(4)

 一応話し合いが出来そうな雰囲気にはなってきたが、こう暑くちゃかなわない。なにせ、野原には日陰というものがまるっきりないからなあ。俺はともかく、有美ちゃんにはしんどいだろう。


「ああ、ちょっと待っててくれ。車に冷たい飲み物が積んである。取ってくる」

「ありがとう」


 すぐに余計な一言が口から飛び出す有美ちゃんにしては珍しく、素直にそう言った。それだけしんどかったということだろうな。精神的にも暑さにも負けそうで。

 ちんちんに暑くなっていた軽のバックハッチを開けて、クーラーボックスから麦茶のペットボトルを二つ引っ張り出す。開けたハッチの下なら日差しをいくらか遮れるかもしれないが、あえて元の場所に駆け戻った。


「ほら」

「わ、冷たい」

「今日みたいな日は水分補給なしじゃ無理だよ」

「うん」


 手渡したペットボトルの蓋を力任せにひねった有美ちゃんは、ごくごくと音を立てて麦茶を半分以上一気飲みした。


「ふうっ」

「旨そうに飲むなあ」

「すっごい喉乾いてたから」

「緊張したんだろ。俺とどっかに行くことなんて一度もなかったからな」

「う……ん」


 有美ちゃんは、自分を捨てていった父親のことは死ぬまで許さないだろう。その一方で包容力のある父親という存在に憧れを抱いていたんじゃないかな。優しい、怒らない、自分をすっぽり包み込んでくれる、そういう年上の男に対する無上の憧れ。憧れが憧れのままで終わってくれりゃよかったんだけどな。

 愛情に対する剥き出しの飢えは、ろくでもない男どもに丸見えなんだろう。陽花ほど極端ではないにせよ、結局男どもの都合のいいように人生を搾取されてしまう。


「ねえ、おじさんはさ」

「うん?」

「浮気とか……したことあるの?」


 思わず苦笑いする。


「そんな甲斐性があったら、もっと華やかな青春時代を送れてたよ」

「ええー?」

「陽花に聞いてみたらいいよ。俺がどんなに鈍臭いか」


 有美ちゃんがおかしいなという顔で首を傾げた。


「そういやママは、おじさんの話をまるっきりしないんだよね……」

「最初に言っただろ? 俺たちは相性が悪いんだよ。仲が悪いわけじゃないんだけど、なんか噛み合わないんだ」

「どうしてだろ」

「俺は意思表示はちゃんとするよ。ただ猛烈に鈍臭い。陽花は正反対だ。行動はちゃきちゃきしてるけど、意思表示しない。全部愛想笑いの後ろに押し込めてしまう」


 いらいらがぶり返したんだろう。有美ちゃんがぎゅうっと顔をしかめた。


「ママのあのどうしようもない性格! なんとかならないのかな!」

「それはお互い様だよ」


 自分軸でしか物事を見ない有美ちゃんに釘を刺す。有美ちゃんだって、みんなからしょうもない性格だって思われてるんだよ。しかも実害込みで。いつまでもほっかむりしてないで、そろそろ自分の大穴を自覚してほしい。

 作業用のタオルで額の汗を拭って、ぷうっと頬を膨らませる。


「俺がこの歳までずっと鈍臭いままのように、陽花の秘密主義も変わらん。直球しか投げられない有美ちゃんだって、今更性格は直せんだろ?」

「そうだけど……さ」

「だから今回有美ちゃんとのごたごたで俺に助け舟出してくれって泣きついたのは、陽花にしては画期的なことなんだよ。これまでどんなにしんどくたって、親にも俺にも一言も弱音を吐かんかった。一言もな」


 俯いてしまった有美ちゃんに、構わず言い足す。


「もし陽花がこれまでと同じだったら」

「……うん」

「首を吊ってたよ。最後まで俺たちに何一つ見せないまま」


 急に恐怖を感じたんだろう。くっそ暑いのにがたがた震え出した。


「親父やお袋も、俺も。心配はしてたよ。でも、陽花がちゃんと本音を晒してくれないと動きようがない。みんなそれぞれに問題を抱えてるんだ。自分のトラブルを放置したままお地蔵さんの陽花を支えるなんて芸当は、絶対にできない」

「共倒れになっちゃう……から」

「そう。先回りはできない。親にも俺にも章子にもそんな余裕はなかった。みんなしんどい思いをしてたからね」

「うん」


 残っていた麦茶を飲み干して、もう一度ぷうっと頬を膨らませる。


「陽花もさすがに懲りたんだろ。すぐにはナマを吐き出せないにしても、サインは出すようになった。それが俺のオーダーだったからな」

「サイン、かあ」

「それでいいのさ。俺の鈍臭さがずっと治らないのと同じで、一気に全部変えるのは無理だ。失敗の全てを鈍臭さのせいにしないっていうだけで、いくらかはましになる。俺はそうやって生きてきたんだ」


 空になったペットボトルで牧柵をぽこんと叩く。


「だから。一度ここで各自足元を見直してほしい。偉そうにこうしろああしろって言うつもりなんかないよ。そんな権利も義理も俺にはないからね。あくまでも提案だ」


 さて、そろそろ本題に入ろう。さすがに暑くてへばってきた。有美ちゃんもしんどいだろう。


「さっき陽花との同居延長は無理だっていう話をしたろ?」

「うん」

「陽花は俺の家へ引き上げる。ずっとじゃないよ。当座だ。その間に、気持ちの整理をつけてもらう」

「気持ちの整理……って?」

「もう親には頼れないんだよ。同じように有美ちゃんにも頼れない。それぞれに守らなければならないものがあるからね」


 唇をぎゅっと噛んだ有美ちゃんが、ぐんと頷いた。


「あいつには、それをちゃんと納得してもらわないとな」

「ママが納得する?」

「するだろ。俺の家にいる間に、あいつには親父と章子の遺品整理をさせる。ただ飯は食わさない。客扱いはしないよ」

「うわ!」


 ずっと倒れ込んできた娘にはだらしない姿を見せられる。だが、俺は兄と言ってもかまどの違う他人だ。があがあ文句言いながらも、結局陽花のわがままを認めてきた有美ちゃんとは違う。奉仕はできない。

 遺品整理は本来俺がすべきことさ。だけど、俺は日々の仕事をこなすだけで精一杯なんだ。この野原の今後のことも考えなければならないし。まあ有美ちゃんも陽花も、どこかで過去との間に線を引くきっかけが要るだろ。俺が一時確保した距離を、そのきっかけにしてほしい。

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