#28 奇跡の光

『――!』

 奇跡はそう何度も起こらない。今度は、カルモが動き出したところで白い光が溢れることもなかった。ただ、私には叫び声が聞こえている。それも、エコーのかかった声、懐かしい声が。セトラの声が聞こえている以上、奇跡が起こる条件自体は整っているのだろう。

『――! カルモ!』


 銃声と共に、何かが倒れる音がした。止まっていた時が動いたかのように、身体が軽くなる。私は身体を回転させながら瓦礫の外に出た。

「おや、今の外した一発で終焉とな」

 視界が晴れる。軽く辺りを見回す。初老は見当たらない。カルモは、尻もちをついていた。無理もない、カルモは銃の扱いを知らないのだ。銃弾もあらぬところに跳んだのだろう、小説家は無傷だった。ただ、瞼をぴくぴくと動かしている。その様子を見て私は悟った。弱い。この男は、医者よりも、司書とは呼べない女よりも、格段に弱い。

「いい。私が戦う」

 ため息を吐きながら、私はカルモの前に立つ。

「でも――!」

「それより、あの声の方を何とかして。この状況で助けられるのはカルモしかいない」

「……っ、分かりました!」

 カルモは銃を置いて立ち上がると、転がるように走り出した。どこに向かって走ろうとしているのかは分からない。あのワンピースでは、瓦礫の上をまともに走れないだろう。まもなく、何かが転がる音が聞こえていた。

 私は上着の下に着けられた魔法バッジに手を置き、猫耳を頭に着ける。ここまで相手が動く気配はない。私はポーチを探り、吹き矢を手にした。すると、薄い闇が先生の方に凝縮されていく様を見る。壊れかけの武器庫でそれをやることは「死」に直結するだろう。この小説家は、力の加減が分かっていない。そのような相手は厄介だ。

「死んでも殺す気でいる?」

 先生に向かって問いかけながら、私は吹き矢を構えた。

「無論、毎回その気でいるよ。『欲』とはそのようなものであろう? 死んでも何かを成し遂げたい、そのような思いに、吾輩は正直になることにしたのだ」

 先生は嘲笑した。面倒だ。私は口元に筒を持っていく。

「貴殿もそうであろう。結局、我々の原動力とは『欲』なのだ」

「そうだけど」

「違います!!」


 私の声と、カルモの声が重なった。セトラに向かって呼びかけているのだろう。私は一度吹き矢を下ろした。先生の目線が吹き矢に向いている。その間も、闇は凝縮され続けていた。薄い闇の中で、そこだけが黒いもやとして先生と私の間に浮いている。

「全員がそうじゃない。例えば、あそこにいる子がそう。あるかどうかも分からない奇跡に、希望を抱いている」

「希望も『欲』の一種だ。吾輩の創りだす終焉によって、証明してみせようぞ。すべての源が『欲』なのだと」

 濃縮された闇のなかに、小さな瞬きが生まれた。それを視認した瞬間、私は吹き矢を捨てた。先生の視線が落ちていくのと同時に、瞬きから生まれた揺らぎが一気に、私と先生に襲い掛かる。だから、私は思いっきり後ろに跳んだ。



『何度も迎えに来させてごめんね』

 辺りに白い光が満ちる。話しかけたのは、私ではない。あの子だ。あの子の影が、白い光の中にある。

「ペルプちゃんも言ったじゃないですか。私達、四人で『ペキカセット』なんですよ」

 光が強くなる。私は目を覆う。

 私は急に湧いてきた奇跡を利用した、いや、奇跡で実験をした。闇は光に打ち勝てるのか。もし打ち勝てるのであれば、強引に作り出した光によってすべてに勝てることがあるかもしれない。この光が出る条件は、私には分からないけれど。

『うん、そうだよね。僕、今度は間違えないよ……!』


 ふわりと、身体が宙に持ち上がった。


 光が晴れると、瓦礫などなくなっていた。元に戻った武器庫があった。初老が倒れているのが遠くに見える。私は、声をあげたくなるのを必死で抑えた。駄目だ。いけない。私は声を抑えたまま首だけで振り向く。

「ごめんね、えっと、ケトさん。痛かったら言ってね……!」

 私を抱えて飛んでいる天使。白く輝く縁の蛾。原動力が『優しさ』である塊――セトラだ。

「え、えと、君に任せた方が良いよね、どうすればいいのかな」

 セトラが慌てふためいている。私はセトラから視線を外し、先生が呆然と立ち尽くしている現場を見た。

「右。あの人の上に私を落として」


 セトラの温かい手が、私の身体に触れている。下に見えるカルモが、涙を流しながら私達を見ている。胸がいっぱいになる。駄目だ、過去はもう。そう思っていても、嬉しさはやはり心を満たして。「三人」ではなく、「四人」のペキカセットの幸せを願えるという事実を、猫の歯で噛みしめる。



 だが、その先の戦いは、セトラとの再会に比べるとあまりにも呆気なかった。仮にこの世界が小説であったなら、描写する価値もないであろう戦闘だった。私が爪で先生を引っ掻くと、先生は絶叫しながら倒れた。その表情も、その呻き声も、すべてはありふれた憎しみであった。


 それで、戦いは終わった。

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