7-11 夜の始まり


 17時。

 各部屋を調べ終わった後、エンラとコウゲンはすぐにホテルを発って行動を開始し、その30分後にネコ太たちに連絡が来た。


 ロバートは現在、友人のお見舞いに行くために移動中のようなので、すぐに依頼が入ることはないと判断して本日はこれから自由時間。とはいえ、天体観測に向かうほどの時間があるかは不明なので、ホテル近辺で待機となる。


 ネコ太たちは少し早いがひとまず食事をしに、ホテルのレストランへ。そのあとは連絡が来るかもしれない竜胆を残して、他の面子はミニャンジャ村へと行った。旅行とは?


 一方、ロバートは、運転手付きの車でシドニーの郊外にある友人宅に向かっていた。


『夜に来てくれるかい。昼はどうにも調子が悪いんだ』


 そう連絡してきた友人は、昔から夜型だった。

 死ぬ間際まで変わらないのだなと思いながらも、スモークガラスの車窓から外を眺める。


 ロバートは、2つの思考で揺れていた。

 友人との思い出と、飛行機の中で出会った1人の少女についてである。


 白衣を着たミステリアスな中学生。

 ロバートの目には、ロリっ子な竜胆がそう映っていた。


 飛行機の中での会話も面白かったが、なによりも人生観が変わりかねない別れ際のあのやりとり。

 竜胆のことが気になりすぎるロバートは、愛用のタブレットで『日本 魔法少女 実在』などと検索して、『魔法少女は実在しません』と概要を教えてくれるAIさんに怒られた。


 そんなことはわかっているんだよ、と世界の真実の姿を見てしまったロバートは憤る。

 悔しいので、そのまま画像検索へ。もしかしたら自分が知らないだけで、日本で竜胆は有名人かもしれないからだ。すると、キャワキャワな絵柄の少女たちが画面へ大量に召喚されただけで、白衣の実写ロリっ子は見つからない。


 アニメやマンガが好きなロバートはそれらの作品を割と知っていたが、これから友人との今生の別れとなるかもしれないので、色彩豊かな可愛い絵柄を見ても心は弾まなかった。


 やがて、車は友人の家に到着した。


 友人の名は幸田直正。

 ロバートと共にニコチューブを作った天才プログラマーだ。


 ニコチューブが成功を収めたあと、ナオマサはニコチューブに固執せず、早々に別のことを始めてしまった。それはインディーズゲームの開発で、そこそこ人気のあるゲームを作っていた。


 若くして大成功を収めたナオマサは金に群がってきた親族と折り合いが悪く、日本に居つかない。だから、ニコチューブのオーストラリア支社の臨時顧問をしつつ、インディーズゲームを制作していた。それも数か月前までの話だが。


『こんな家だったか?』


『ナオマサ氏の住所はここで間違いありませんが?』


 ロバートの呟きを拾って、オーストラリア支社から派遣された女性秘書がタブレットを確認して言う。


 築10年のモダン建築の邸宅で、ナオマサは1年と少し前に購入した。

 それから2カ月ほどしてニコチューブのオーストラリア支社を視察の折にこの家へと来たのだが、その時のロバートは本心から良い買い物をしたと友人を称えたものだった。


 白く輝く外装に、青々とした芝生が広がる庭。その庭にあるプールを眺めるようにして設えたテラスは、夏の強い日差しを避けるために深い影を作る造りになっている。

 屈指の豪邸というわけではないが、ある程度の成功を収めた人間が住めるランクの邸宅である。庶民から大富豪に成り上がったロバートの感性からしても、正直、住むという目的ならこのくらいの家で十分だと思える物件だった。


 1年と少し前に、この家にある自慢のワインセラーからナオマサが引っ張り出してきた安物のビンコーラを、オレンジ色の光が灯るそのテラス席で飲み交わした記憶が、ロバートには鮮明に残っていた。


