流離の葛篭・溝出:第三話
「いやぁ。この前は雪ちゃんがいきなり倒れるから、びっくりしたぜ」
「あああああ……面目ないです! ご迷惑をおかけしてごめんなさい!」
「あ、こら! 動かないでくれよー」
耳元でシャキンシャキンとハサミが鳴る音がする。それと同時に、温かな手が軽く頭を押さえる。
私が倉庫で倒れてから、今日で三日目。
ようやく起き上がれるようになった私を、「今日は天気がいいから!」って周さんが誘ってくれて……縁側で髪を切ってくれてるの。
ジャキジャキと音がするたびに、パサパサの髪が足元に落ちていく。結構な量を切られてるけど……それもまあしょうがないわよね。
叔父さんの所に引き取られて以来の生活が祟ったのか、かなり痛んでたもの……。
「よーし、こんな感じでどうだ? 最近流行りのホリゾンタル!
「わぁ、ハイカラ!」
「こんなに痛んでなけりゃあ、マガレイトやラヂオ巻きにしても可愛いとは思うんだけど……まぁ、そのうちまた伸びるさ」
くしゃくしゃと髪を払われた私の前に、スッと鏡が差し出された。
まん丸で、よーく磨かれた鏡面に、バサバサだった髪の毛を肩より上でぱっつんと切り揃えられた私が映っている。
断髪よ、断髪! 吟座を闊歩するモガみたい!
…………でも……確かに髪型こそ当世風、だけど……それを映す鏡が古めかしいっていうか……古色蒼然としすぎてる、ような……?
「あのー、周さん? コレって、銅鏡とか……そういう感じの鏡じゃないんですか?」
「あ、わかった? 確か、伊吹が廃神社から持ってきたって言ってたような……」
「そんなやんごとない由来のものを日常使いしないでください!!!!」
神社の鏡……ってことは、ご神体とかそういう類のものよね?
本当なら、神棚とかに置いて毎日拝んだりしないといけないものなんじゃないかしら……。
それを散髪したあとの鏡に使うなんて、罰が当たりそう!
「え? 大丈夫だと思うけどなぁ。むしろ、人の気配がないと寂しがるから、使ってやったほうが喜ぶんだよ」
「は、はぁ……。そう、なんですか?」
「そうそう。雪ちゃんの部屋、確か鏡台がなかったよな? もしよかったら雪ちゃんが使ってやってくれ」
ニコニコ笑顔の周さんに渡された鏡は少しひやりとしていたけど、なぜか妙に手に馴染んだ。
正直、正解がわからないのだけど、特段嫌な感じもしないし……貰っておくのがいいのかもしれないわね。
両手で持ってもズシリと持ち重りのする鏡をそっと脇に置くのとほぼ同時に、逆の隣に周さんがひょいっと腰を下ろしてきた。
「……ところでさ。雪ちゃんは倒れる直前に海がどうたらこうたらって言ったの、覚えてるか?」
「え? えぇ、まぁ……」
……確かに、伊吹さんか周さんに支えられながら、海が海が……って必死で伝えた覚えはあるわ。
だって、あのまま水の中に引きずり込まれるかも、って思っちゃったんだもの。
まぁ、現実じゃなくて幻覚だったから、全く以ってそんなことはなかったんだけどね。
でも、何であんな幻覚を見ちゃったのかしらねぇ……。
「伊吹が言ってたんだけど、人から鬼に成る時に神来というか第六感というか……そういう類のモノが開花する子もいるみたいでさ。雪ちゃんもそうなんじゃないか、って」
「はぁ、なるほど……そんなことがあるんですねぇ」
「だから、あの時に雪ちゃんが〝海〟って言ってたのも意味があるんじゃないか、って言っててさ」
「えぇっ!? ただの幻覚だと思うんですが」
日が当たる縁側はぽかぽかで、とってもいい心地なんだけど……話題が話題なせいで、心からゆったりはできないわねぇ。
自分にそんな力があるなんて思えないんだもの。
神経が高ぶったせいであんな幻覚を見た、って言われた方が、まだ話が通る気がするわ。
……それなのに、周さんがすっごくワクワクしてるみたいなの……。
「だからさ、今度の週末に実際に海に行ってみないか?」
「海!? 近くにあるんですか……っていうか、ここってどの辺なんですか?」
興奮が隠せない周さんに提案されてからやっと気が付いたんだけど……そういえば私、今、私がいる場所がどこだかわからないのよ!
え? なんでそんなこともわからないのか、って? だって、仕方がなくない? 知る機会がなかったんだもの。
気を失ってる間にこの家に運び込まれて、それからずっと敷地の外に出てないし。
家の周りも背の高い前栽と塀とで囲まれてて、外の様子があんまりよくわからないのよ。
それに、居場所を聞くことを忘れるくらい衝撃的なことが起きてたわけで……ついつい後回しになってたのよね。
「前に住んでいた場所は、神陀川に繋がる小川の近くだったんだけど……ここもそうなのかしら?」
私と初めてあった時、伊吹さんが「フラッと散歩をしに来た」みたいなことを言ってたような気がするし。
そう思って周さんの顔を見てみたら、笑いながら首を横に振られた。
「いや。ここは
「八帖堀!? まさか、そんなに流されてたなんて!」
「いやぁ……大川で拾ってきた、って話を伊吹から聞いてたが、まさか神陀川くんだりから流されてきたとは……」
「…………人間のままだったら、確実に死んでましたねぇ、私……」
というか、私、大川で拾われたの? そんなことすらわからなかったなんて……ちょっと笑えちゃうわ。
でも、私の旧住所と拾われた場所とを鑑みると……かなり流されてたのねぇ……。
私は途中で生成になって人じゃなくなったからギリギリ耐えられたけど、人間のままだったら溺れ死んでたでしょうね。
そう考えると、本当に運がよかったというべきか、なんていうか……。
「……それで、どうだ? 探検も兼ねて、一緒に出かけてみないか?」
それはもう悪い顔で笑う周さんの後ろで、ご機嫌に揺れる尻尾が見えたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。