流離の葛篭・溝出:第四話

周さんに髪の毛を切ってもらったあの日から数えて、初めての日曜日。

伊吹さんが見繕ってくれた着物を着て、私は人ごみの中に立っていた。


「わぁ……! こ、ここがあの、今を時めく吟座の煉瓦道……!」


モダンな西洋建築様式の建物が立ち並ぶ、煉瓦が敷かれた大通り。ずっと憧れてた吟座の煉瓦道に自分がいることが信じられなくて、ついついぼうっと見入ってしまう。

うーん。なんとも感無量ね。ここまで来れるようにするのが大変だったわ!

病み上がりの私の体力づくりのために近所での散歩を始めようとした時に、伊吹さんと周さんに大騒ぎれたときはある意味想定内だったけど、それ以外のことが、ねぇ……。

伊吹さんが選んでくれた着物からぬうっと人の手が伸びてきたり――〝小袖の手〟っていう怪異の仕業だったみたい――、帯が蛇みたいになったり――こっちは〝蛇帯〟っていう妖怪なんですって!――……今思い返しても、なかなかの騒動だったわ。

…………もしかして伊吹さんのお店にある商品って、ああいう〝曰く付き〟なものが殆どなのかしら……?

思わず考え込んでしまった私の頭に、ぽふりと大きな掌が置かれる。


「雪、往来の真ん中で立ち止まっていると邪魔になるぞ。見とれるのなら、道の端に寄った方がいい」

「あ、伊吹さん」


濃灰の三つ揃えを着込んだ伊吹さんが、そりゃあもう渋顔で私の後ろに立っていた。

家の中では着流しばかり着ていたから、洋装の伊吹さんはすごく目新しく感じるわねぇ。

私を拾ってくれた時に来ていたのとはまた違う服だから、余計にそう感じるのかも……。


「少し歩き疲れたか? やはりもう少し体力をつけてから来た方がよかったんじゃないか?」

「それに関しては、ちゃんと体力が戻ってきてくれたみたいなので大丈夫です!」

「ふむ……それならいいんだが……」


そう。生きてる間はかなりギリギリの体力で生きてたように感じてたんだけど……伊吹さんの家でちゃんとご飯を食べて、しっかり休んだら、思ってた以上に元気になれたのよ!

今にして思えば、毎日ロクにご飯も食べさせてもらえず、寝かせてももらえず……なんて生活してたら、体力なんてあっという間になくなっちゃうわよね。

だから、伊吹さんの家から吟座まで歩くのなんて、今の私には朝飯前!


「……そんな感じなので、あんまり心配しないでください、伊吹さん」

「雪が大丈夫なら、それでいいが……疲れたらちゃんと言うんだぞ?」

「はい! ちゃんと手遅れになる前に言います!」


私がそう宣誓することで、ようやく伊吹さんも安心してくれたみたいだった。

なんで伊吹さんがこんなに過保護なのかと言えば、拾った当初の私の衰弱っぷりが凄かったんでしょうねぇ。

当初は周さんと二人で行く予定だったのに、こうして伊吹さんもついてきてくれるくらいには心配してくれてるんだと思うわ。

……ちなみに、本来であれば確定メンバーだったはずの周さんがどうしてるのか、っていうと……。


「いやぁ、悪い悪い! 訪ね先がなかなか見つからなくてさぁ」


一つ先の角から飛び出した人物が、しばしきょろきょろと辺りを見回した後、こちらに向かって駆け寄ってきた。


「周さん!」

「思ったよりも早かったな。滞りなく仕事は終わったのか?」

「何とかね。ちゃんと見つけて、頼んできたぜ」


路地裏から表通りに飛び出してきたのは、これまた高そうな洋装に身を包んだ周さんだった。

息一つ乱さずに駆けてきたきた周さん曰く、朝から伊吹さんからの頼まれごとを済ませてきたとのことだ。

だから、周さんが私たちに同行していなかったっ、てわけなのよ。


「さて。無事に合流出来たところで出発……の前にさぁ。せっかく吟座に来たんだし、五精堂ごせいどうパーラーでも寄ってかないか? オレも朝から動いたせいで腹も減ってるしさあ」

「ふむ……確かに、今から行ってもまだ早い、か……? そう考えると、それもありかもしれんな」

「五精堂パーラーじゃなくても、カフェー・フリューリンクとかもあるしさあ。雪ちゃんは、どこか行ってみたいところはあるかい?」

「え、ええぇぇ……と……。どこ、って言われても……」


全員揃ったところでいざ出発だと思ってたのに、予想外の話になっちゃった。

脱いだ帽子を指先にひっかけてクルクル回す周さんに、伊吹さんも同意してるし……。

五精堂もフリューリンクも、名前だけは聞いたことはある。確か、どっちも有名な喫茶店……みたいなものよね?

そんな所に、私が言ってもいいのかしら?

ちょっと気後れした私に気を使ってくれてるのか、周さんが色々と聞いてくれるけど……吟座のお店なんて、私、さっぱりわからないわ!


「どちらでも構わんが、フリューリンクよりも五精堂の方が子供向きのメニューもあるだろう。今日のところはそっちにするか」

「あ、そっか。五精堂ならソーダファウンテンとかあるもんな。そりゃあ確かに雪ちゃん向きだ」


どう反応するのが正解なのか、それを考えあぐねてる私に気付いてくれたんだろう。伊吹さんが助け舟を出してくれた。

幸い、伊吹さんの提案に周さんも納得してくれたみたい。


「それじゃ、五精堂パーラーでソーダ水でも飲んで、ちょっと吟座の街をブラついて……それから波間はま離宮公園に向かうことにするかぁ!」

「それならおれは、久しぶりにコートレットにでもするかな」

「オレはチッケンライスがいいなぁ。なにせ、五精堂のはケチャップじゃなくてトマトソースが使われてるしな!」


今にも鼻歌でも歌いだしそうな伊吹さんに手を引かれ、表情こそあんまり変わらないけれどどことなく上機嫌そうな伊吹さんに背中を押されるまま、私は吟座の街を歩きだした。

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