『あの、このお宅ではありませんでしたか?』


 女性秘書が不安げに問うた。ロバートは気さくな男だが、本社の最高責任者ということもあって女性秘書はかなり緊張していた。


『いや、この家で間違いないよ』


 家人が亡くなると、家は悲しんでいるかのように独特の雰囲気を出す。ロバートは少年時代に隣の家のおばさんが亡くなった時に感じたことを思い出し、きっといまこの家を見て感じているのもそういう部類のものだろうと納得した。


『行ってくるから、君は車に残っていてくれ』


『かしこまりました』


 秘書から見舞いの花束を受け取り、ロバートは懐からメッセージカードを取り出して花に添えた。


 ロバートは重い気持ちでインターホンを押した。


『……ロバートかい?』


『ああ、そうだよ、ナオマサ。待たせたね』


『いま開けるよ』


 カチャリと遠隔でロックを外す音が鳴った。

 ドアノブを引いて戸を開けると、ロバートの鼻を異臭が突く。


『ホームヘルパーを呼んでいないのか?』


 そんな疑問を持ちつつ、ロバートは家に上がろうとしたが、持ち上げた足を慌てて戻した。日本人のナオマサは自分の家では靴を脱げとうるさい人物だった。


 スリッパに履き替えて、改めて家へと上がる。

 すでに時は夜。ロバートは明かりを求めて、青いランプが点灯したボタンを押した。


 パッと光りが点いた瞬間、ザザザァと廊下の向こうに何かが引いていったような奇妙な気配がした。


『な、ナオマサ、どこだ?』


『こっちだよ』


 静かな声をなんとか拾い、ロバートは恐る恐る廊下を進む。

 半開きのドアの先から再び『こっちだよ』と聞こえる。記憶を辿るとそこはナオマサの寝室だったはず。


 ロバートはドアを開いた。

 真っ暗な部屋の中に廊下の光が差し込む。脱ぎっぱなしの服や空になったペットボトルが散らばる部屋の中、ベッドに上半身を起こして座る男の瞳がギラギラと光っていた。


 息を呑んだロバートは、壁にあるスイッチを押して明かりを点ける。


『な、ナオマサ……お前……』


 ロバートは光の中で露になった友人の変わり果てた姿を見て、唇を震わせた。

 ナオマサは元からひょろひょろした男だった。しかし、こんな骨と皮だけのような男では断じてなかった。


 ロバートは悲しみで力が抜けそうな足を進め、ベッドに近寄った。


『よく来たね、ロバート』


『よく来たねじゃない。そ、そんな状態なのになんで入院していないんだ!?』


『入院? ああ、入院……入院か……。余命を宣告されて入院は拒否したんだ。死ぬなら君が褒めてくれたこの素晴らしい家でコーラでも飲みながら死のうと思ってね』


『よ、余命って』


『あと3か月と言われたよ、3か月前にね。なかなかの名医だったようだよ』


『……っ』


 原因はなんだ、看護ヘルパーも雇っていないのか、と疑問が次々と喉元まで出かけるが、ロバートはそれらを飲みこんだ。そんな質問はもはや無意味だ。ナオマサはもう死ぬ。それは誰が見ても明らかだった。


