第44話 突然炎のごとく

 陽ちゃんが行方不明になったと知らされた志水家の三人──父親の晴哉さん、母親の日菜子さん、そして花南ちゃん──は、かつて暮らしていた姫ヶ瀬市へとすぐに駆けつけた。

 何日も続けて眠れぬ夜を過ごし、あげく捜索の打ち切りを告げられてひどく落胆するだけの結果になってしまったのだ。


 わたしは花南ちゃんと目も合わせられなかった。

 心の奥底まで見透かされ、「なんでいっちゃんだけがのうのうとそこにいるの」と視線だけで詰られてしまいそうな気がした。

 葵ちゃんの持っていた力を間近で目撃した彼女なら、兄の不在がどういうことなのか、おそらくは直感的に理解しているだろうから。


 結局ろくに言葉を交わすこともないまま、志水家のみんなが慌ただしく家へと戻っていくのを重苦しい空気とともに見送るしかなかった。

 だけどそのままですませていいはずがない。


 ずっと自問し続けていたわたしは一週間前、衝動的に志水家へと向かった。

 あちらのご両親にアポイントをとることなく、お父さんやお母さんにも相談することなく。


 以前に陽ちゃんから現在の住所を教えてもらっていたのを頼りに、見知らぬ町を歩き回ってどうにかお昼過ぎには探し当てることができた。

 綺麗なマンションが何棟も建ち並んでいるせいで最初は部屋を間違えてしまったのだが、それは置いておこう。


 表札に「志水晴哉 日菜子 陽平 花南」と記されているのがやけに悲しくて、とっさに目を背けてしまう。すぐにわたしはインターホンのボタンを押した。

 しばらくして「はい……」と警戒気味の声が返ってくる。


「あ、あの」


 わたしが言い淀むと、助け舟のように「もしかして、泉さん?」と訊ねてきた。

 こちらが返事をするとしばらくして玄関のドアが開かれた。

 いらっしゃい、と揃って出迎えてくれたのはおじさんとおばさんで、そこには花南ちゃんの姿はなかった。頑張って学校に通いだしたのだそうだ。


「散らかったままでごめんなさい」とおばさんが口にするが、連絡も寄越さず急にやってきたのはわたしの方だ。

 それに室内はとても片付いていた。どこにも生活の匂いがしないほどに。


 パステルカラーのソファーがある居間へと案内され、勧められるがままに腰かけた。ここまで来ておきながら怖くて逃げだしたくてたまらない。

 そんな臆病な自分の心臓を頭の中でぎゅうっと握り潰して喝を入れる。


「飲み物、何がいいかしら」


 おばさんが声をかけてくれたのを丁寧に断って、いきなり「今日はお話があって来ました。陽ちゃんと葵ちゃんに関する、とても大事なお話です」と切りだした。


 二人を前にし、わたしは堰を切ったように話しはじめた。

 とてもとても長い話だった。四年前のレイニー・デイのこと、花南ちゃんが誘拐された二年前のレイニー・デイのこと、常盤くんが語ってくれた一部始終、そしてあの日のこと。

 信じてもらえるかどうかなんてわからない。それでも黙っているわけにはいかないのだから。


 おじさんもおばさんも、時折相槌を打つくらいで話を遮ることはせず、じっと耳を傾けてくれていた。

 いなくなってしまった陽ちゃんにせよ、ずっとずっと沈黙を保っていた花南ちゃんにせよ、そこまで追いこんでしまったのはわたしたち姉妹だ。

 葵ちゃんがいない今、その責のすべては双子の片割れであるわたしが負わなければならない。どれほどひどく罵られようとも、それは当然のことなのだと覚悟はしているつもりだ。


