第九十二話:闘争の渦~検証㊳~




            ※※ 92 ※※




 思いのほか豪勢だった夕食を終え、はらも心も満たされた俺は、ボフンッと居間のソファーに身を沈めた。片付けを終え、キッチンから暖簾のれんくぐって居間へと入ってきた灼はテーブルの上にぼんを置く。その上に載っているのは熱々の緑茶が入った湯飲みが二つ。俺は、その一つを指先にみる熱さを感じながら取り上げた。


「あんたの話を聞いて気になったことがあるわ」


 灼が、ゆっくりと緑茶をすする俺の隣にストンと腰を下ろした。そして食器洗いで冷たくなったてのひらを湯飲みでホコホコと温めつつ、


「『平家物語』では以仁王の三条高倉邸に向かった検非違使けびいしの中に頼政の養子・兼綱かねつなが加わってるわ。同時に知らせを受けた長男・仲綱なかつなは以仁王を逃亡させてる。騒乱に参加する理由は『木下このした』事件によって源氏の面目を潰された私怨しえんではないか、という通説には疑問が残るという事は、さっき話したけど……。

 でも『玉葉』の内容は八条院御所に検非違使けびいし殺到さっとうする前に、頼盛の妻が八条院・暲子あきこ内親王を始め女房達を避難ひなんさせてるし、その後、出て来た以仁王の若宮も検非違使けびいしにしょっぴかれそうなところを頼盛が保護してるわ。

 つまり平家に近い情報を持ってた頼盛が、以仁王も事前に逃がしたように聞こえるのよね。それだと、ますます頼政たちの動機が分からなくなるわ」


 同じように緑茶をすすり、熱々の湯気ゆげの中に表情をかくした。八方ふさがりな思いに道を示すため、俺は出来るだけさとられないよう気を付けて言う。


「……まあ、挙兵に至る経緯と動機には諸説あるが、私怨以外では以仁王を捕らえ切れなかった仲綱なかつなに対し宗盛が大いに非難したこと。三井寺の焼き討ちを命ぜられて頼政が難色を示したことに宗盛は頼政親子にまで謀反むほんの容疑を掛けたことが挙げられる。

 特に源氏の信仰があつく、源頼義が戦勝祈願をしたり、源義光が新羅善神堂しんらぜんしんどうの前で元服して『新羅しんら三郎』と呼ばれたりと歴代の尊崇も深い。む無く以仁王の味方をしたという説が有力だが……突発的な事件を動機にするには弱いかなと思う。しかし――」


 目指しつつある答えに一歩踏み出して、


「――俺の私見は、建久四年<1193>に起きた『曾我そが兄弟のあだ討ち』に頼政親子をふくめた清和源氏、ひいては小侍従や以仁王まで巻き込んだ平家討伐の意思と覚悟がかくされてると考える」


 俺は感得かんとくを言葉に変えた。しかし、その明確な一歩が思いもよらないみ出しに灼ははげしく動揺する。


「え……と、『曾我そが兄弟のあだ討ち』って、『赤穂浪士のち入り』『伊賀越えの仇討ち』と数えられる日本三大仇討ちの一つで、『曽我物語』は謡曲ようきょく浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶきなどで上演されてるわ。確か源頼朝と共に富士の巻狩りに行った工藤祐経すけつねが、伊東祐親すけちかの嫡男である父・河津祐泰すけやすかたきとして曾我祐成すけなりと曾我時致ときむねの兄弟に討たれた話よね。どうしてそれが関係するの?」


 灼の生真面目きまじめな問いに、俺は他愛たあいなく笑う。


「工藤祐経すけつねと伊東祐親すけちかの人間関係だな」


 俺の口ぶりや態度から話を盛っていると感じたのだろう。急に灼は落ち着きを取り戻し、冷めた瞳をすがめる。それに気付いて、


「た、確かに『歴史検証ゲーム』ではあるが、これまで軍記物語など創作物は参考程度で極力排除はいじょしてきたのに、今さら『曽我そが物語』の内容を検証材料にするつもりはない。歴史背景が重要で特に伊豆国の荘園に関係することだ」