『花を持ってきてくれたのかい。ありがとう』


『あ、ああ。花には疎いから用意してもらったもので悪いけど』


『男なんてそんなものさ。用意する方もよくわからず、貰う方もどうすればいいのか分かりゃしない。これが女性ならたった一輪でも大切にできるのだろうけどね』


『はは。そうだな』


 ナオマサは受け取った花を布団の上に乗せ、体全体で息を吸うようにしてから薄く息を吐くと話を変えた。


『東京はどうだった? またラーメンを食ってきたんだろう?』


 その時、ロバートの脳裏に竜胆の姿が駆け抜けた。


『そ、そうだ。聞いてくれよ、ナオマサ! 私は本物の魔法少女に会ったんだ!』


『ふっ、君も変わらないね』


『本当なんだ。連絡先も貰った。それでな、その子が……ナオマサ?』


 必死に竜胆のことを説明しようとするロバートだが、ナオマサは自分の言葉を反芻するようにして、虚空を見つめてぼんやりとする。


『……いや、変わってしまったのは僕か。ロバートは変わらず、僕だけが変わった……』


 そう呟くナオマサの瞳は暗く淀んでいた。


『おい、ナオマサ?』


『……帰れ』


『ど、どうしたんだよ、ナオ』


『帰れぇ!』


『……っ』


 ロバートの記憶の中で、いつだって礼儀正しく穏やかだったナオマサが、いきなり声を荒げて激昂する。ほとんど肉がなく、落ちくぼんだその顔を怒りに変える様は、まるで地獄の亡者のような恐ろしさがあった。


「僕の家から出ていけぇ!」


 日本語でそう叫んだナオマサは、ロバートに向かって花束を投げつけた。

 花束を胸に受けたロバートは、目頭がカッと熱くなった。


『な、ナオマサ、落ち着けよ』


「出ていけぇ! 二度とその顔を僕に見せるな!」


『……ナオマサ……わかった今日は帰るよ。だけど、必ずまた来るからな』


 激昂する親友を前に、ロバートは涙を溢してとぼとぼと部屋から出ていった。


 乱暴に涙を拭い、重い足取りで玄関に辿り着いたロバートは、靴を履く。そうして、ナオマサの静まり返った寝室の方へと振り返った。

 明るい廊下の中ほどにナオマサの寝室がある。その廊下の先にある部屋は明かりを点けていないため不気味なほど暗かった。


『こんなに不気味な家だっただろうか……』


 ロバートはその暗がりに言い知れない不吉さを感じた。


 涙の痕を女性秘書に密かに心配されつつ、ロバートは急いで宿泊先のホテルに帰った。


 警護の者と別れて部屋へと入ったロバートは、ドアが閉まるなり、壁にもたれ掛かって廊下に座り込んだ。

 そして、スマホを取り出すと、電話番号を入力する。


 その人物はすぐに出た。

 知的な中に女性特有の柔らかさのある声に、ロバートは身も心も縋りつきたい気持ちになった。


『リンドウ、お願いだ。どうか助けてほしい』




 ロバートが帰った家の中で、ナオマサは自責の念に駆られていた。


「なんで、なんで僕はロバートにあんなことを……せっかく来てくれたのに……」


 もうすぐ自分が死ぬのは自分でもわかっていた。それなのに、最後に会いに来てくれた親友を、なぜ傷つけてしまったのだろう。素晴らしい思い出と共に親友の心に残りたかったのに。


 項垂れるナオマサの視界にロバートが持ってきてくれた花束が映った。投げつけたことで掃除していない床に儚げに散らばってしまっている。


 なんと申し訳ないことをしたのか。

 ナオマサは力の入らない体を動かしてベッドから降りようとするが、もはやそれも叶わない。


 その時、パチンと独りでに明かりが消えた。

 暗くなった窓から月明りが差し込み、散らばった花束を照らす。


 その時、ふわりと花束が浮かび上がった。

 それを見てもナオマサは不思議に思わず、笑顔で礼を言った。


 ナオマサは受け取った花束をぼんやりと見つめた。

 その耳元で何かが囁く。


『謝る……そうだね、謝らないと……ああ、それは名案だ……僕が死んだらこの家をロバートにあげよう……うん、そうだね……きっと気に入ってくれる……』


 ナオマサは茶色に萎びた花束を抱えて、姿の見えない誰かと会話する。


 気配を殺してその様子を見ていたエンラは、音もなく邸宅から脱出するのだった。


―――――――――――――――――――

少し手こずってしまい、遅くなりました。

読んでくださりありがとうございます。


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前回も告知しましたが、土曜日にサポーター限定で短編を投稿したいと思います。文章量的には8000文字くらいです。楽しんでいただければ幸いです。

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