第39話 Maria×Ash×Vampire
あれからどれだけ経ったのかアタシには分からない。
とりあえずアタシはあれからまた新しいネグリジェに着替えさせられた。胸元と裾に豪華なレースがあしらわれ、透けてはいるがさっきのよりは薄くない生地の白いネグリジェである。もちろん白いレースのパンツははいているが、胸にはなにもつけていない。またしても。幸いにもこの姿のおかげでアタシは覚醒した。ブランに抱きかかえられたときのような、ぼうっとした状態ではなくなったのである。しかもネグリジェを着るのは二回目ということもあって、いくらかネグリジェにも耐え得るようになっていた。そのときは万事休すかと思われたのだが、連れてこられた場所が場所だったのでアタシは唖然としてしまった。
キングサイズのベッドの上に連れてこられたのである。まだ鳥籠の方が良かったと、アタシは駄々をこねる子どものように拒否したが、結局は「僕を拒絶するの?」というブランのうるうるした瞳に騙されてベッドの上に乗った。体育座りだ。そこまでは許した。そうしてアタシは隣に寝転がったブランと他愛のない会話をし始めたのであった。
「ホノカ、そろそろ君の主人を教えてほしいな」
「秘密」
「つれないね。これだけ仲良くなってもホノカは教えてくれないの?」
「仲良くなんてなってない」
「ホノカは僕のことが嫌いなの?」
「……嫌いじゃないけど」
「じゃ、好き?」
「まぁ、たぶん」
会話といってもこういう何の実りもない会話だ。それを飽きもせずにずっと繰り返しているのである。何十回も。アタシは三度目くらいに飽きたのだが、ブランはそうではないらしく、どこか楽しそうにしている。変なヤツだ。
「ねぇブラン。どれくらい時間が経ったの? 今何時?」
アタシの背に流れる髪をいじっているブランを見て問いかけた。ブランは赤い瞳をアタシに向けて微笑んだ。
「どれくらいだろうね。ホノカはどれくらいだと思う?」
時間を聞いてもこれだ。ブランは質問してくるけれど、アタシの質問には答えてくれなかった。まるで話にならないのである。アタシは小さくため息を吐いた。
五分は確実に過ぎている。フェリックスさんとサンダーさんはアタシとレオを置いて帰ってしまっただろうか。レオは今頃どうしているのだろうか。気になる。それから、あの、石畳に横たわっていた彼女たちのことも同じくらい気になっていた。アタシの選択によって死んでしまったあの子たち。そして、あの男の子。彼女と彼のことを考えると胸がぎゅっとなって苦しくなる。涙が出そうなくらい悲しくなる。アタシは、どうすれば良かったのだろうか。分からない。アタシは今までこんなに難しいことを考えたことがなかった。
「何を考えているのかな?」
ブランが上体を起こしてアタシの横顔にかかっていた髪を掻き上げた。にっこりと笑った顔がアタシを見ている。アタシは目をそらした。
「……別に」
ブランは掻き上げた髪を耳にかけ、そうして後ろから優しく身体を抱いてくれた。
「大丈夫だよ。ここには悲しいことなんて一つもない」
肺がきゅっとなった。ずるい。さっきまで雑な受け答えしかしてくれなかったくせに、どうしてこういうときだけちゃんとした返事をしてくれるんだ。
ブランの頬が頭にくっついた。腕は相変わらず優しくアタシを抱いてくれている。この手があの男の子を殺したのに、その手でレオも傷つけたのに、ブランは同じ手でアタシを慰めてくれる。それが無性にムカツクんだけど、憎めない自分もいて、アタシの心の中は困惑していた。
アタシはどうしてしまったんだろう。アタシはどうすればいいんだろう。分からなくなってくる。
ふと目を上げるとブランもアタシの頭から頬を離し、赤い瞳を向けてきた。特に理由もなく赤い瞳を見つめていると、ブランは指先でアタシの顎を撫でた。アタシの身体はビクリと固まる。
コンコン
扉を叩く音がした。アタシは素早くブランから離れて顔をそらし、扉を見つめた。
ここはブランの寝室らしく、ベッドの他には小さなサイドテーブルとサイドチェストしかない。壁には真っ赤なバラの描かれた壁紙が貼ってあるが、不思議なことに窓はなく、大きな扉が一つだけあるのだった。
「何かな?」
ブランが問いかけると扉の向こうで声がした。
「ブラン。準備が整いましたよ。彼女たちにさよならを言ってあげてくださいな」
ドキっとした。あの美女の声だった。
「そうか、分かった。ホノカ。僕は彼女たちに別れの挨拶をしてくるから少しの間ここで待っていてね」
そう言ってブランは後ろからアタシの頭に優しいキスを落とし、ベッドから降りて部屋を出ていった。
彼女たちというのは、あの庭で倒れていたメイドさんたちのことだろう。考えると胸が苦しくなったのでアタシは体育座りをする腕に力を入れて身を小さくした。ブランは彼女たちにちゃんとお別れを言うんだ。少しだけ彼のことを見直した。彼女たちがブランに愛を注いでいる分、彼もまた注いでいるのだろうと思った。
顔を足の間に入れてしばらくぼうっとしていた。いろいろなことを考えたけれど、どれにも答えが出なくて、もやもやしてきたので顔を上げた。その瞬間、ぎょっとして仰け反ってしまった。
いつの間にか隣にあの美女が座っていたのである。音も気配もなかった。
美女はアタシが顔を上げたことに気づくとにっこり微笑んだ。とてつもなく綺麗な顔で笑うものだから、同性なのにドキドキしてしまってアタシは思わず心臓を押さえた。
「貴方、ここにいたい?」
美女は形の良い真っ赤な唇を動かして問いかけてきた。アタシは数回目を瞬いてから答えた。
「……いたく、ないです」
「そう」
美女は頷いた。何だろう。どうしてこんな質問をするんだろう。アタシには彼女の真意が分からなかった。
「じゃあ、今回だけここから出してあげるわ」
「えっいいんですか?」
ビックリして思わず聞いてしまった。
「あら、ここにいたくないんじゃないの?」
美女は不思議そうな顔をした。
「そうですが……。あなたはブランの味方なのにそんなことして良いんですか?」
この美女は間違いなくブランの味方だ。まだ彼のことも美女のことも深くは知らないけど、相当深い仲というのも分かる。だってこのお屋敷でブランのことをブランボリーじゃなくてブランと呼んでいるのは彼女だけだから。この美女はブランにとって特別な存在なんだろう。
「そうね。良くないわね。でも、ブランが戻ってこればまた貴方につきっきりになるわ。陽が出てくればブランは眠るけれど、きっと貴方を檻の中に閉じ込めるわ。今度は簡単には出られないわよ。もう、ブランは貴方を逃がさない。このチャンスを逃したら貴方はもう逃げられなくなってしまう。それでも良いのかしら」
美女はアタシの質問に答えてくれなかった。美女の真意が分からない。けど、逃がしてくれるというのならそれを信じたい。アタシには彼女が騙そうとしているようには見えなかった。それにこうして一人でいても何の解決策もないのだから、手を貸してくれるというのならそれに乗っても良いだろうと思えた。
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