第38話 黙示録:糾襲

〔これまでのあらすじ〕

オシリスの羊シロ、魔王の娘クロ、誘拐された妻を探すアラクネ族の末裔パウク、死を偽装して自由になった元騎士イグニス、彼を慕う元騎士ヴィトラ、そして2人目のオシリスの羊ミヅイゥ。6人の世界を救う旅は続く。


時空間位相逆行装置ウプ・レンピットが遂に起動した。

塔の上部で発射した紫色の光が半球状に広がり空間を包む。大地に紫色のカーテンが降りた。

隔てられた空間の中で空は歪み、大地は瞬時に焼け焦げひび割れた地肌が露呈した。光は遮られ、光を吸収したカーテンに妖しく照らされる。



「団長…報告致します。対象物に変化が発生。周囲の空間一体が紫色の皮膜に覆われました」

「次報をお伝えします。皮膜が膨張を開始。徐々に皮膜の範囲が拡大しています。中の様子は観測不能。外部からの一切の攻撃は通らず、侵入した騎士は未だ戻っておりません」


シャンティーサは言う。

「ウプ・レンピットはその名の通り範囲内の時空間を逆行させる。つまりこの仮称黙示録フィールド内において過去世界の復元を行うことができる。逆行速度は中央に近づくほど速まる。逆もまた然り。中心から離れるほど速度は遅くなる。しかし黙示録フィールドと外界の差は歴然だよ。位相の変化に耐えられなかった物質は消滅する。耐えられるのは元々この塔の中にいた人間くらいかな」


「突撃ーッ!」

レニカの街騎士隊隊長カピタノの合図により騎士達は紫色の皮膜へと突撃する。

皮膜の内側、外界からは決して覗くことのできない黙示録フィールド内部において、そこに到達した騎士達は瞬く間に肉体が消滅した。

時間は正の方向に進み続けるという原則が破綻した空間に存在することができなかったのだ。


「残っている住民に避難命令を出せ」

レニカの街騎士隊本部に訪れていた団長が命じる。

閑静な街に避難命令を告げるラッパの音が響き渡る。



シロは塔の一階へと下りてきた。階段の裏を探ると模様に紛れて取っ手が見つかった。引くと床が開いてそこにはさらに階段が続いていた。

シロはその階段をゆっくりと下りた。床を閉めると螺旋階段は真っ暗だった。微かに見える足元を一段ずつ慎重に下る。

何段進んだだろうか、螺旋階段が終わった。そこから直線の通路を少し歩くとシロの前に一枚の扉が現れた。

ドアノブに手をかける。扉を押すと開いた。中から明かりが溢れる。シロは地下室の中へ入った。

その部屋はどうやら洞窟の一部のようであった。机の上に置かれたランプが洞窟の壁画を照らしている。

「これは…」

シロは壁画をまじまじと見つめた。立ち昇る黒煙。そしてそのそばにまるで注釈のように刻まれた文字。

「これは古代の惨禍を記したものだよ」

机の上にひょっこりと姿を現したものがいた。羊のぬいぐるみ、キュビネである。

「キュビネ!」

「久しぶりだね。どこにいたんだい?」

「水渧宮。魚人族と一緒に」

「なるほど。それなら納得だ」

「何が?」

「いや、なんでもない。こっちの話さ」

「それよりキュビネ…」

「ああ。言わなくても分かる。獣に先を越されてしまった。早急に対処しなければ手がつけられなくなる」

「そんな…!」

「そこで君の出番だ」

「でも私、何もできないし」

「ほらここに」

キュビネは一冊の本を抱えた。

「スキルの本!」

「これは君のものだ。シロ」

シロはその本を手に取り開いた。

「あ…」

しかし本のページは真っ白であった。

「シャンティーサに全て奪われてしまったね。でも大丈夫。この為のウプ・レンピットだからね」

「…?」


イグニス、ヴィトラ、パウク、クロ、ミヅイゥ、そして騎士団のお目付役アシミラはウプ・レンピットの最上階にてシャンティーサの造り出した傭兵、カメレオンとの戦闘を繰り広げていた。