 あわてて弁明の声を上げた。しばらくジト目の灼が沈黙にえ切れなくなったように嘆息たんそくする。


「まあ、いいわ。頼政や以仁王だけでなく、小侍従までも平家と対抗しなければならない動機が伊豆にあるというわけね」


 向けられた灼の言葉に、とりあえず安堵を得て、俺は先を続ける。


「伊豆国は律令制下では坂東における島々の一つ――現在の伊豆諸島の一部――と考えられていて遠流おんるの地であり、交通の便も悪く辺境の下国だ。また天城山を始め火山半島で平地が少なく作物がなかなか実らない。ただし鉱物資源が豊富で硫黄や水晶、特に砂金が多く産出した。

 天慶三年<940>平貞盛さだもり・藤原秀郷ひでさと連合軍に参陣した藤原南家の藤原為憲ためのりは将門征伐の勲功として従五位下・木工助もくのすけに叙爵され、工藤氏の祖として伊豆を中心に繁衍はんえんしていく。

 ちなみに為憲ためのりの母は高望王の娘であり、将門や貞盛とは従兄弟にあたる。叔父の国香くにか良兼よしかねと共に源まもるに味方し、一度は将門との戦に敗れてる。

 工藤為憲ためのりは豊かな土地と共に海運に恵まれた東伊豆の狩野を開墾し、木工助もくのすけという職掌から特に造船用の木材を朝廷に収めてたようだ。

 応徳二年<1085>伊東氏の祖・工藤祐隆すけたかは久須見郷を更に開発した。祐隆すけたかの四男で、狩野氏の祖と言われる工藤茂光しげみつが狩野郷を含めた『加納荘』を継ぎ、後白河院に荘園を寄進することで検断けんだん権を得て、伊豆での勢力を盤石ばんじゃくなものにした。

 やがて京都では平清盛の勢力が台頭してきており、久須見郷に本領である伊東郷・宇佐美郷・河津郷を併せて『楠美くすみ荘』を重盛に寄進した。そして重盛はその『楠美くすみ荘』を二代の后・藤原多子まさるこに寄進してる。

 ここに祐隆すけたか下司げし>→重盛<領家>→多子まさるこ<本家>の構造が出来上がる」


 灼は動揺の中でおどろきを隠さず、

 

「重盛が寄進したのッ!? しかし、まあ……よりによって二代のきさきだなんて。でも、時期的に美福門院の知行だった越前国をいだ多子まさるこから、年期によって重盛に移譲いじょうされた頃ね。重盛としては配慮の一端いったんだったのでしょうけど……越前国のことも含めて清盛・宗盛・時忠が重盛と激しく対立した理由がここにもあったってわけね」


 だが、なるほど、と核心へ思い至る。


「……平家の分裂が伊豆にも影響を与え、工藤氏にも内輪めが起きる。それが最終的に『かたき討ち』に発展するということなのかしら」


 その問いに俺は強くうなずいて見せる。


「そうだ。祐隆すけたかの嫡男・伊東祐家すけいけが早世した時、その嫡男である伊東祐親すけちかは幼子であったため、祐隆すけたかは分家からの養子・祐継すけつぐに本領の伊東郷・宇佐美郷を継がせ、祐親すけちかには河津郷を継がせた。つまり嫡流ちゃくりゅうから外されたということだな。

 祐隆すけたか亡き後、久須見郷と工藤本家を継いだ祐継すけつぐは久寿二年<1155>に起きた大蔵おおくら合戦の矢傷により43歳で病死すると、叔父の伊東祐親すけちかが9歳の金石<祐経の幼名>の後見人となる。永暦二年<1161>14歳で工藤祐経すけつねは元服すると同時に伊東祐親すけちかともなわれて京に上り重盛に拝謁、その後は滝口武者として多子まさるこの近衛河原・大宮御所と暲子あきこ内親王の八条院御所、以仁王の三条高倉館や後白河院の旧・基盛邸を警護することとなる。

 当然、警護の責任者は源頼政であり、平治の乱以降、伊豆の知行国主でもあった」


 今度は明確な感情以上の確信に変えて、


「続けて」


 短く言い置き強く灼が促した。俺は笑みを含めて言葉を継ぐ。


「一方、祐経すけつねを京都へ追いやった祐親すけちかは、本領の伊東郷・宇佐美郷を奪い、河津郷を嫡男の祐泰すけやすに与える。また重盛よりも宗盛・時忠の陣営が優勢だと見るや、時忠に河津郷を寄進して関係を強めていく。

 親平家派閥へ鞍替くらがえした祐親すけちかは、清盛の命令で――名目上は重盛・頼盛だが、実質では小侍従が裏で多子まさるこから二条天皇へ嘆願たんがん――長年あずかってきた流罪るざい人の源頼朝が徐々に邪魔じゃまになっていく。時忠にも水晶や砂金が献納けんのうされるようになると、次第に下国である伊豆の知行を所望し始めてきた。

