52.祝福の声に包まれて

 ダークブラウンの髪に、濃紺の瞳をした幼児。上下白のスーツ、短パン姿の彼は、覚束ない足取りで歩き始めた。その手には白いカゴが握られている。言わずもがな中身は結婚指輪だ。


「ジャン! こっちよ! こっち!」


「ゆっくりでいいぞ。落ち着いて」


 ジャンの両親であるホリーとジョシュアが呼びかける。


 夫妻は左手・最前列の右端、エレノア達から見て斜め後方のあたりにいた。式の邪魔にならないよう配慮してか、夫婦揃って身を屈めている。


「う……あぅ!」


 ジャンはそんな両親に応えるように前進していく。


「おぉ! いいぞ、ジャン!」


「あんよが上手~♪」


(あら……?)


 ――かに見えたが、やや方向がずれているような気がした。両親に向かって真っ直ぐに歩いているというよりは、斜め前方……主祭壇に向かっているような。


「ジャン、頑張れ。あと少しだ」


「あぅ♡ あぅ♡♡」


 ユーリが声援を送ると、瞬く間にジャンの瞳が輝き出した。


(そう。ユーリのことが好きなのね)


 ジャンはまるで out of 眼中と言わんばかりに両親の前を素通りし、ユーリの前に立った。小さなジャンの背後で、夫妻が哀愁をにじませる。


「……ふっ、いいの。これでいいのよ。意識を向けさせることに成功したのだから」


「そうさ。みじめに思う必要なんてないんだよ」


(お姉様、お義兄様……)


 項垂れる夫妻の肩を父が優しく抱いた。厚意を受けた夫妻は涙目だ。


(子育てというのは、わたくしが思っている以上に難儀であるのかもしれないわね)


 ジャンはかなりの特殊ケースであるとしても、きっと子供それぞれに難しさがあるのだろう。


 エレノアが子育てに携われるのは、長く見積もっても1年程度。それ以降はユーリが1人で担うことになる。


 周囲からのサポートもあるだろうが、それでもユーリにかかる心労はかなりのものになるだろう。


(苦労をかけます)


 エレノアがきゅっと唇を噛んだところで、ユーリの手が伸びて――ジャンのダークブラウンのやわらかな髪を撫でた。


「よく頑張ったな。後でいっぱい遊んでやるからな」


 ユーリの手には指輪が入ったカゴがあった。エレノアが夫妻に意識を向けている間に、ジャンは役割を終えたようだ。


「うっ、……あぅ……あっ……」


 しかし、ジャンは戻ろうとしない。ユーリに向かって手を伸ばしている。何かをおねだりするようなそんな仕草だ。


「ふふっ、今遊んで! ということかしら?」


「弱ったな。今はまだ――」


「あ~~うっ!」


「はぁ……分かった、分かった」


 ユーリはカゴをアルバートに渡すと、ジャンを抱っこしにかかった。自身の服に皺が付かないよう用心してか、ジャンを両脇から持ち上げるようにしている。


「きゃっははっ!!!」


「ほらほらほらっ、おぉ~! 高い高い~っ」


 動きに合わせてお道化始めた。羞恥心はなく、かなり手慣れた様子だ。それがエレノアには少々意外で。


(弟はいなかった……わよね?)


 エレノアが知る限り、ユーリはどこに行っても最年少。世話を焼く側というよりは、焼かれる側のイメージの方が強かったのだが。


「天性の兄力、父親力といったところかしら?」


「そんな大したもんじゃないですよ。俺はただ両親や、先生達がしてくれたことをそのまま真似しているだけです」


「まぁ……♡」


「それはそれは……」


 会場中がしっとりと和やかな雰囲気に包まれていく。ユーリの亡き両親の思い、育ての親であるレイとビルの愛情深さに触れてのことだろう。


 彼の言う『先生』であるビルは、仲間達や周囲の参列者達から賞賛を受けて照れ臭そうに笑っている。何とも微笑ましい限りだ。


「ずるいぞ!」


「おかあさま、あたくしもユーリとあそびたい~!!」


 ジャンをうらやんでか、子供達が駄々をね始めた。カーライルの親族だけかと思いきや、他貴族や平民の子供達も一様に不満げで。


(ふふっ、どうやら杞憂きゆうであったようね)


 この分だと実子とも良好な関係を築けそうだ。安堵する一方で、やはりどうにも寂しいと感じてしまう。


(まったく……。厚かましいことね)


