第6話
「でもよ、オレはまだ予告状を出しちゃいない」
「え? 何言ってるのよ。悪趣味なカードなら……ほら、ここに」
「へえ~。よくできてんじゃねえか」
まるで手品のように、一枚の予告状が彼の右手から左手へと瞬間移動する。
「考えてもみろ? いつだってオレは、大勢の前で予告状を突きつけるだろ。なのに、今回は子爵の部屋にこっそり忍ばせておいた……な? そんなのはオレじゃねえ」
「……あ」
簡単に言い包められて、私は目を点にした。
そんなつもりはなかったけど、クルーズで浮かれちゃってたのかしら? 確かに兄さんの言う通り、怪盗エックスの予告状にしては、パフォーマンスが弱い。あの場で私が読みあげなかったら、乗客は怪盗の予告を知ることもなかったんだもの。
つまり……別の誰かが怪盗エックスの名を語って、子爵を陥れようとした。
「じゃあ、兄さんは何をしに来たのよ? こんな船まで」
「おいおい、噂の豪華客船でクルージングだぜ? 乗るしかねえってな」
ロットバルトが私の顎に触れ、間近で仰向かせる。
「それによ、オレはお前のことが心配なんだ。せっかく玉の輿のチャンスが目の前に転がってるってのに、色仕掛けのひとつもしてねえんだろ? オディール」
「妹に色仕掛けとか、本気で言ってるの?」
「いや、それは言葉の綾で……感心はしねえけど」
ちゃらんぽらんな兄さんの声が、急にトーンを落とした。
「昔は散々だったからって、自分を変に特別扱いすんのは、もうやめろ。お前も人並みの幸せを受け入れちまって、何が悪い?」
「……また、その話?」
世界大戦の最中、私と兄さんは少なからず『地獄』を見ている。
戦災は何も爆弾が街を吹き飛ばすだけじゃなかった。極限まで追い詰められると、ひとびとは悪魔にだってなる。食べ物や金品を奪い、殺し、また奪われて、殺されて……。
そんな彼らに私たちは『制裁』を与えた。
殺し屋として――罪人たちには非情の『死』を。
共和制への強引な移行によって意義を失った、カレードウルフの王城。
そこで私は最後の仕事に取り掛かっていた。共和国軍を私物化し、ノア人の虐殺を推し進めた人物を裁くために。
そう……あれは寒い冬の夜のこと。
「たたっ、助けてくれ! なんだってくれてやる……か、金か? コネか?」
「聞こえないわね。もっと大きな声で言ってもらえるかしら」
制裁を前にして、ターゲットは必死に命乞いをした。
「頼む! 見逃してくれえっ!」
二度とやらないから許してくれ、金で見逃せ、おれのせいじゃない――どれも聞き飽きたわ。彼らに私がくれてやれるのは、たったひとつの選択肢だけ。
右手は剣を、左手は銃を構えて、囁くの。
「あなたの好きなほうで殺してあげる」
拳銃は感触が残らないから、躊躇なしに相手を殺せてしまう。だから、くろがねの世界大戦はここまで広がった……なんて訴えてる馬鹿もいたわね。
どっちも同じよ。剣も、銃も。
犠牲者は『信じられない』って形相で、痙攣しながら白目を剥いて、事切れるの。
ただ、私は兄さんほど上手にできないから、血が流れちゃうのよ。
「そうだわ……兄さんが言ってたわね。喉の中からお腹に向けて撃てば、血が外に溢れないんですって。ちょっと練習してみようかしら」
「ひいいっ!」
お城の中で、一発の銃声が鳴り響いた。
最後の任務を終え、私は血生臭い現場をあとにする。
「……驚いたな」
それを目撃していた者がいた。
実のところ、気配には気付いてたの。十分ほど前から彼は私をつけていた。
「曲がりなりにも城で殺人事件とは……世界の混迷ぶりが恐ろしいよ」
薄闇の中でランプの炎が揺らめく。
別に『目撃者を始末』なんて発想はなかった。殺し屋の私はしれっと言ってのける。
「じきに終戦という話よ? よかったわね、貴族のお兄さん」
「ははっ、まさか。大変なのはこれからさ」
彼はまるで物怖じしなかった。丸腰にもかかわらず、物陰から出てくる。
「カレードウルフはまだまだ荒れるとも。共和政は脆弱だし、この戦争で国力も著しく低下した。……ある意味、戦争よりも大変な時代が始まるかもしれない」
政治の談議なんて心底、興味がなかった。殺し屋の私には関係のない話だもの。
「それはご貴族様の考えることだわ」
「言ってくれるじゃないか。共和政だから、主権は民にあるんだけどなあ」
苦笑しつつ、彼はつかつかと罪人の亡骸に歩み寄った。
「正直言うと、僕もカレードウルフの再建だなんて仕事は御免なんだよ。でも、立場上はそうも言ってられなくてね。嫌ってほど忙しくなる」
その唇が甘い調子で囁いた。
「新しい時代が始まったら、どうだい。僕のところに来ないか?」
意表を突かれて、私は少し動揺する。
「暗殺は引き受けないわよ。ほかを当たってちょうだい」
「そんなことは頼まないさ。そうだね……僕だけの専属メイドになってくれ」
何を言われたのかわからず、頭の中が真っ白になった。
「……は?」
「おはようからおやすみまで、僕のお世話をして欲しいんだよ。君に」
女性を口説く……にしては格好が悪いわ。ついでに気色も悪い。
でも、不思議と興味が湧いてきた。単純かつ純粋に『彼』というひとりの人間に。
「僕はジークフリート。君は?」
「……オディール」
「それって『白鳥の湖』の? おあつらえ向きじゃないか」
どのみち殺し屋は廃業だもの。次のお仕事にもちょうどよかった。
「ひとつだけ条件があるわ。一度でいいから、私……『白鳥の湖』を見てみたいの」
「いいね! 僕も見たことがないんだ」
契約は成立。
ジークは私のご主人様となり、私は彼のメイドとなる。
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