姿を暗ますことのできるカメレオンはさらに自慢のスピードを活かして6人を翻弄していた。

透明な姿を捉えようと糸を張るパウクだが、その隙間を潜り抜けるほどの身のこなしだった。

「ガハッ…!」

イグニスの鳩尾に拳が入る。続けざまに背中を蹴られ、よろめいたところを地面に叩きつけられる。

「イグニスッ!」

「むっ」

微かな糸の揺らぎを感じたパウクがヴィトラの前でカメレオンの攻撃を喰らう。

しかし庇ったヴィトラもやられてしまう。

クロは血の力を使うか迷ったが、アシミラに身分まで悟られるわけにはいかないのでミヅイゥを守りつつ動けないでいた。

「仕方ないですね。あまり手の内を明かすなと言われていたんですけど、ここでやられては元も子もないですし」

アシミラがパウクに近づく。

「パウクさん…でしたっけ。僕のスキルなら奴の動きを遅延させることができます。ただ触れる奴に必要が…」

「承知した!では新技をお見せしよう。蜘蛛綾取ファデラーノ:糸触手」

パウクの指の間から伸びる糸が太さを増す。そのまま糸は触手さながら部屋中を縦横無尽に伸びる。

糸の触手はものすごいスピードで切断されていくが、斬撃によりカメレオンの大体の位置を推定することができた。

パウクはその箇所目掛けて糸の触手を集中させる。

一つの触手が切断された時だった。アシミラは自分の手前側から触手が切断されたのを見た。すかさず右手を伸ばす。

律速遅与グランデル

アシミラには肉体に触れた感覚が確かにあった。カメレオンはそこにいた。

アシミラがカメレオンに触れてから彼の右腕が切断されるまで2秒かかった。果たしてそれまでにどれだけカメレオンを減速させることができたのだろうか。

しかしアシミラは自らの右腕が切断されてすぐさまその場から逃れた。カメレオンの2撃目はアシミラに当たらなかった。

「アシミラ!」

「私は大丈夫です。それより奴を!」

カメレオンの刃が斜めに入ったせいでアシミラの右腕は綺麗に切断されず、剥がれて残っている肉から血が滴る。

パウクは再び糸の触手を集中させる。糸の処理速度が明らかに落ちていた。

そして遂にパウクの糸がカメレオンの肉体に絡まった。

「オラアアアアア、烈炎双剣デュアルフレイム

イグニスはカメレオンに駆け寄り赤い炎をたぎらせる双剣ヨモツマガツで斬りつけた。

「燃えやがれッ!」

「ギャアアアアアアアアア!!」

カメレオンが絶叫する。危機を察知したイグニスがすぐさま身を引く。パウクの糸が瞬時に細切れになる。

「キヒ、キヒヒ。そうだヨ。これだヨ。たのしいネ。たのしいネ」

ヴィトラはカメレオンを見てあることに気づいた。

「まさか、火が効かないの?」

「キヒヒヒ。そうだヨ。マスターから強靭な肉体を頂いたからネ」

カメレオンはアシミラを指差す。

「オマエ、厄介だネ」

そう言い切るのが早いか、アシミラの腹に燃え盛るカメレオンの腕が貫通していた。

「そ…な…」

すぐさまパウクが糸で縛り上げようとする。しかし糸はアシミラの体のみに絡まった。

「貴様アアアア!」

天井に張り付いていたカメレオン目掛けてイグニスが刃を突き立てて跳ねる。カメレオンはすぐさま避けると床を蹴り、天井に刺さったヨモツを握るイグニスに襲いかかる。

「イグニスさん、手を離して!」

クロは自らの横を通り過ぎた背中を見て目を見開いた。

指鉄砲弾タルウス……バン!」

人差し指をカメレオンに向け、親指を立てて残る指を丸めた手の指先から光線が放たれる。光線はカメレオンの肉体を蒸発させ、天井に穴を開けた。

「シロ!」

クロはその名を叫んだ。右腕を突き出したシロの左手には本が開かれていた。初めて会ったあの丘での姿が重なって見えた。


きょとんとしているシロをよそにキュビネは続ける。

「数多のスキルが記述されたシロの本、便宜上シャンティーサに倣ってマギアスと呼ばせていただこうか」

「マギアス?」

「そう。作者不明、目的不明の知恵の詰まったバイブル。人を引き寄せ導くもの。救世にも破滅にも。シロのスキルの本のことだよ」

「ああ。これが」

シロは机の上に置かれた本を見た。そして再び話し始めたキュビネを見る。

「シロ、君も内心悩んでいたんだろう?マギアスに残されたスキルの数が減ってきていることに」

「まぁ…うん。戦いながら何が有効か考える時間は増えたかな」

「そうだよね。だからマギアスを修復する必要があったんだ」

「マギアスを…修復?」

「そうさ。これもシロの為だ。ボクはこの世界に干渉できないからね。だから頼んだんだ。ボクの知る一番の天才に」

「シャンティーサ・フィコ…?」

「そう。その通りだよ」

「そんな…だって、あの人は獣に…」

「ああ。知っているよ。今も彼の頭の中には黙示録の獣がいる」

「どうしてそんな人と協力を!?」

「だから、さっきも言っただろ君の為だよ。シロ」

「え?」

「君は使命を全うしなければならない。オシリスの羊として神の下に辿り着かなければならない。その為ならボクはいくらでも協力するよ。シロ」

「でも…」

「それに今はチャンスだ。獣を殺す絶好の」

「殺すって、シャンティーサ・フィコを?」

「別に殺す必要はない。完全忘却レテントが復元する今となってはね」

「完全忘却って…記憶を消すスキル?」

「そう。実体のない獣は意識という形でシャンティーサに干渉している。彼に全てを忘れさせることができれば、この世界での居場所を失った黙示録の獣は消滅する」

「ピースは揃っている…ってこと?」

「厳密にはもうじき揃う、かな」

キュビネがそう言うと塔が激しく振動した。

「ウプ・レンピットが動き出したか。シロ、マギアスを見ていてごらん。復元が始まるよ」

シロは机の上のマギアスに目を向ける。突如それは強い光を放ち始めた。シロは左手で目を覆う。

「まぶしい…」

それもそのはずである。塔の地下に隠されていた謎の空間、その部屋一帯の壁が同様に光を放っていた。塔の地下室に、そしてそこに続く洞窟からの通路もまばゆい光を放っていた。

