第18話 二年前、六月十四日〈2〉

 ぶんぶんと手を振っている花南に見送られたおれたちはエスカレーターへと歩いていく。県内最大チェーンの本屋が二階にあり、だだっ広い郊外型店舗と比べると品揃えでは見劣りするものの、学習参考書を選ぶくらいなら充分だった。

 連れ立ってエスカレーターに乗った泉へと声をかける。


「ちなみにどの教科の参考書を買うつもりなんだ」


「えっ……と」


 泉は言い淀む。ハリー、とおれは厳しく続きを促した。


「数学が壊滅的、理科と英語もテコ入れが必要で……」


 消え入りそうな声で泉が答えた。


「半壊じゃねえか」


「でも理科は生物関係ならなんとか」


「そういうのを焼け石に水っていうんだよ」


「葵ちゃんにもそうやってバカにされたんだけど」


 またしても不機嫌そうな表情へと変わる。

 どういう理由でかつてあれほどの喧嘩にまで至ったのかは今もってわからないが、葵が泉をからかっている光景は容易に想像できてしまう。困ったやつだ。

 ほんのわずかに恨めしさを含んだ視線を泉が向けてきた。


「陽ちゃんだって昔はわたしと同じくらいの成績だったのに。一人抜け駆けして進学校に入っちゃってさ」


「だからついていくだけで本当に必死なんだよ。頭のいいやつってのはそこかしこにいるもんだわ。身の丈に合わない学校に入るのがこんなにきついとは思わなかった」


「あ、やっぱり」


 あっさり納得されてしまうと、それはそれでなけなしのプライドが傷つくんだよな。だが事実なのでどうしようもない。

 ところでさ、と泉は言葉を継ぐ。


「陽ちゃんの学校、男子校から共学に変わるの? そういう噂が流れてるよ」


「らしいな。でもおれたちだって決定事項なのかどうかは知らされてねえんだよ。もしかしたらおれが在学中には間に合わないかもしれないし、早ければ泉たちが高校受験の年になるかもしれないし、そもそも話が流れるかもしれないし」


「ふうん、陽ちゃんたちにもまだはっきりわかっていないんだ」


 などと他愛のない会話を交わしながら書店へとやってきたおれたちは、真っ直ぐに中学生用の学習参考書コーナーへ足を踏み入れた。

 いくつか購入候補の参考書を手にとって「これはどうか、あれならどうか」と比較しだしてしばらく経ったときのことだった。

 花南を見習ってマナーモードに切り替えていた携帯がおれのポケットで震えた。


「んー、葵からだな」


 それを聞いた泉はあからさまに嫌そうな顔をする。

 苦笑いを浮かべながらおれが通話ボタンを押すと、こちらよりも先に向こうから勢いこんだ声が聞こえてきた。


『もしもし陽平っ?』


「お、おう。久しぶり」


『もう着いたんだけど! あんたらどこよ!』


「早っ!」


 内容を察したのだろう、ちらりと泉を見れば「そういう子だから」といわんばかりに首を横に振っている。

 すでに到着しているのであれば仕方ない。一人残してきた花南が気がかりなのもあるので、いったん参考書選びを中断して下まで葵を迎えに行くことにした。


「じゃあさ、正面玄関付近にいくつかベンチっぽい椅子があるだろ。そこで花南がアイス食べながら座ってるはずだから。いや、さすがに食べ終わってるか。とにかくおれらが行くまでそこで一緒に待っててくれ」


『え、花南の姿は見かけてないけど……ちょっと待って、もういっぺんよく見てみる。電話はこのままにしておいて』


 おれの心臓が一瞬ドクン、と強く跳ねた。

 あれえ、とかどこかな、などの独り言を通話口の向こうで並べたあと、無情にも葵は断定した。


『やっぱりいないよ。けど──』


「そこにいろ、すぐいく」


 何かを言おうとした葵をさえぎっておれは通話を打ち切った。


「花南が見つからないらしい」


 端的に結論だけを告げるおれの言葉に、泉の顔はみるみる青ざめていく。

 おれたち二人はどちらからともなく走りだし、エスカレーターを駆け下りる。

 途中で太ったおばさんと軽く接触し文句を投げつけられたが、申し訳ないが今はかかずらわっている暇はない。


 花南の携帯にかけてみてもむなしくコール音が繰り返されるばかりだ。

 いったん電話を切り、焦る気持ちを抑えつつ一階の正面玄関付近に来てみれば、花南だけでなく葵の姿も見当たらなかった。


「どこいったんだあのバカ」


 苛立ちまぎれに思わず大きな声が出てしまう。

 反応があったのは隣にいる泉からではなく、少し後ろからだった。


「は? 誰がバカよ」


 振り返れば息を弾ませた葵がそこにいた。その表情はいつになく険しい。


「あんたたちが来る前に女子トイレを見てきたのよ。でも、この付近のトイレにはいなかった」


 また心臓がドクン、と鳴る。


「どうしよう陽ちゃん」


「どうしようって、捜すしかないでしょ。しっかりしなさいよ」


 今にも泣きだしそうな泉を、葵がぴしゃりと叱りつける。

 考えろ。動け、考えろ。動きながら考えろ。

 再びスマホを取りだしてリダイヤルしながら、おれも葵に同調して言った。


「そうだ、捜すしかない。すまないが葵は館内放送をお願いしてきてくれ。それがすんだら遠いところのトイレも含めて一階を頼む。泉は二階な」


「陽ちゃんは三階?」


 泉の質問に「いや」と答える。


「このへんの人に片っ端から花南を見かけてないか尋ねてみて、そのあと外を捜すつもりでいる」


 花南の性格からしておれや泉のいない三階へ勝手に向かったとは考えにくいし、上の階を捜しているときに下で行き違いになってしまうのも怖いからだ。

 こうやって話している間もずっと携帯を鳴らし続けているが、やはり花南は出ない。

 背中に嫌な汗がにじんでくる。それでも無理に笑顔を作って二人に言った。


「葵に泉、すまないけど二人ともよろしく頼む。どうせすぐ見つかるだろうから、そのときは三人がかりで尻叩きの刑にしてやろうぜ」


 双子の姉妹は口を揃えて「相変わらずバカね」とかつてのように軽く罵倒してから、それぞれの方向へと急ぎ足で散っていく。

 38、39、40。頭の片隅でカウントが積み重なっていく無機質な携帯の呼びだし音は途切れることなく続いていた。

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