「はい、おしまい」


「あぅ! あぅ!」


「続きはまた後で。もっともっと。だから、なっ?」


「もっ……う゛、……ふぅ~~……んっ!」


 納得してくれたようだ。ジャンは深く頷くと、再び覚束ない足取りで歩き始めた。


「すみません。お待たせしました」


 神父・アルバートは微笑みをたたえたまま頷き返した。気遣いや肯定の言葉は――続きそうにない。


 神父の務めに徹してのこと。私情を挟まないようにしているのだろう。


 感心する一方で、身勝手なもどかしさを募らせる。目の前にいるのは、兄であって兄ではないのだと強く実感させられたような気がして。


 もう一人の兄・セオドアが何か失態をおかさないものかとつい期待をしてしまう。


(冷静沈着なアルお兄様の心に波紋を起こすことが出来るのは、今も昔もセオお兄様ただお一人……なのだけれど)


 エレノアの期待に反し、次兄・セオドアは行儀よく参列席に座っていた。お目付け役である・アルバートの言いつけをきちんと守り、大司教としての顔を維持させているようだ。


(残念……あっ!)


「あぅ!?」


 不意にジャンの上体が大きく傾いた。パタパタと短い手を動かすが、バランスを取り戻すのには至らなかったようだ。


「危ない――っ」


 異変に気付いたらしい様子のユーリが慌てて駆け出す。


「っ!?」


「わう! ……ぅあ……?」


 その時、ジャンが宙に浮いた。ぷかぷかとシャボン玉のようにゆったりと。


「ああ! ジャン! ジャン! 怪我はない???」


 ホリー夫妻が駆けつけてジャンの無事を確認していく。


(今のはお姉様、もしくはお義兄様の魔法? いえ……今のはきっと風の魔法よね。お姉様もお義兄様も風の魔法は扱えなかったはず)


「あ~……っ、ぶねぇ~……」


 ユーリも深く息をついた。彼も相当に焦っていたようだ。


(ユーリが魔法で救った? ……いいえ。あれは明らかに体で受け止めようとしていたわ。となると……)


「一体誰が?」


「へへっ」


 ユーリはくすぐったそうに笑うと、それとなく左手の方を指さした。吹き抜け横の二階部分、柱の辺りを指しているようだ。そこにはスタッフはおろか誰の姿もない。


(そう。今日はあそこから見守ってくれているのね)


 姿は見せずともちゃんと参列してくれていたようだ。


(ありがとう、レイ)


「再開致しましょう」


「「はい」」


「新郎・ユーリ殿。新婦・エレノア殿のヴェールを上げてください」


 ユーリの白い手がエレノアのヴェールに触れる。その手は震えてこそいなかったが、動きはやや硬いように思われた。


(緊張しているのね。わたくしと同じように)


 エレノアの頬が緩む。つられるようにしてユーリの頬も。


 アルバートはエレノアのヴェールが上がったのを確認すると、ユーリ、エレノアの順で問いかけていった。


 ――永久の愛を誓うか否か。


 ユーリはやや前のめりな調子で、エレノアはしっかりと肯定した。


「指輪の交換を」


 ユーリとエレノアの薬指に、銀色の指輪がはまる。揃いのシルバーのリングだ。


 何の装飾も施されていないが、それだけに真っ直ぐと言うか2人らしい飾らないピュアさのようなものを感じさせた。


「俺の心は永遠に貴方のものです」


 ユーリは穏やかでありながら、真剣な表情を浮かべていた。


 を口にしかけてつぐんでしまったが、おそらくはこう言いたかったのだろう。


 ――待っていてください。必ず俺が迎えに行きますから、と。


(神よ。どうかお赦しください。貴方の国を好き勝手に想像し、夢見る愚行を)


 エレノアは胸の奥で祈りを捧げ、ユーリに応える。


「わたくしの心も永遠に貴方のものです」


 ユーリが破顔する。たったそれだけのことで、エレノアの中の不安や恐れは、泡のように溶けて消えていってしまった。


「エラ……」


 ユーリがゆっくりと顔を近付けてくる。エレノアはまぶたを閉じて、ユーリを受け入れた。


 2人の唇が音もなく重なり合う。降り積もる雪のように静かに。


「いいぞ! ユーリ!!」


「素敵ね」


「お幸せにー!!!」


 ユーリの仲間達や平民を中心に歓声が広がっていく。その波はマナーを重んじる貴族達にまで及んでいった。まさに割れんばかりだ。


「騒がしいですね」


「そんなことないわ。とっても幸せよ」


「貴方がいいのなら、俺はまぁ構いませんけど」


「ふふふっ、ありがとう」


 エレノアはユーリに身を寄せながら、この瞬間を胸に刻み込んでいった。深く深く。決して薄れることのないように。


 ――残された寿命は1年と半年。


 その時はゆっくりとだが確実に近付きつつあった。



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