第29話

「まあまあ、オディール。すごい部屋だと、君も思うだろう? こっちをご覧」

 お部屋の一部は化粧室になってて、小さいとはいえお風呂まであった。

 いくら豪華客船だからって……部屋ごとに洗面台や浴槽が備わってるなんて、共和国の高級ホテルもびっくりよ? お風呂があるんだから、水も出るってことよね。

 ただ、お風呂の仕切りが透明のガラスなのは……。

丸見えじゃないの!

ご主人様はやけにそわそわして、襟元の乱れを調えた。

「バスローブはあっても、寝巻はなしか。フフフ……素敵な夜になりそうだ」

「寝惚けてないで、こちらへどうぞ」

 私は当然ベッドではなく、椅子のほうへジーク様をお誘いする。

 これが普通の旅行だったら、ご主人様をここに閉じ込めて、さっさと逃げてるわ。だけど、今夜は絶対にお傍を離れるわけにいかない。

 休憩だからといって、ジーク様が狙われないとは限らないもの。アンティノラ城の怪物がここまでやってくる可能性もある。

 もちろん、それは怜悧なご主人様もおわかりのはず。

「観念したまえ、オディール。僕にとっては予定通り……このクルーズでこそ、愛する君と一線を越えたいと思っててね」

「……………」

 幻滅しそうになってしまった。

 この部屋も兄さんが用意したのなら、残念ながら納得がいく。

「……はあ、わかりました。お背中を流すくらいはサービス致しますから」

「ほんとかいっ?」

 私が折れると、ジーク様の声が弾んだ。

 面倒くさいから、今夜はこっちから先手を打つことにしたの。頑なに断り倒すのも、無駄な労力を使うだけだし、それに……まあ? たまにはね。

 間もなくスタッフが手頃な夜食を運んできた。

 サンドイッチとサラダに、フライドポテト。寝る前にはこれくらいがベターかしら。

 スタッフを見送りつつ、私はしっかりと扉を閉める。

「オディール?」

「もうしばらくお待ちください」

廊下には誰の気配も残ってなかった。……クロウたちも素直に休んだみたいね。

 ふたりきりだから、私もご主人様と相席させてもらうことに。色々話しておきたいこともあったけど、ジーク様は開口一番、弱音を吐いた。

「頭を使うのは明日にしようか。さすがに今夜は堪えたよ、僕も……」

「そうですね……こんなに差し迫った状況も、空襲以来です」

 まだシモンズ夫妻とか、あの侍女たちとか、空襲を経験してるプレイヤーはタフなほうよ。そうでない連中は予選で呆気なく全滅した。

 この予選、最初から私たちを『振るい』に掛けるのが狙いだったんだわ。デスゲームに挑む資格のあるプレイヤーだけが、こうして残ってしまったわけ。

「とにかく休もう。オディール」

「はい」

 サンドイッチを齧るついでに、私は入浴の準備に取り掛かった。どういう仕組みなのかしら……こんなに小さいお風呂でも、すぐにお湯が出てくる。

 湯気がもうもうと立ち込め、ガラスが曇った。

「ご主人様、どう……?」

 私がお声を掛けた時には、ジーク様はうたた寝の真最中。

 それだけ疲れていらしたのね。彼には布団を掛け、私だけでお風呂を楽しむ。

「デスゲーム、か」

 自分もジーク様も死ぬかもしれない――けど、不思議と不安はなかった。


 防空壕の中でもずっと、私たちは手を繋いでたわ。

 殺し屋の私だって焼夷弾を浴びたら死ぬ。ジーク様も撃たれたら、それまで。同じ防空壕ではほかにも少数の仲間が身を寄せあってた。

 どうして数が少ないのか、って?

ここに辿り着くまでに、何人も死んじゃったからよ。

 カレードウルフ共和国は制空権を失い、連日のように敵の侵入を許した。

 フランヴィエルジュ王国なんて、『華の都』と謳われた首都が陥落したほど。大戦は長期化し、大陸は混迷を極めてる。

 それでも、まだ街を地上部隊に蹂躙されないだけ、ましだった。

 航続距離・時間ともにそう長くない戦闘機は、Uターンで帰っていく。やがて爆撃の音も止んで、外は静かになった。

 自宅や家族の安否が気になる者は、続々と出ていく。

 でも、私たちはまだ防空壕の中で座り込んでた。別に絶望したわけじゃない――彼らに掛ける言葉がないから、やり過ごしたいだけ。

「……また、住処を失くす民が増えるね」

「家族を失う民もです」

 空襲で使用される焼夷弾は、爆発を起こすんじゃなくて、燃え広がるもの。 敵も馬鹿じゃないから、もっとも効果的な武器を選んだうえで、街に投下した。

 今頃、戦闘機の影が通ったところは焼け野原でしょうね。

「あの城が狙われてなければ、いいんだが……」

「攻撃対象になる理由がありません」

 私たちが住む城も、とっくに半壊してた。

 不意にジーク様の手が力を込める。

「……ご主人様?」

「さっきから震えてるよ、オディール。怖いんだろう」

 殺し屋の私が? まさか。

 でも……こうしてご主人様と手を繋いでると、心が穏やかになるのは本当ね。

「ご主人様のほうこそ、か弱いメイドに頼ったりなんかしないでください」

「それを、君が言うのかい? 護衛も兼ねてって契約じゃないか」

 傍に誰かがいるだけで、安心できるの。

 それから一ヶ月が経ち――忌まわしい世界大戦は終わった。

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