第25話 楔〈2〉

「相変わらず仲がよさそうで何よりです」


 まどかは明らかな社交辞令から切りだした。

 口を開こうとしていた葵を手で制し、彼女よりも前に進み出る。


「幼なじみだからな。で、何か用か」


「はい。お二人に少しばかりお時間をいただければと思いまして」


 物腰こそ柔らかいが、そのいつになく鋭い目からはこちらに拒否権を与えるつもりなどさらさらなさそうなのが容易に見てとれる。

 これはすぐに終わりそうもない、と腹を括るしかなさそうだ。


「悪いが葵、ちょっとばかしこの子と話さなきゃいけないことがあるから、どこかでコーヒーでも飲みながら待ってて──」


「あのねえ、お二人にって言ったのが聞こえませんでしたか? 有坂先輩にもいてもらわなきゃ困るんですよ。だって当事者の一人なんですから」


 ひどく攻撃的な調子でまどかがおれの言葉を遮ってきた。

 今、彼女は「当事者」と口にした。となれば用件は二年前の花南誘拐事件をおいて他にない。おれの背中を一筋の汗が流れていく。


 まだ数の少ない女子生徒同士だから会話を交わしたことがあるにせよ、さほど親しくはないであろう後輩から名指しされ、何事かわからず戸惑っている様子の葵へとそのまま矛先が向けられた。


「それにしても有坂先輩、いくらもうすぐレイニー・デイだからって、よくもまあそんなに浮かれていられますね。いちゃいちゃいちゃいちゃ」


 揶揄する響きしか感じられない、棘のある言い方だ。

 両手の四本指を真っ直ぐ揃えてまどかはそのまま手の平を上に向けた。


「楽しそうに学園生活を送っているあなたと違って花南はかわいそうに、ずっとあの事件を引きずってしゃべることさえできないでいるというのに」


「まどかッ」


 思わずおれは声を荒げる。油断していた。完全に不意を突かれた。


 え、という小さな声が耳に届く。

 恐る恐る視線を後ろへ遣ると、呆然とした表情で葵が路上に立ち尽くしていた。そう、彼女は花南が声を出せなくなったことを知らない。


 葵だけじゃない、泉もだ。

 これは志水家と有坂家とで出した結論であり、そもそもの提案者は花南本人だった。姉のように慕っていた葵と泉に、自分のことで責任を感じてほしくないというあの子の優しさであればこそ、おれはその意を汲んであげるべきだと考えてきたのだ。

 それがまったくの裏目に出た。


 だがまどかには想定内の反応だったらしく、薄く整った唇の端だけを上げて笑う。


「はは、そんなことさえもご存知なかったんですか。まあ大方、陽平先輩が自分の妹よりもあなたたち姉妹を気にかけてってことなんでしょうけど」


 こちらが何かを言おうとする隙も見せずに、続けて「そうそう」と口にした。いかにもわざとらしく。


「先ほどの言い方は正確ではありませんでした。話すことさえできないで『いる』ではなく、できないで『いた』とするべきでしたね」


 一瞬、全身が総毛立った。頭よりも早く体はまどかの言葉の意味を理解したのか。

 それでもおれは相変わらず愚鈍だった。


「『いた』……?」


「この場合における現在進行形と過去完了形の違いがどういう意味を表しているかくらい、成績の芳しくない陽平先輩にだってわかるでしょう?」


 皮肉に反応する余裕さえなく、かすれた声でまどかへと問いかける。


「それっておまえ、まさか」


「はい。たった一言だけでしたけど、花南はちゃんとあたしに声を聞かせてくれました」


「何て、あいつは何て言ったんだ」


 腕を組んで壁際へもたれかかったままの彼女に、息がかかってしまうほどの距離まで詰め寄った。

 下校時間とあって多くの生徒たちがちらりと横目で様子を伺っては通りすぎていく。だがそんなことを気にしている場合ではない。

 それでもまどかは小憎らしいほどに悠然と受け答える。


「落ち着いてくださいよ、陽平先輩。有坂先輩の見ている前でそんなに情熱的に迫ってこられても困りますから」


 胸のあたりを人差し指でとん、と押されておれもいったん彼女から距離をとった。


「お二人には快く思われないでしょうが、あの事件のことをいろいろと調べたんです。どうしても引っかかっていることがありましたからね。そしてあたしは一つの仮説を立てました」


「引っかかっていることとか仮説とか、おまえはいったい何の話をしている!」


 一向に核心となる部分へ触れようとしないまどかへ、年下の女の子に対してとる態度ではないと承知しつつも苛立ち混じりの声をぶつけた。


「陽平っ」


 後ろからおれのシャツの裾が引っ張られる。不安げな表情の葵を目にして、やっと自分が頭に血が上った状態であるのに気づく。

 そんなおれたちの様子を静かにまどかが眺めていた。


「このままでいいの」


 唐突で、かつこれまでの文脈をまったく無視した言葉だった。

 わけがわからず「あ?」と半ば喧嘩腰のような反応を返してしまう。


「だから、花南がそう言ったんですよ。あのとき本当は何があったのか、それを明らかにしてほしいと迫ったあたしに、花南は『このままでいいの』とだけ口にしたんです」


「どういうことだ……」


 おれにはまるで理解ができない。二年ぶりに妹が発したという言葉の意味が。

 このままでいい? 何も力になってやれなかった不甲斐ない兄が言うのもおこがましいが、そんなはずはないだろう。あるわけない。

 今のやりとりから気づいたことはないか、とすぐ後ろにいる葵へと顔を向けてみるも、彼女もただ力なく首を横に振るばかりだった。


「あなたたちに期待なんて最初からしていませんでしたが、それにしたって見当さえつかないんですか? あの子の優しさ、それ以外に何があると?」


 まどかの声はこれまでと違って怒気を孕んでいた。


「おそらくはすべてを目撃したであろう花南が、誰にも何も話しさえしなければそれ以外の人たちは何事もなかったかのように普通に生きていけるわけです。花南さえ沈黙に囚われていれば、ね」


 口元に人さし指を当てるジェスチュアとともにため息をつく。

 失望されるのは別にかまわないが、こんな謎かけみたいな会話に付き合わされるのにはもううんざりだ。

 もし本当に花南が重く閉ざされていた口を開き、まどかにはその言葉の真意がわかっているのであれば、ただただおれはそれを知りたいと願う。


「まどか、おまえはいったい何が言いたいんだ。頼むからもったいぶらずにはっきりと教えてくれよ」


 哀願するようなトーンになっていたのは否定できない。

 そんなおれを軽蔑するような眼差しでまどかが見つめてくる。


「愚かなのかとぼけているのか、いずれにせよそうおっしゃるのでしたらこちらもはっきり言いましょうか。あたしはね、疑っているんですよ。陽平先輩と有坂先輩、お二人のうちどちらかが誘拐犯を殺害したんじゃないかって」


 共犯の線もありえそうですけど、と冷笑を浮かべて彼女は言った。

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