第27話 オルタンシアにて〈1〉
唯さんの愛車であるモスグリーンの軽自動車がマンションの駐車場に停まっていた。店の扉とお揃いの色だ。
つい最近洗車されたばかりなのか汚れひとつ見当たらない。日差しを受けてボディは鈍い輝きを放っている。
緊張をほぐすため、葵やまどかには悟られぬよう静かに呼吸を整えていたおれの後ろで誰かが歩いてくる気配がした。
「あれ、陽ちゃん? ──と葵ちゃん」
泉の声だ。おそらく今までランチタイムの営業と片付けの手伝いをしていたのだろう。相変わらずの金髪姿だが、手には以前と同じ臙脂色の竹刀袋が握られていた。
そんな彼女へおれは軽く右手を上げて挨拶する。
「ういーす泉。今から剣道の稽古か?」
「うん。そうは言ってもまだ師範はこの髪を認めてくれないから、道場に行っても半ば自主練習みたいなものなんだけど」
「だったら戻せばいいのに。いいじゃねえか黒髪」
「ま、そのうちね」
悪戯っぽくウインクしてみせた泉だったが、その視線はゆっくりと見慣れないであろう少女へと移っていった。彼女の目が雄弁に「誰?」と問うてきている。
年上の人間に対しても物怖じすることのないまどかが先に口火を切った。
「ああ、この方が泉さんなんですね」
その声のトーンにはおよそ親愛の情というものがない。
「初めまして。星見台学園中等部一年、宮沢まどかです」
「うそ、三つも年下なの? 見えない、大人っぽい……。すでに知っているみたいだけどわたしは有坂泉です。えーと、中学浪人中、でいいのかな」
最後の言葉はおれに向けられていた。「自分で決めろよ」と投げやりに返せば、「じゃあとりあえずそうしとく」と身も蓋もない。
だがそんなやりとりが意外にもまどかの気を引いたようだった。
「へえ。いろいろと事情がおありのようですね」
「よくそう言われるんだけど、実は特にない」
「あはは、面白い方なんですね泉さん。あなたとなら仲よくできそうな気がします」
またしてもまどかが含むところのある話し方をする。
「今日、突然お伺いしたのはですね、有坂先輩や泉さんのご両親にお訊ねしたいことがあったからなんです。あたしにとって、とてもとても大事なことです」
真剣そのものの表情を見せるまどかに気圧されたか、再び泉が今度は説明を求めるような視線を送ってきた。
だからといって長々と立ち話をするわけにもいかないだろう。
「唯さんはお店の中?」
泉が頷く。
「お母さんは常盤くんと一緒にディナー営業の準備をしてるよ。今晩はまだ予約が入ってないからたぶん暇だって言ってたけどね」
ならちょうどいい、と思いはしてもさすがに口には出さない。
「悪いけどちょっとお邪魔させてもらうから」
「──わかった。そのかわりわたしも同席させてもらうからね」
「おい、稽古はいいのかよ」
「言ったでしょ、自主練みたいなものだって」
あっさりと足の向きを変えた彼女がおれの隣へとやってくる。
先頭にいた葵は特に何の反応も示さず、「じゃあ入るよ」とだけ告げて〈オルタンシア〉の扉を開いた。まどかもすぐに続く。
そんな二人の後ろ姿をおれとともに眺めていた泉が、あたりをはばかるように小声で話しかけてきた。
「葵ちゃん、どうかしたの」
「どうかって、何が」
「だって全然元気ないじゃない。いつもは鬱陶しいくらいなのに」
さすがに双子の妹、よく見ている。
「ま、調子は狂うよな」
それだけを口にして店内へと足を進める。どうせすぐにわかることだ。
こんにちは、と挨拶をすれば「やあヨウヘイ」と朗らかな声が返ってきた。テーブルにカトラリーを並べていた常盤くんが笑みを浮かべている。
キッチンからも水の流れる音とともに「いらっしゃい」と声がするので、唯さんも奥で仕事をしている最中なのだろう。さすがに辰巳さんはいないか。
葵、まどか、泉、そしておれ。手を止めて順繰りに顔を見遣った常盤くんがわざとらしく渋面を作ってみせる。
「んー、今日は初めて見る女の子がいるね。アオイやイズミに続いてヨウヘイの適当さに騙された子? かわいそうに」
「おおい!」
慌てて抗議の声を上げる。
その手の冗談は今日に限っては洒落にならないんですって。
それでもまどかは落ち着いたものだった。年上の男性によるからかいにもまるで動揺した様子はない。
一歩前に進み出て、軽く頭を下げる。
「お忙しい中、アポイントもとらず突然お訪ねして申し訳ございません。星見台学園中等部一年、宮沢まどかと申します。有坂先輩と陽平先輩には日頃から大変お世話になっております」
大人顔負けの立ち居振る舞い、そしてぬけぬけとつかれる嘘。
とてもじゃないがおれ程度じゃ勝てる気がしねえな、とあきらめ混じりの心境になっていたが、そうはいっても唯さんからちゃんと話を聞けば意固地になっているまどかだって考えを少しは改めるに違いない。
今月中、できれば今週末にでもまどかとともに花南へ会いに行こう。
予定が合えば宮沢先輩を誘ってもいいかな。というか、いてくれた方が気詰まりにならなくてすむ。
そんなことを想像していたおれの目の前で、まどかが挨拶の続きを口にした。
「付け加えておきますと、あたしは花南の友人でもあります。陽平先輩の妹の。皆さんよくご存知のはずですよね」
その瞬間、厨房でボウルか何かが落ちたらしい大きな金属音がした。
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