第八話 夏休み

(1)

 八月も後半に入って、野原の草もいささか緑の色が褪せてきた。猛暑を凌ぎ切ったところで疲れが出るのは、俺たちとそれほど変わらないということなんだろう。

 まだまだ暑いよなあと思いながら牧柵に寄りかかっていた俺は、横にぼーっと突っ立っている息子のまさるに声をかけた。


「元気でやってるのか」

「うん」


 と言ったきり、優が黙ってしまう。まるっきり会話が続かない。予想通りとは言っても、これじゃなあ。


◇ ◇ ◇


 お盆には休みを取らず、少し後ろにずらして夏季休暇を取った。理由は単純。お盆には坊さんが超多忙で法要を頼めなかったからだ。親父も章子も無神論者で葬式も墓も要らないと公言していたから、仏壇に花を備えるくらいでいいかなとも思ったんだが。葬式を仕切ってくれた坊さんの説法を思い出したんだよ。法要ってのは残された者のためにあるってね。確かに一理ある。時が動かす感情をきちんと見据えるには、何かきっかけが要るんだ。それに、子供らに今後のことをきちんと話しておかなければならない。きちんと話し合いの機会を作るには、法要くらいしか口実がない。

 何から何まで嫁さん優先の優は、俺が強制的に仕切らないと時間を空けない。今回は法要に合わせて休みを取ってもらった。親子揃ってピンポイントの夏休みってことだな。俺は鈍臭いんで、超スローの息子とハイテンポの娘を同時にさばくことができない。ちゃっかり娘の由仁ゆにをどやすのは別の機会にしよう。まず、優と急かさずに話をするつもりだったんだが。路側の立て看の方がこいつよりもまだ動き、しゃべるだろうと呆れるくらいノーリアクション。まともな社会生活が送れているのか、はなはだ心もとない。鈍臭い俺が心配になるくらい極端なスローモーだ。俺がゆっくりとしか動けないミツユビナマケモノだとすれば、こいつは彫像のように立ち続けるハシビロコウ。全く困ったもんだ。

 佐々木家の男系はスローモーとマイペースが共通特性のようで、しかも代を重ねるほどのほほん度がひどくなっていくような気がする。俺も大概鈍臭いんだが、優は俺以上だからなあ。視線が全く動かず目玉がビー玉と化している優を見て頭を抱える。これから大事な話をしなければならないんだが、どうしたものか。はあ……。俺だって決して弁が立つわけではない。優に話を切り出す前に、優の状況を整理しておこう。俺が一方的に宣言することじゃないからな。


◇ ◇ ◇


 優は俺と章子の短所をまとめて引き継いでしまったようなところがある。鈍臭くて口下手なところは俺の短所。意思表示が苦手でノーが言えないところは章子の短所。どちらか一つだけでも厄介なのに、その両方を併せ持ってしまった。

 俺は人生レースのどんじりをひいこら歩いてきたが、優は見事に落ちこぼれた。極度のスローモーで集団生活にまるっきりついていけず、本人もついていくのを早々に諦めたようだ。中学までは休み休みながらなんとか通い切ったが、入れる高校はなかった。通信制の高校を他の子の倍近く時間をかけて卒業するのが精一杯。俺はなんとか大学まで行ったが、優は受験をクリアできないだけでなくカリキュラムもこなせないので進学は無理だった。高卒ですぐ仕事……というか出来ることを探さなければならなかったんだ。

 俺も章子も行く末を心配したんだが、優は縁あって絵画修復に携わることになった。早く丁寧にが理想ではあっても、修復という仕事の性格上早さと丁寧さの二択であれば丁寧さが常に優先される。度を超して時間を要する分、仕事はとても丁寧なのだそうだ。優を指導している師匠の評価は高いらしい。真面目に取り組むだけでなく、目もセンスもいいと。


 ただ……俺には優の真情がちっとも見えないんだ。陽花と違って隠しているわけではないと思うが、もともと喜怒哀楽のベクトルが全部短い。常にぼーっとしているので何をどう思っているのかが表情からは読み取れない。そして、極端に口数が少ない。ああ、とか。うん、とか。そう、とか。おまえは二文字しか使えんのかと呆れてしまうくらい文章を口にしない。だから今の仕事にしても、好きでやってるのか、それしかできないからやってるのか、嫌々やってるのかが全くわからない。

 こいつ本当に大丈夫なんだろうかと訝っている間に、いつの間にか「結婚した」ときたもんだ。仕事すらまともにできるかどうかわからないというのに、家庭なんか持てるわけないだろ。章子と二人で、仰天通り越して絶句してしまったよ。

 しかも優のカノジョ、雅美さんという女性が信じられないくらいの才媛だった。家もご立派なところで、難関大学を優秀な成績で卒業し、卒業後はキャリアウーマンとしてばりばり仕事をしている。昼行灯の優とどこでどんな風に知り合ったのか、優のどこが気に入ったのか、皆目見当がつかない。


 いや、子供と言ってもすでに親元を離れて自立してるんだ。優が好きで選んだ女性なら何も文句は言わない。生活が完全に独立しているならば、な。問題はそこだ。優と雅美さんがディンクスなら自由にやってくれ、だ。だが、結婚報告後に大吾だいごと名付けられた長男が生まれてから急におかしな流れになった。

 優も雅美さんも仕事をしているから、勤務中は子供を保育園に預けなければならない。実際に預けているんだが、保育園の多くは病児保育を引き受けてくれないんだ。やれ発熱した、吐いた、調子が悪そうだと園から連絡が入ったら、すぐに子供を引き取りに行かなければならない。で、体調が戻るまでは園に預けられないんだが、その療養期間中子供を陽花に丸投げするようになった。

 どう考えたっておかしな話だろ。優の親である俺になんとかしてくれと言うならともかく、陽花は叔母だ。親族ではあっても直接の利害関係がない。頼るなら雅美さんの実家の方じゃないか。しかもしかもだ。やり手の雅美さんはプライドが高いらしく、ぐだぐだな陽花やぷっつん有美ちゃん、ちゃっかり由仁を馬鹿にしているふしがあって、ほとんど無視。そもそも会話をする気がない。だからぼけっぱあの優を体良く人身御供にしているんだ。あんたの息子なんだから、引き受け先とのやり取りはあんたがやりなさいってね。自分の家がどんなにご立派か知らないが、やっていることは下衆そのもの。前からずっと気に食わなかった。


 で、今回陽花を当座うちに引き上げることになったから、釘を刺すことにしたわけだ。有美ちゃんだけになったから、今後は陽花のマンションを託児所代わりに使うことは物理的にもうできない。そして、俺の家には出入り禁止にする。俺だけの時にはまるっきり寄り付かなかったくせに、陽花がうちに来たとたんに馴れ馴れしく「こんにちはー、またお願いしますー」は、なしだ。それだけは絶対に許さん!


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