フライトナイト(1985年版)
1922年『ノスフェラトウ』からこのかた、吸血鬼映画と言えばブラム・ストーカー原作の『ドラキュラ』が元ネタになっているものが多かった。
いろいろとシナリオに捻りを加えて観客を飽きさせないよう工夫しています。
『ドラキュラ’72』では、ドラキュラを1972年のイギリスに甦らせ、ヘルシングの子孫と戦わせます。(クリストファー・リーのドラキュラとピーター・カッシングのヘルシングの久々の共演)
『ドラキュラ 都へ行く』は、ドラキュラによるラブコメディ。
ドラキュラは人気のキャラクターですが、吸血鬼映画はじわじわと「恐さ」の面で地盤沈下を起こしてきます。
そこに登場したが本作になります。
「フライトナイト」
原題「FRIGHT NIGHT」
1985年製作(米)
日本版DVD・BD有
日本語吹替:あり(ただし2020年現在発売されている日本版ソフトには収録されていない。海外版には収録されているものがある模様)
(ソフト版/テレビ朝日版)
監督:トム・ホランド
脚本:トム・ホランド
ジェリー・ダンドリッジ:クリス・サランドン(東地宏樹/安原義人)
チャーリー:ウィリアム・ラグズデール(石川界人/大塚芳忠)
エイミー:アマンダ・ビアーズ(潘めぐみ/高島雅羅)
ピーター・ビンセント:ロディ・マクドウォール(大塚芳忠/羽佐間道夫)
エド:スティーヴン・ジェフリーズ(須田祐介/三ツ矢雄二)
ジャンル:ホラーコメディ
時代背景:二十世紀・アメリカ
『あらすじ』
チャーリーが彼女のエイミーと自宅でキスしていると、窓の向こう、隣の空き家になにか大きな荷物が運び込まれるのを見る。
途端、そちらが気になって上の空になり、チャーリーは彼女を怒らせてしまう。
次の日、隣を訪れるすこぶる付きの美人。
その夜、隣家から悲鳴のような物音をチャーリーは聞く。
さらに次の日のニュースで昨日、隣家にやってきた美人が、バラバラ殺人の被害者になっているというニュースが流れる。
その夜、チャーリーは自室の窓から隣家を見張っていて、男女のラブシーンを目撃するが、その真っ最中、隣家の男は牙を生やしたのだ!
悪いことに隣家の男はチャーリーの覗きに気がついてしまう。
チャーリーは越してきた隣人が吸血鬼だということを、母親にもエイミーにも訴えるが信じてもらえない。
殺人課に訴えて捜査をしてもらうも、チャーリーの言動があまりにもおかしいために捜査は打ち切られてしまう。
友人エドに相談するも、馬鹿にされる。
八方塞がりに思えたが、チャーリーには救いがあった。
吸血鬼なら招かれねば家には入れないのだ。
しかしチャーリーの思惑をよそに母親が隣人……ダンドリッジを招いてしまう。
「これからはいつでも来られる」と、思わせぶりにチャーリーに笑みかけるダンドリッジ。
その夜、チャーリーは自宅でダンドリッジの襲撃を受ける。
母親が目を覚ましたことで、間一髪、チャーリーは難を逃れるが、根本的な危機は去っていない。
チャーリーはお気に入りの怪奇番組「フライトナイト」の司会でヴァンパイア・キラー、ピーター・ビンセントに相談することにする。
『物語のあれこれ』
狼男、フランケンシュタインの怪物、そしてヴァンパイア。ユニヴァーサルモンスターやハマー・プロダクションのホラーが観客の恐怖を煽ったのも今は昔。
時代は新しい怪物像……ゾンビ(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年ロメロ監督)や『ジョーズ』(1975年スピルバーグ監督)の台頭に、古めかしいモンスターたちは銀幕の片隅に追いやられつつありました。
もちろん、人気がなくなったわけではありません。
ヴァンパイアがとくにそうですが、弱点が分かっていて、かつたくさんある彼らは、「映画の闇を支配するだけの怖さがなくなってしまったと思われていた」のです。
そこに本作が登場しました。
いかにもな洋館に住むヨーロッパの怪物を、ある日、隣の空き家に引っ越してきた隣人に。
数ある弱点だって、だれも吸血鬼の存在を信じないなら役に立ちません。
鉄の意志を持つヴァンパイア・キラーなど、もちろんどこにもいません。いるのは落ちぶれた怪奇映画専門の俳優と何の変哲もない高校生。
そしてこれらの工夫によって、吸血鬼の恐怖が銀幕に戻ってきたのです!
