四章 残酷な一夜

残酷な一夜1



 四時間後。

 昼食をかるくすませたヒロキは、いつもより早く空腹になった。食堂へ行くと、すでに大勢集まっていた。いないのはセイだけだ。

 ほとんどは食事中だが、ドリンクを飲むだけで周囲に視線をなげている者もある。たがいを観察しあっているのだ。ホヅミとマナブ、シロウとリンがそれぞれペアで席についている。ショウ、レイヤ、カレン、ヨウコは個別で離れていた。

 ヒロキはゆるされるなら、レイヤと食事をしたい。でも、それはレイヤが嫌がるだろう。どこか離れた場所に一人ですわろう——そう思って、カウンターでアンドロイドから食事を受けとった。注文は三択。チキンの照り焼き。焼肉。煮魚。ヒロキは迷わず、チキン。ドリンクコーナーからオレンジジュースを紙コップにそそいで、一人用のテーブルについた。


 チキンを食べだしたすぐあとだ。急にヨウコが立ちあがった。やっぱり目つきがキツくて、何かがおかしい。とびかかる前の野犬みたいだ。

「あんたたち、わたしが異端者じゃないかって疑ってるんでしょ?」

 誰も答えない。なんとなく、みんな、この人とはかかわりあいになりたくないと感じているのだ。

 ヨウコは妙にひきつった笑みを浮かべる。

「いい方法があるんだよ。これなら一発で誰が異端者かわかるね」

 ため息をつきながら口をひらいたのはホヅミだ。

「悪いけど、あなたの話は信用できないんだよね。昼間のことだって、アレ、ほんとは捜査官をあぶりだすためだったとも考えられるしね。もしそうなら、あなたは異端者の嫌疑が濃厚だ」


 食堂の空気が緊迫した。

 たしかに、あの暴力性は一般人にしては変だ。異端者でなくても、ストレスがたまればイライラするし、もともと攻撃的な人はいる。しかし、ヨウコの言動にはそれだけではない何かが感じられた。強い意思みたいなもの。そう。覚悟だ。何かをなしとげようとする決心が、彼女の強硬な態度の理由かもしれない。


 すると、とつぜん、ヨウコはポケットからとんでもないものをとりだした。参加者の私物持ちこみはゆるされている。それにしても、ふつうの人がそんなものを持ってくるだろうか? ヨウコがとりだしたのは、ジャックナイフだ。パチンと刃をひらいて、ヨウコはそこにいる人々を見まわす。


 ガタンと椅子を倒し、ホヅミがあとずさる。マナブも立ちあがり、ホヅミの肩を抱きよせた。リンは「ひえっ」と短い悲鳴をあげて、テーブルの下にもぐりこんだ。シロウも席を立ったが、彼は落ちついている。ヨウコがとびかかってきたら、いつでも対抗できるように、かるく両足をひらき、腕を胸の高さにあげる。

 カレンはなぜか嬉しそうにニヤニヤした。ショウは動かない。レイヤは椅子にすわったままだが、パンツのポケットに手を入れるのがヒロキの席からは見えた。まさか、彼もそこに武器を隠し持っているのだろうか?


 ヒロキは困惑して、どうしていいかわからない。誰かがなんとかしてくれないだろうか? それとも、ヨウコがあばれだしたら、神島がなんとかしてくれる? ただオロオロして、涙がこみあげてくる。イヤだ。やっぱり怖い。死にたくない。


 ところが、そのとき、ヨウコは誰もの想像を裏切った。ある意味、もっとも意外な行動をとる。右手で持ったナイフの刃を左手でにぎりしめたのだ。それも、手かげんなしの全力で。歯を食いしばって苦痛に耐えるヨウコの顔から、みるみる血の気が失せていく。にぎりこんだ左手から、ダラダラと血が流れおちた。指が切断されそうな勢いだ。にぎった左手がブルブルふるえている。


 ヒロキは目をそらした。ホヅミは医大生だというから、少しは見なれているのか悲鳴まではあげない。が、やはり顔色は青ざめている。カレンだけが女の子のなかで妙に嬉々として見えた。さすがに男たちもギョッとして顔をひきつらせている。

「おい」と、声をかけたのはシロウだ。自分が襲われるわけじゃないとわかって、かまえをとくと、ヨウコのほうへ数歩近づく。

「あんた、なんのつもりだ?」

 シロウがヨウコの手をつかむ。二人のあいだからナイフがこぼれおちた。ひらいた彼女の手は真っ赤になっている。ヨウコは出血のためか、苦痛のせいか、一瞬よろめいた。だが、気力をふりしぼり宣言する。

「見なよ! これが、あたしがグールじゃない証拠だ」

 そこにはとても深い切り傷があるだけだ。べろりとめくれた皮膚から肉が見え、血があふれ続ける。へたをすると神経をやられて、左手がうまく動かせなくなるかもしれない。

 ヒロキはヨウコの意図がわからなかった。でも、ヨウコは勝ちほこっている。

「どう? ? してないでしょ? グールなら、怪我はすぐに治るんだよね?」

 ようやく、彼女の真意がわかった。そうだ。それに、再生の有無だけじゃない。彼女の行動は異常だが、でも、食肉衝動を起こしていない。彼女がグールだったなら、今ごろはそばに立つシロウにとびかかっている。

「これで文句ある? なんなら、指ちょんぎろうか? そこまでしないと認めてもらえない?」

「……」

「……」

「……」


 みんな、黙りこんだ。そして、医大生だというホヅミを無意識に見る。

「な、何よ」というホヅミに、シロウが横柄にたずねる。

「どうなんだよ? グールってのは、怪我したらすぐに治るもんなのか?」

「わたしだって、グールの実物なんか見たことないよ。だけど、学校で習った初期グール、グール亜種なら、手術が必要なほど身体を損なったら、その場で食肉衝動を起こす。それは気力で我慢できるとかいうものじゃない。亜種二世なら衝動は少し弱いかも。だけど、完全には抑えられないはず。傷ついた部位が再生するまで正気を失う。万一、奇特二世で衝動が皆無だったとしても、明日の朝までに怪我が完治しなければ、この人はグールじゃない。どんなに再生力の劣る亜種二世でも、このていどの怪我なら八時間以内に完治する」

「じゃあ、コイツは市民確定か。けどよ。いくら自分の身分を証明するためだって、あんた、やりすぎだろ。狂ってんのかって話」


 ヨウコは床にすわりこむ。右手で左の手首をにぎりしめ、出血を抑えながら、かすれた声を出す。

「あたしはね。沈黙のマリオネットを探しに来たんだよ。ねぇ、こんなかに、マリオネットいるんじゃないの?」

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