畜生道

 幢幡どうばんという物がある。

 荘厳具しょうごんぐと呼ばれる仏堂の装飾の一つ。長方形のばんを組み合わせ、六角、または八角の筒状にして先を宝珠で飾った物を言う。

 仏堂に飾る場合にはさらに瓔珞ようらくという黄金の装飾を周りに付ける。それを一対仏像の両脇の天井から吊り下げた様はまさに厳かである。

 もっとも禮裕らいゆうの山寺の簡素な仏堂にそれはない。代わりといってはなんだが、山を降りた下の六地蔵の一体が竿にさして持っている。

 右から三番目の地蔵――名を大光明地蔵だいこうみょうじぞう、守護せしは畜生道ちくしょうどう

 畜生道とは文字通り畜生の住まう世界。悪行の報いとして畜生に生まれ変わった者たちが苦しみ抜いて死ぬ世界。

 そんな畜生をも救おうと言う慈悲深き地蔵である。


「これだけ待たせて、更にどこに行かれるのか」

「あれのすべてを話さねばならぬとあれば。場所も人も選ばねばなりませぬ」


 珍しく陽が高いというのに男が二人。

 その内の一人、大きな男の顔が地蔵の脳裏の記憶を呼び起こす。獣の如きむき出しの敵意が、周りを威圧するような害意が、石の頭に深く刻まれた記憶を呼び起こす。


 そう、それは赤い光。

 夕陽に煌めく剣の閃きが、地蔵を抉ったのだ。隣の右から四番目の地蔵の目を。


「これで見られんだろう」


 吐き捨てるように言いながら、刀を納めたのは侍。黒い羽織と鼠色の袴姿という場にそぐわぬ侍。腰には侍にそぐわぬ刀が一本。銀銅の二匹の蛭の巻いたような拵えの刀が一本。豪奢な拵えにそぐわぬ顔の男だった。

 目を見開き、口からは牙を覗かせた、その道に落ちたならば救わねばならぬ畜生。獣そのものの顔をして侍の格好をしている男だった。


「じ、地蔵――を」

「地蔵が見てるだと言ったのは誰だ?」

「そそそそうだぁ。罰は旦那だけにしてくれぇ。ナンマンダブナンマンダブ」


 対峙するは二人の男は滑るように地蔵の前に座ると手を合わせた。大小の男。身体の大きさは大人と子供ある二人の男。縞の小袖を来た合わせを大きく開いた若い大男と白い物が髪に混じるほどの年の小綺麗な小男。