光に刺激されてか、シロの頭が割れそうなほど痛み始めた。シロは思わずその場にしゃがみ込む。キーンという鋭い音が脳内に激しく響いていた。

「さて、この復元が吉とでるか凶とでるか、それもまぁ、彼次第か」

シロにはキュビネの独り言を聞き取る余裕はなかった。

――いたい…。これ以上は……!

シロは力を込めて固く両目を閉じていたが、その力がふっと抜けた。うずくまっていたシロは机の脚に倒れこんだ。


『………………………………………………………………………』

『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』『どうして?』


「…ロ!……は…だ…い。…シロ!」

「はっ」

シロはキュビネの声で目を覚ました。その頃には部屋の煌めきはとうに落ち着いていた。

「大丈夫かい?」

「うん」

机に手をつきつつ立ち上がる。

「今のは…」

「気にする必要はない。それよりもマギアスを見てごらん」

シロはマギアスを手に取ると開いた。

「あっ」

開かれた両ページには均等にスキルが並んでいた。

「復元してる…」

「さぁ、ここからはシロ、君の番だよ」

「…うん」

シロはマギアスをしっかりと握りしめると地下室の、そして塔の最上階へと続く階段を駆け上がった。


イグニス、ヴィトラ、パウク、クロ、ミヅイゥ、そしてシロは絡まった糸をほどいたアシミラのそばで立ち尽くしていた。それはアシミラというよりもかつてアシミラだったものであった。

「みんな、聞いて。獣を倒す方法があります」

シロは5人の背中に語りかけた。

「ああそうだ。俺達はここで止まっているわけにはいかない」

「そうね。シロ、続けて?」

「私の本、マギアスが復活しました。完全忘却のスキルで、記憶ごと獣を消すことができる」

「うむ。ならばまずは取り押さえなければならぬな」

「ええ。黙示録の獣と共に非道をつくすあの科学者を」

そしてシロの開けた天井の穴を見上げて始めて気が付いた。空が紫色に変色していることに。


「どうしてこんなことに!」

考えるよりも先に体が動いていた。とでも言えばいいだろうか。

ヴィトラとイグニスは地上に戻って空を見上げた。

ウプ・レンピット起動による特殊空間の発生、紫色の膜の存在をこの時初めて認識した。

「クッ…!」

塔から出て膜の中の空気にクロが触れた瞬間だった。クロの皮膚が焼けるように剥がれた。

そして皮膚の下から鱗のようにギラギラと光る黒色の真皮があらわになった。

「変身の魔法が。…どうして?」

クロが魔王城を抜け出す際に協力者によってかけられた変身の魔法。今まで力を抜くことで魔族としての肉体を僅かに解放していることはあったが、それが瞬時にそして完全に解かれてしまった。

体中が鱗に覆われ、鋭い爪を伸ばし2本の角を携えたクロの真の姿。それを5人は目の当たりにした。

「この際今は気にしないで。私は大丈夫だから」

6人は空を見上げ、そして塔の頂上に立つシャンティーサ・フィコを発見した。

「あの塔の先から出ている紫の光が反射してこの膜を形成しているのね」

ヴィトラの分析は正しかった。

「ならあの塔をぶっ壊せばこれは収まるんじゃないか?」

「そうは言ってもあの巨大な建物をどうやって破壊するんだ?」

「あー、シロ、なんかそういうスキルないのか?」

その時だった。ウプ・レンピットから放たれる紫色の光線の先、その反射面の真下、つまり半球状の膜の最も高度が高い点。そこに時空の亀裂が生じた。


「シャンティーサ・フィコよ、ここまでご苦労であった」

シャンティーサ・フィコという人間との巡り合わせは黙示録の獣にとって単なる幸運、都合のいい展開であった。彼という人間、そして彼のスキルがあったからこそ獣は最悪の選択肢を取ることになってしまった。

識術創造サピクレド狂獣召喚クティノスペール

開かれた時空の亀裂から四体の怪物が姿を現す。

「あれは…四神!」

クロは言った。6人は四神を凝視していた。

東西南北を統べる四神獣、アズラク、アフマル、アブヤド、アスワドが現実世界に顕現した。

「識術創造:四神融合アドゥノツート

シャンティーサを介した獣の魔法により顕現した四神が融合した。

シャンティーサ・フィコの脳内から抜け出した黙示録の獣が四神と同調する。

かくしてレニカの街に最悪の魔物が誕生したのであった。

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