がこの中に囚われているなら”という切実な思いがにじんでいる。
「うむ、爆破は最終手段だ。まずは奴らがどういう状態か探らねば」
源田が隊員たちを見回す。全員、緊張に押しつぶされそうな顔で首を縦に振った。みな心は一つのようだ。
「では、潜り込むしかないな。俺と和辻、そして荒木。3人で行く」
「た、隊長! 我らは……」隊員たちが不満そうに声を上げた。
「慌てるな。お前たちの任務の方が厳しいかもしれんのだ。いいか、聞け。お前たちも感じているように化け物はあと1匹ということはないだろう。何匹かは知らんが、複数であると見た方がいい。となれば、全員で中に入ったらどうなる。中にいる化け物と外から戻ってきた化け物で挟み撃ちだ。だから、お前たちは背後を守れ。そして、万が一の時に備えて爆破の用意も忘れずに、だ。敵の攻撃が防ぎきれない場合は、躊躇なく火薬を使え。俺たちがどうなろうと構わん。お前たちも覚悟しておけ。いいか、忘れるな。俺たちの任務は化け物を殲滅することだ。民の生活を守ることだ」
隊員たちはどこか腑に落ちない顔をしていたが、任務を与えられた以上、従うしかない。
「では、行こうかの」十蔵の言葉で3人が扉の中へ入っていった。
十蔵は鯉口を切り、荒木は刀の柄を握り直す。慎重に足を踏み入れると、そこには独特の匂いが漂っていた。鉄や血の匂いとも違う、粘液が蒸れたような甘酸っぱさと薬品めいたツンとした刺激が混ざり合う。
足場はややぬかるんでおり道がうねりながら続いている。ところどころ緑色の光を放つ突起や溝があり、まるで血管のように通路全体を走っていた。三人が歩くたび、ぬちゃり……という水音にも似た不快な響きが足元を包む。
「まるで生き物の体内に入り込んでいるようだの……」
十蔵が顔をしかめる。
荒木は松明を高く掲げて照らそうとするが、光がねじれた壁に反射し、予想外の陰影を生み出すため、奥行きや方向がつかみづらい。
「とにかく、進むしかねえ」源田が言った。
岩でも板でもなく、何やら粘膜状の素材で隔たれた“壁”があちこちにある。まるで胎内のような入り組んだ構造だ。三人は顔を見合わせ、小さく頷いて一番手近な通路を選び、さらに奥へ進んでいった。
暗く曲がりくねった通路の先、ほんのり緑の輝きを放つ部屋のような空間に出ると、思わず全員が息をのむ。そこは人間の部屋とはまるで違うが、確かに“区切られた空間”があり、そこかしこに歪な道具とも形容し難いものが置かれていた。
「……なんだこれは。道具……か?」源田が言った。
「おそらくは。何に使うかは皆目検討もつかんの」さすがの十蔵も目を丸くしている。
「人間の作ったものとは違いすぎますが……」
荒木が刀を構えつつ、近くに転がっている“何か”を見下ろした。金属めいた光沢と、粘膜のようなヒダが組み合わさったそれは、棒のようでもあり、動かない機械のようでもある。柄を持つ刀とも似ていないし、槍や大筒とも違う。不気味なほど曲線的だ。
壁際には、まるで椅子のような形をした盛り上がりがあり、その上には乾いた粘液の痕がこびりついている。少なくともただの野生生物の巣とは違う“生活感”がある。
「化け物に知能があるということか……?」
源田は恐怖と怒りが入り混じった声を漏らす。「何を企んでやがる……」
「フシュー……フシュー……」
遠くの方から、例の呼吸音がかすかに響いてきた。
三人はさらに慎重に進んで別の通路へ出ると、そちらの壁にも部屋の入り口らしきものがいくつも点在していることに気づいた。
「ここから音がします……」
荒木が一つの入り口を示した。鞘で粘膜をそっとつつくと、ビヨンと弾力を伴ってたわむ。勇気を振り絞って刀で切り裂くと、ずるりと解けるように開口部ができ、緑の液体が滴った。
部屋の中へ足を踏み入れるや否や、荒木は息を止めた。そこは先ほどよりも狭い空間だが、隅に大きな繭のような塊が並んでいる。そして何やら黒っぽい粘液を溜めた器状のものもあり、ぶくぶくと泡が立っている。
「これは……奴らの寝床か?」
十蔵が口を引き結びながら、繭の一つを刀の柄で突いてみる。すると、中で液体が動くような音がした。
「ひでえ匂いだ。その黒い汁はおそらく……」
源田は思わず目を逸らす。かつて京に上った時に、数十人もの侍が処刑された河原を通りがかったことがあるが、その時に同じ匂いをかいだ。源田は確信していた。このドス黒い液体は人間の体が溶かされたものだ。肉塊のようなものが中に囚われているのではないかと想像するだけで、吐き気が込み上げる。もしここが“巣”だとすれば、人間は栄養源にされているのかもしれない……。
「……荒木殿、今、何か音がしませんでしたか?」
十蔵が背後を振り向く。その瞬間、荒木は別の入り口の先からかすかなかき乱すような物音を聞きとった。人間が動くような音……かすれた呼吸を混ぜたか細い声が聞こえた気がする。
「人か!? こんな場所に……」
荒木は叫びそうになった声を飲み込む。辺りに化け物がいるかもしれない以上、大声は禁物だ。刀を握る手が自然と汗で湿ってくる。
彼は勢いでそちらへ駆け出そうとするが、源田が低く「待て」と制した。
「何があるか分からん。慎重にな」
頷いた十蔵が行灯の火をかざし、荒木の肩越しにそろそろと奥を照らし出す。そこはまた別の小部屋らしく、外と同じ緑色の脈動が壁を満たしているが、一角が乱れたように粘液が剥がれていた。
そして――そこに倒れ込むようにして横たわる一人の人間の姿が、荒木の目に飛び込んできた。
「お、おキヌ殿……!?」
荒木は息を飲み、松明の光をさらに近づける。倒れているその女は、紛れもなく行方不明だったおキヌだ。だが、衣服がほとんど溶け落ちて布切れ同然になっており、肌がむき出しのまま惨い粘液に染まっている。月夜に偶然、おキヌが行水していたところを見てしまった時の記憶が蘇る。体の無数の傷が痛々しくてたまらない。
「なんてことだ!」
荒木はおキヌの側まで駆け寄った。恐る恐る肩に触れると、微かに温もりがあり、細い呼吸が聞こえる。かろうじて息があるのだ。
「おキヌ殿……しっかり!」
荒木は自分の着物を素早く脱ぎ、おキヌの身体に巻き付ける。意識はないようだが、胸はわずかに上下している。溶けかかった鎖かたびらの破片が床にまとわりついており、まるで化け物の粘液か何かで分解されたかのようだ。
「息がある……良かった。源田殿、和辻殿、早くここから連れ出して――」
振り返ろうとした荒木が、背後の通路へ視線をやった瞬間、ゾクリと全身が凍りつく。奥の薄暗がりの方で、確かに“何か”が動いたのだ。
“フシュー”という低い呼吸が耳を突き抜け、ねっとりとした気配が部屋に入り込む。視線は捉えられないが、巨大な異形が壁を這うかのように接近しているかもしれない。
(まずい……こいつが化け物の巣ならば、奴らが戻ってくるのも時間の問題だ)
荒木はおキヌの裸同然の身体を支えながら、じわりと後退りした。
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