こういう工夫は、なにもトム・ホランド監督の独創と言うわけではなく、『呪われた町』(1975年S・キング)など、小説界においては先行作品がありました。
ホランド監督の功績は、これらの工夫をコメディとホラー、そして吸血鬼のエロティシズムと巧く融合させ、それを非常にテンポの良い脚本に昇華させたことにあるでしょう。
オープニングから、吸血鬼が隣家にいると分かって対策を講じようとするも、周囲に信じてもらえなくて孤立無援……ここまで、二十分くらいです。
冗長なシーンはひとつもありません。
加えて、ヴァンパイア・キラー役のピーター・ビンセントのキャラクターが秀逸です。
雰囲気はハマー・プロダクションの『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)の、鉄の意志でドラキュラを追い詰める凄腕ヴァンパイア・キラー、ヘルシング博士役ピーター・カッシングに寄せつつ(着ている衣装がカッシングのヘルシング博士を彷彿とさせるデザインで、かつ役柄も深夜の怪奇映画番組の司会役として番組中にたびたび、杭を打つ真似をしたりする)そのじつ、番組が打ち切られそうで金がない三流役者……そのギャップがいい。
本作の吸血鬼は、鏡に映らず、十字架を恐れます。(ただし、ダンドリッジに対してはその十字架のちからを心から信じている場合のみ)
太陽の光を浴びると燃えてしまう。心臓に杭を打つことも滅ぼす有効な手段です。
また、蝙蝠や狼に変身することも出来ます。視線で人を操り、血を吸うと、吸われた人は吸血鬼になるため、仲間を不必要に増やさないためにバラバラにしてしまう必要があります。
ピーター・ビンセントがピーター・カッシングのヘルシング博士を彷彿とさせるほかにも、ディスコでエイミーとダンドリッジの妖しくも美しいダンス(そしてダンドリッジだけ鏡に映らない)シーンは『ロマン・ポランスキーの吸血鬼』(1967年)や『ドラキュラ 都へ行く』(1979年)のダンスシーンを彷彿とさせます。
また、エイミーがかつての恋人の生き写しの設定は『ブラキュラ』(1972年)を思い起こさせます。
このように、過去の名作の設定をちりばめつつ、現代に吸血鬼の恐怖を甦らせる、観客を怖がらせる、という点において妥協がありません。
テンポ良くつぎつぎとシーンは切り替わり、チャーリーは容赦なく追い詰められていきますが、観客もまた当初、主人公の「ヴァンパイアが!」と騒ぐ姿、ビンセントの世知辛い姿に笑っていたものが、いつしかチャーリーとともに追い詰められていき、笑えなくなっていることに気がつくでしょう。
また、本作は現在の大作映画ではCGに変わられて使われなくなっている特殊メイクによる撮影技術の完成形が味わえます。
エドが狼から人に戻るシーン、ダンドリッジの従僕ビリーが溶けながら砂に変わるシーン、エイミーが吸血鬼と化し、口の裂けた恐ろしい形相でチャーリーに迫るシーン等、CGとはひと味違ったいまでは味わえない生々しさのあるシーンですので、そのあたりにも注目です。
ところで……突っ込むのは野暮というものですが、チャーリーは自宅に転がってる友人のエドの死体……どうやって処理したんでしょうね?
『続編・関連作情報』
「フライトナイト2 バンパイアの逆襲」
ダンドリッジの妹が兄の仇をうちに主人公を襲う。
チャーリーとビンセントのコンビは続投。
しかしながらエイミーとは別れて新しい彼女が出来ている。
日本版はVHSのみでなぜかDVD化されていない。
「フライトナイト 恐怖の夜」
本作のリメイク版。2011年公開。
「フライトナイト2」
続編のリメイク版。2013年ビデオ作品
吸血鬼映画の話をしようか 宮田秩早 @takoyakiitigo
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