 安元元年<1175>京都から帰郷した祐親すけちかは、娘の八重姫と頼朝の間に出来た嫡子・千鶴丸を殺害し、頼朝も狙われたので祐親すけちかの次男・祐清すけきよが北条時政邸に逃がしたという話は以前にした通りだ」


 灼は大きく伸びをして、ソファーに深く腰かけ直す。


「異説や通説、物語……あるいは政治史や土地史など、それぞれの視点で歴史をながめると、異なった形に変わってしまう時があるわ。でもそれらを重ね合わせてみると、異なる因果関係が同じ形として一本のトンネルを作ってしまう。そうすることで歴史がより深く見えてくるものなのね。あんたが前に話した頼朝の愛息が殺された恨みの背景も鮮明になってくわ」


 灼の笑顔に軽い感嘆かんたんが込められていた。その幾分いくぶんかの感情にある喜びを見つけて俺も大きく頷く。


「そうだな。それでも俺たちは歴史の断片ですられぬまま、知ってるつもりでいるのかもな」


 物見高ものみだかくも気恥ずかしい台詞をく俺のひたいを、灼が指で小突き、大きな瞳で優しくにらむ。


「ふふふ。カッコイイこと言って、あんたらしくないわ。まあ……あたしから振った話題だし、そうやって歴史に没頭ぼっとうしてる平良は好きよ」


 言った灼は、たがいの息も混じるほどに近くなった俺の顔を見て、大胆な自分と油断した言葉に気付く。途端とたんほおを上気させ、座ったままの姿勢で器用にねて離れた。母親からもらったメモの内容が頭にぎる刹那せつなを打ち消しながら、


「い、今のは……、あんたと歴史の話をするのが好きという意味で……。そ、そそ、そういう意味ではなくて――ぶどうジュースなのに『モスト・ドゥーヴァ』飲み過ぎちゃった……のかな」


 灼は必死な言い訳で声をつなぐ。驚き絶句していた俺も、どういう状況なのか本気で分からなかった一瞬を置いて、答え通りの純良さをそのまま口にする。


「えーと、……俺もお前との歴史の話は楽しいぞ」


 おかしみを持ってもう一度、


「お前、設楽原したらがはらの実験考古の時も似たようなこと言ってたし、な」

「え?」


 落ち着きを取り戻した灼は、ぽかんとなって、その意味を探した。俺の勘違かんちがいだけでなく鈍感を通り越した無知に気付いた時、急にあきれと怒りが半分ずつ芽生えた。


(あたしの気持ち、全然分かってないッ)


 反射的に激昂げっこうの声に変わる。

  

より先を続けてちょーだいッ!」

「り、りょ了解……」

 

 そんな不条理な声に、俺は困り果てた不思議な思いで『歴史検証ゲーム』を続けた。


祐親すけちかは本領の伊東郷・宇佐美郷を奪った後、祐経すけつねの妻であり、娘でもある万劫まんごう御前を勝手に離縁させ、土肥遠平とおひらとつがせてる。

 『曽我物語』では、京で御所警護にいそしんでた祐経すけつねもとへ伊豆の母から手紙が届く。祖父・祐隆から父・祐継に相続するゆずり状や地券文書が同封されており、祐親すけちかの横領と妻との離縁を知る。

 祐親すけちかにとって、本来は自分が継承けいしょうすべき本領であったと恨みを持ち、機会をうかがってたというわけだな。

 祐経すけつねは伊豆に下って決着を着けようとするが、事態の悪化を恐れて祐親すけちかを都に召し出し上裁じょうさいを仰ごうとする。しかし事前に祐親すけちかが宗盛・時忠に根回ししてた為、失敗に終わる。

 ここだけ考えてみると、俺の私見では、土地の所有権に関する公的証明書である『公験くげん』が祐経すけつねの手元にあるにも関わらず、敗訴あるいは不起訴になった理由として、祐経すけつねが『刈田狼藉かりたろうぜき』に対する確かな証拠を提示できなかったのか、平家が『刈田狼藉』の嫌疑けんぎ不十分としたのか……多分、後者だろう」