 何れも地蔵の前でしおらしくし手を合わせているが。地蔵には匂っていた。


「し、しかし旦那。見られないようにしろとは言ってませんぜ。あっしはただ。その依頼は地蔵の前でする類のもんじゃねぇと」

「地蔵がなんだと言うのだ。それに俺はただ探して連れて来いと言ったまで。地蔵がどうという前に罪にも問われん」

「つっても旦那に会いたくないってんでしょ?」

「ただ寺に行っても居らぬというだけだ」

「だからそれが――いやね。会いたくない以前にですぜ? あっしら見たいな無宿人の言うこと聞くわけがない。しかも旦那と同じ道場で、まあ腕利きなんでしょ?」

「そうだな。同程度には評価されていた」

「そらもうあれですよ。あっしらが脅そうが無理。それななら――ねぇ?」

「つまり地蔵が見てなくても出来んということか?」

「あいやいや、そうじゃねぇすよ。ほら、こっちがね。ちょいと掛かりますぜと」


 小男は手の指で輪作って見せると、侍を見上げるようにした口の端を歪めて下卑た笑顔を作った。


「ふん、結局それか。まあよい。手付だ」

「ひょー小判なんてぇ久々に見た――あっ」

「出来るのか出来ないのか。男一人連れてこれるのか?」

「分かりやした、分かりやしたよ。是非にやらせていただきやす――が」

「が?」

「ああっ小判がまたっ」


 侍が小判を出し入れると、釣られて大男の身体は左右に揺れ動く。


「うるせぇっ! あっしらに任せるということはその男がどうなっても構わないと。それでよろしいですな」

「はっ、構わん」

「尋常な立ち合いを望んでらっしゃるかと」

「そうさな。奴とは決着を付けねばならん。その前に道場から逃げおったからな」

「それが許せないと」

「いや、いい。それはいい。俺に恐れをなしたのだと思えば――まだ許せる。許せんのは他の弟子どもよ」

「ああ、つまり陰口を叩かれると。奴の方が強いとかで」

「ふん、そういうことだ。奴が居れば俺は選ばれなかったとな」

「選ばれなかったとは――?」

「貴様には関係ないわ。とにかく道場の奴らに俺の方が強いと知らしめねばならん。奴と再び見え――剣を交えねば、俺の気がすまんわ」

「なるほど。あっしらにどうにかされるようなら旦那が上と」

「どうにかしていいのかぁ?」

「ふん、出来るならな」

「俺ぁに出来ないってかぁ?」


 大男は立ち上がると、懐に手を入れ今にも得物を取り出さんとする。

 対して侍も袖を捲り、大男よりも更に一回りは大きい右腕を晒した。


 一触即発――その空気に水を差したのは小男の一撃。


「馬鹿やろう!」


 飛びあがりながら大男の頭を叩く。何も入っていないような乾いた瓜を叩いた時と同じような、どこか間の抜けた音が響いた。


「すいやせんね。ったく。手前ぇは。さっきの旦那の一撃見たのか? 見えなかっただろうが」

「見たのか見なかったのかどっちだよぉ」

「うるせぇ。黙ってろいってんで。すいやせんねほんとこいつはこっちがちょっと」

「ふん、構わん。そんな奴にやられるようなら興味も失せるわ。貴様のその良く回る舌で言いくるめて連れて来い」

「へい、へい、そりゃもう承りました。えーそれで首尾よく成功した暁には――」

「分かってる。後三枚だ」

「うひょーっこれで俺ぁ俺ぁもぉ」

「ふん、成功するまで顔を出すなよ。今は大事だ。無宿人如きがうろついては困る。それに俺も忙しいしな」

「ええ、勿論ですとも。分かりましてございますよ」


 その言葉と夕陽を背に受けて、侍は橋を渡っていった。

 見送る小男は、侍が消えるのを待って本性を露わにする。気の弱く調子良い好々爺の仮面を脱ぎ捨て、鋭い眼光の大きく開いた口を見せた。


「くくっ、馬鹿だねぇ。あの田舎者も」

「まったくだぜぇ。何が出来るならだよぉ、あいつ俺を舐めてんのかなぁ」

「そりゃまったくその通りだろ」

「ええぇそうかぁ?」

「さっきの話、地蔵を斬った時の――いやいい。手前ぇにしちゃ良く我慢したぜ」

「だろぉ。しかし地蔵を斬るなんて罰当たりだなぁ」

「まったくだ」

「お前にそんな信心あったのかぁ」

「ない。だがただで救ってくれるってんだから。手くらい合わせるぜ。ま、もっとも俺が信じてるのは銭だけだがな」

「おーそうだ。四両だ。四両これで遊郭行き放題だな。吉原行こう吉原」

「無理に決まってんだろ。金の面でも、場所の面でも」

「えーそうかぁ。でもよ俺ぁもう玉ぱんぱんだぜぇ。あ、また村を襲おうぜぇ。田舎の女でいいからよぉ。ああ、女ぁ女ぁ」

「苛つくんじゃねぇよ。ったく毎度毎度、手前ぇは馬鹿がよぉ。時と場所を選ばねぇその汚ねぇ一物のせいで江戸に居られなくなったんだろうがよ」

「だけどよぉ。見てくれよ俺の玉袋の緒もキレそうだぜ」

「なんだその汚ねぇ言葉は。ったく――おい! その汚ねぇ干し柿しまえ!」

「小便だよぉ。苛ついた時ぁこれがいいんだぁ」

「聞いたことねぇな」

「初めて言ったからなぁ」

「手前ぇはよぉ」


 呆れながら小男は地蔵に掛けられる小便を見つめる。

 頭の後ろで手を組み――長い長い小便の音を聞きながら考え事をするように。


「まー終わったらどこぞで女でも買うかぁ」

「いいのか!」

「いいぜ。二人でも三人でも。この際だ夜鷹よだかじゃなくちゃんと遊郭に行くか」

「おい、いいのかっ!

「小便しながらこっち向くなっ。ったく汚ねぇなぁ」

「そんなに買えないんだろぉ?」

「まあそこは俺の腕の見せどころよ」

「でもよぉ。そんなに金あんのかなぁ」

「まあな。刀こそ立派だったが、着物はぺらいし、履き物はボロのわらじ、挙句羽織は浅葱裏あさぎうらと来たぁ。まあ四両たってまともに払うようには見えねぇわな」

「じゃあ金ねぇじゃぁん」

「なら出させるまでよ」


 大男は小便を終えると、怪訝そうな顔で振り返って小男を見つめた。


「あの田舎者は恐らく立場がある。んで、それをまったくを理解出来てねぇときた。ま、もっとも陰口叩かれてるくらいだし、まったく人望ないんだろう。立場があると言ってもないも同じなんだろうけどよ。それで頼める相手も居なかったんだろうぜ」

「どういうことだぁ?」

「道場の旦那さんが俺らみたいな破落戸ごろつきに物頼んじゃあ駄目ってことよ。まあ見てろ俺に任せておきゃあ昔みたいに女は抱かせてやるぜ。くくく」

「へぇ、またやるんだなぁ」


 口を大きくこめかみまで開き、歯をむき出しにして、息を吐くように笑う。二人の男もまた、人の世に人の身でありながら畜生であった。


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