 すべてを話し終えたときにはすっかり上気していたわたしに、ようやくおじさんが一言だけ口にする。


「陽平らしい」


 そして傍らに座るおばさんへ「な」と同意を求めた。

 でも彼女はハンカチで目のあたりを覆い、何度も黙って首を横に振るばかりだ。

 おじさんがおばさんを優しく抱き寄せ、髪をそっと撫でる。陽ちゃんが大人になったらきっとこんな感じだったんだろうな、と思わず想像してしまう。

 ひとしきりおばさんが落ち着くのを待って、再びおじさんは口を開いた。


「泉さんが話してくれた内容は、にわかには信じがたい部分も多い。でも、きっとそうなのだろうなと納得させるだけの鬼気迫るものがあったよ」


 ただね、と後を続ける。


「あいつは意外なほどしぶといやつなんだ。私に似て。いつか必ずひょっこり葵ちゃんを連れて戻ってくる、私たち家族はそう信じているよ」


 わたしにはそれ以上何も言うことができなかった。陽ちゃんはもうこの世界のどこにもいないだなんて、そんなの重ねて言えるはずがない。

 取り返しがつかないって言葉の意味を今さらのように実感し、ほとんど鉛も同然の重い体を引きずって帰路に着いた。


 あれから一週間というもの、まったく気力が湧かずただひたすらぼうっと宙を眺めて過ごすだけの日々が続いている。

 そんなところへ届いた花南ちゃんからの手紙だ。あまりの緊張に、全身が一気に脈打ちだしたのがわかるほどだった。


 誰もいない静かなリビングで、震えながら手紙の封を鋏で切る。中にはにじんだような花火の絵をプリントした便箋が折り畳まれて入っていた。

 何度も何度も深呼吸を繰り返し、ようやく広げた便箋へと目を落とす。


『泉さんへ。でもこれだと少し堅苦しいので、失礼かもしれませんが前みたいにいっちゃんとお呼びします。

 先日、わざわざうちまで来ていただいてありがとうございました。父と母も喜んでいましたし、兄のことを詳しく聞けてよかったと話していました。

 でもひとつだけ、謝らなければいけないことがあります。あのとき本当はわたしもいたんです。でもいっちゃんに会うのが怖くて、ずっと部屋に閉じこもっていました。勇気がなかったんです。

 兄とあおちゃんがいなくなった直後もそうでした。不安で押し潰されそうだったからこそ本当はいっちゃんとたくさん一緒にいたかったのに、一方ではそれがとても怖くもあったのです。

 誘拐されたわたしのせいでいろいろなことが悪い方向へと転がりました。だからわたしはずっと秘密を守らなければならない、そう決めました。兄とわたしを助けるために誘拐犯を殺してしまった、あおちゃんの秘密をです。

 にもかかわらずわたしはとても不用意でした。兄が連れてきてくれた宮沢まどかさんと親しくなり、彼女が何度もうちを訪れるにつれ気が緩んでしまったのです。

 雉も鳴かずば撃たれまい。心に誓った通りわたしが黙ったままでいたなら、きっとあおちゃんといっちゃんと兄にはもっと違う結末がやってきたはずでしょう。

 わたしのせいです。一人だけ残されてしまったいっちゃんに対して、わたしは合わせる顔がないのです。

 本当にごめんなさい、いっちゃん。いつかまた会うときがあれば、そのときは改めてお詫びします。それまでどうかお元気で。   志水花南』


 これはいったい誰なのだろう。

 読み終えてまず思ったのはそれだ。


 わたしの知っている花南ちゃんは、いつでもにこにこしていて、兄である陽ちゃんのことが大好きで、彼の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねている、そんな女の子だった。こんな大人びた手紙とはとてもじゃないけど結びつかない。

 まだ中学一年生である花南ちゃんを、子供のままでいさせてあげなかったのは誰だ。きっとわたしだ。そして陽ちゃんと葵ちゃんだ。


 突然、わたしの中で怒りに似た感情が吹き荒れた。

 拾った鋏をフローリングの床へと投げつけ、近くにあった椅子を蹴り倒し、天板がガラスでできたリビングのテーブルを力まかせに引っくり返してしまう。派手な音を立ててガラスは割れた。


 ためらうことなく割れたガラスを素足で踏みつける。

 皮膚の裂ける鋭い痛みと血の生温かさとを足の裏に感じながら、わたしは考えた。葵ちゃんが〈かみさま病〉なのだとしたら、双子の妹であるわたしにだってその可能性はあるはずだ。

 あまりにも強く願うことで発症するというのなら、まさに今発症するべきなんだ。


 時間を戻せ。葵ちゃんも、陽ちゃんも、花南ちゃんも、誰一人傷ついていなかった頃に時間を戻せ。

 たった一度でいい、未来なんていらない。

 だから今、ここでその願いをわたしに叶えさせろ。


「戻れ、戻れよ! 時間を戻せったら戻せ! こんなのわたしは絶対認めないんだよ!」


 肩を上下させるほど荒く息を弾ませながら、何度も何度も繰り返しヒステリックに吠え続ける。

 なのに世界には何の変化も訪れなかった。無情にも。

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