 灼が人差し指を唇にえて小首をかしげる。灼の思考する時のくせだ。


「中世では一つの荘園に対して、多方面に及んで権利を持ってる人たちが重なり合ってるわ。『刈田狼藉かりたろうぜき』は権利を主張するために田んぼのいねり取ってしまう実力行使だけど……。とにかく『公験くげん』はないが、平家によって祐親すけちか実効じっこう支配が認められた、ということなのね」


 俺はその答えを強く受け止め、口を開く。


「ああ。実はこの時期、全国の荘園で同じような事件があったのでは類推るいすいする。それは源義仲よしなかの上京で話すとして……。

 安元二年<1176>祐経すけつねの事情を知った知行国主の頼政は、嫡男・仲綱が伊豆守の任期を終え帰京してたので、次男・源頼兼よりかねを伊豆守として調査に下した。祐経すけつねの家臣、大見小藤太おおみことうた成家しげいえ八幡やわた三郎行氏ゆきうじも同行し、祐経すけつねの密命で祐親すけちかを暗殺しようと試みるが、祐親すけちかを討ちらした挙句、傍にいた嫡男・河津祐泰すけやすに矢が当たってしまう」


 仕方ない、という仕草を露わにして、灼は声を返す。


「これが原因で祐泰すけやすの子・曽我そが祐成すけなり時致ときむね祐経すけつねに仇討ちをするってことね」

「そうだな。しかし、祐親すけちかと平家――特に時忠が別当である検非違使けびいし庁――が完全に癒着ゆちゃくしてる以上、暗殺はやむを得ない手段だったのかもしれない」


 灼の正答に俺は納得の色を見せた。


「だが、祐親すけちかの暗殺未遂が最悪の事態を招く。時忠はこの事件を伊豆守・頼兼よりかね監督不行届かんとくふゆきとどきとして非難し、加えて伊豆介・工藤茂光しげみつに『楠美くすみ荘』『加納荘』を含めた預所あずかりどころ<領家に代わり荘務そうむり、租税の徴収ちょうしゅう権を持つ>と武者所むしゃどころ<伊豆の武士団統括・指揮権>を祐親すけちか譲渡じょうとするよう強要する。

 さらに宗盛が伊豆・知行国の国司推薦すいせん権に介入しようとすると、源頼政が猛反発した。これらの争いも重盛が何とか仲裁ちゅうさいしてきたが、治承三年<1179>に病没すると、一気に表面化した」


 嫌な予感が胸によぎり、灼は声に溜息を混ぜる。


「……そして、以仁王の皇嗣こうし問題に関与してる恐れがある、源頼政や八条院・暲子あきこ内親王、二代の后・多子まさるこに小侍従が平家に敵視され、その間に重盛・頼盛が立ってる、という構図が出来上がるのね。だいたい……動機は理解したわ」

「『楠美くすみ荘』の預所あずかりどころが平家に移ってしまったら、ただでさえ貧乏な近衛河原・大宮御所はえてしまう。小侍従にとっても死活問題だな」


 そう言い合ってから、俺はひと呼吸置き、


「この時代、清盛よりも重盛の方が歴史的意義は大きいと俺は考える。治承三年<1179>七月に重盛が薨去こうきょして十一月には治承三年の変が起き、後白河院は鳥羽に幽閉される。さらに十日後には以仁王が知行する荘園が清盛によってし上げられ、伊豆では宗盛・時忠の介入が激しくなり、工藤家は親平家派と頼政・多子まさるこ派に分裂した。

 治承四年<1180>三月、小侍従は後白河院を鳥羽から脱出させることに成功し、頼政の警護のもとで八条院・暲子あきこ内親王を中心として平家勢力に対抗する。しかし暲子あきこ内親王には政治的野心はなく、小侍従は以仁王を『臣籍降下』させて融和ゆうわはかろうとする。

 小侍従の理想は、源氏となった以仁王が頼政と共に大内警護として後白河院のそば伺候しこうすることだったが、平家が先手を打って強硬手段にうったえてきた――と、ここから再度『玉葉』に戻るが……いいか?」


 確認の声を付け加えた。少し間を置いて灼は、ねるように両足をそろえて立ち上がる。


「お茶、もう一杯飲むでしょ?」


 視線を落とし、いつの間にか湯飲みが空になっていたことに気付いた俺は笑ってうなずく。


「ああ。頼む」

「ふふふ。ちょっと休憩入れましょう」


 明朗闊達めいろうかったつに答えた灼は、軽やかな足取りで、居間から暖簾のれんくぐってキッチンへ入っていった。

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