最終話「アンジェリカ」

 暗闇が、ゆっくりと包み込んでいく。


 落ちていく感覚。

 風の音も、氷の冷たい痛みも、やがて何も感じなくなった。


 そして随分と長い時間が経った気がする。


 森を歩き、街を駆け、青空を見上げる三人と一人の姿。


「アンジェリカ!早く来いよー!いつまで昼寝してるんだ?」


 ルーカスさんが笑って手を振っている。


「どれ、お疲れのようであれば我が代わりに荷物を持ちますぞ」


 ガイマンさんが大きな荷物を背負ってくれて


「ね!ね!これなんて花かしら?綺麗よ!」


 ファスカさんが綺麗な花を見つけては、名前を教えてと嬉しそうに話しかけてくる。


「待ってください!今、行きますので!」


 そう言って私は走った。なんて悪い夢だったのだろう。

 走って、彼らの元へ手を伸ばして——


 世界が、崩れた


 景色が割れ、声が遠のき、光がひとつずつ消えていく。


 アンジェリカの瞳が、現実へ引き戻された。


「え…あれ…?」


 そこは、崖の底。魔王の右腕を見つけたあの洞窟の前だった。


 血の匂いと、折れた骨の痛みと、冷たい雪の感触。


 身体は動かない。

 ただ、空を見上げるしかできなかった。


 静かに涙がこぼれた。


「嘘……夢……だったの……?」


 声が震える。


「あれ……どうして……こんなことに……」


 空を見上げても、誰もいない。

 三人の姿は、ここにはない。


 そして、彼女は気づいた。


 ——自分が、全てを壊したこと。

 ——自分が、救いを奪っていたこと。


 そして、自分の命は終わること。


「……ま……って……わたし……まだ……!」


 腕を動かそうとする。

 足を動かそうとする。

 でも、指すら、もう動かない。


 涙が止まらない。

 喉が熱い。

 呼吸が、うまくできない。


「いやだ……いやだ……いやだ……!!」


 子どものように喚き散らす声。

 それでも、誰も答えてくれない。


「ルーカスさん!!!ガイマンさん!!!ファスカさん!お願い……! ここです!置いていかないでえええええええッ!!!」


 爪が砕けても、指が動かなくても、

 潰れた喉で血を吐きながら遥かに山頂に叫ぶ。


「だずげで…誰…が…お願いだから……

 わだじ…死にだぐない……っ……!

 死ぬの、こわ…い……! いやああああああああああああっっ!!!」


 泣いて、泣いて、泣いて——

 嗚咽と絶叫が交互に喉を引き裂いた。


(なんで……こんなことに……どうして……わたし……間違えたのですか…… ねぇ、誰か……教えてくだ…さ…)


 視界が霞んでいく。

 ゆっくりとした吐血とともに、命が削れていく。


 それでも、涙だけは止まらなかった。


「わたし……みなさんを…救いたかった…だけなの…に」


 歯を噛み締めて、喉を震わせて、

 アンジェリカは最後に一度だけ、空へ手を伸ばした。


 そこに誰かの手がある気がして。


「みんなで…ぼうけん…を…し」


 ——その声は、途切れた。


 彼女の身体はもう動かない。

 涙の跡を残した顔が、雪と風の中で静かに凍っていった。


 誰にも見つけられず、誰にも届かず、

 魔王アンジェリカは、命を終えた。

彼女に使役されていたもの達も、闇へと還っていく。


 最後の最後まで救いを与えられず

 仲間を思い、誰かを想いながら。

 もう二度と戻らない、過ちの代償として散った。


 アンジェリカの冒険は、こうして何かを得ることもなく、何かを為すこともなく、無惨にも救いのない幕を閉じたのだった。

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