第17話 愛らしい姫のため、皇太子として決断します。
よく今まで生きのびた。
自分でも不思議でならない。
いくらロヴィーサ様に加護を賜り、妖精に守られていても、ギーゼラ皇后に早く皇子が生まれていたならば、とうの昔に暗殺されていただろう。
皇太子に立礼されることもなかったはず。
もっとも、皇太子になっても立場は変わらない。
依然として、ギーゼラ皇后が牛耳る皇宮で平民を母に持つ第一皇子は使用人以下。
僕の部屋はゴミ捨て場と化していた。
母が旅立って以来、食事はいつも野菜の破片が浮かんだスープとカビの生えたパン。
妃を迎える話もなく、日々、波風を立てないように耐え忍ぶだけ。隠れて援助してくれる者たちのためにも下手なことはできない。
諦めていたのに、ノイエンドルフ公爵の姫の一声で一変した。
姫と同じ食事が運ばれているらしいが、皇后や第二皇女のテーブルのように美食が並んだ。
これが力か。
これが後ろ盾の力。
どんな王侯貴族もノイエンドルフには太刀打ちできない。
後宮、書庫から帰る途中、皇帝陛下に食ってかかる第二皇女に遭遇した。
「父上、わたくしが誰か、わかっていらっしゃいますかっ?」
誰が立ち聞きするかわからない広間で叫ぶなど、第二皇女はだいぶ自分を見失っている。陛下も困惑しているご様子。
「余の姫、わかっておる。よ~くわかっておるぞ」
「父上、北の蛮族なんかに嫁ぎたくない。いやですっ」
往生際の悪い。第二皇女が初めての屈辱に騒いでいる。……否、焦がれていたローデリヒに夜会のパートナーを断わられたことがあるから二度目か。
「余の姫、堪えてくれ」
「北の蛮族に嫁ぐなら死にます。父上の手で殺してください」
「余をそんなに苦しめるな」
「父上、どうしてノイエンドルフの小娘の言いなりになるのですか? 不敬罪に問えばいいでしょう」
第二皇女は我が儘放題に育てられたから、ノイエンドルフ公爵に怯える君主が理解できないらしい。母親の件で何も学んでいないのか?
「ノイエンドルフの耳に入れば、そなたもただではすまぬぞ」
「シュトライヒの皇帝は誰ですか? 父上ではないのですか?」
この国の頂点に立つのは誰ですか、とギーゼラ元皇后はことあるごとに皇帝陛下を焚きつけた。
アレクシア嬢を僕の婚約者にしたのも、騙し討ちのように形で僕の妃にしたのも、まとめて葬るため。
……否、ノイエンドルフを屠るため、僕を皇太子として生かしておいた。
それにしても第二皇女は母親のギーゼラ元皇后とそっくり、と心魂から感心する。
皇帝陛下も同じ気持ちらしく、苦笑を浮かべた。
「ギーゼラと同じ物言い……」
陛下の言葉を遮り、第二皇女は泣き叫んだ。
「父上、母上に続いて私も辱めるおつもりですか。皇帝が己の妻子を侮辱され、黙っているのですか。アレクシアを不敬罪で投獄してくださいっ」
第二皇女が同意を求めるように専属侍女たちに視線を流す。
専属侍女たちも口々にアレクシア嬢の処罰を口にする。さすがに父上も眉根を顰め、低く絞った声で窘めた。
「アレクシアは皇太子妃ぞ」
「下賎の子の役目は終わりました。アレクシアに人質だとわからせてやりましょう」
「誰か、姫を頼む」
「父上、それでも皇帝ですか? お母様の名誉を明日にも回復させてください」
「とりあえず、しばし、耐えておくれ。悪いようにはせぬ」
「お母様の名誉を回復しなければ、わたくしは納得しません」
「あとしばしの辛抱ぞ」
陛下は第二皇女を言いくるめ、北の野蛮大国に嫁がせる。
近来稀に見る盛大な花嫁行列だ。
僕の隣で花嫁を見送るアレクシア姫は無邪気に手を振った。
「バイバイ」
元皇后や宰相が阻むと思っていたから意外だ。それだけ、ノイエンドルフが怖いのか。……否、元皇后や宰相が手中の珠をみすみす北に渡すとは思えない。
大陸全土の地図を改めて見つめ、仮定を立てた。
輿入れルートにローゼンベルガー宰相の領地がある。
第二皇女が急病で倒れ、宰相の領地で養生することになればどうなる?
アレクシア姫が激憤し、ドミニク姫が涕泣する姿が目に浮かぶ。
未だ後宮の主はギーゼラ元皇后。
ローゼンベルガー宰相が失脚しない限り、後宮の闇は晴れない。
第二皇女が皇宮を出た夜、なんの先触れもなく、皇帝陛下のお召しがあった。胸騒ぎがするが、拒むことはできない。
「ジークヴァルト、ますます亡き母に似てきた。見るのが辛い」
陛下は陰鬱な面持ちで言ったが、僕の心には小波さえ立たない。どのようにでもとれる貴族言葉を返すのみ。
「霧が晴れますようにお祈り申し上げます」
「リアーネが生きていてくれたなら、こんなことにはならなかった」
母上がギーゼラ元皇后に暗殺されたのは間違いない。
止められなかったのは誰だ、と僕は深淵で零した。
母上が父上を深く愛していただけに辛い。
「ご用件は?」
「そんなつれない態度」
父上が母上を深く愛していたことは疑いようがない。僕に母上の面影を見ていることも。
「僕と会っていたら、ギーゼラ元皇后陛下や第四皇子がお怒りになります」
何かにつけて僕に鞭が振るわれた。母上の死後、身体の傷が癒えることがない。打たれたようにして避けるのも、魔力で結界を張るのも、痛がるふりをするのも得意だ。
「すまぬ。余の力がないばかりに、そなたに辛い思いをさせた」
昔なら陛下……父上の言葉を信じることができた。今は白々しい嘘にしか思えない。結局、僕を放置した。
「どうされました?」
「ここが正念場ぞ」
陛下に手を握られ、僕は息子の顔で頷いた。
「はい」
「ノイエンドルフがいる限り、余とそなたに安寧の日々はない」
ノイエンドルフ公爵がいるから魔獣の増殖を抑えこんでいる状態なのに、陛下は実情を知らないのか?
知っていながら、目を背けているのか?
母が心から愛した父はこんなに愚かだったのか?
内心の嵐を鎮め、玉座に座る父を見つめ返した。
「……陛下?」
「近日中にそなたとアレクシア姫の挙式を執り行う。よいな?」
「あまりにも早急すぎます」
騙し討ちのような形で結婚誓約書にサインさせている。……否、姫はサインすらしておらず、代理人のフロレンティーナは離縁されてすでに叔母ではない。ノイエンドルフ公爵が結婚を承諾するわけがない。いくらでも無効にできる。
「そなたは一刻も早くノイエンドルフの娘婿になるのじゃ」
「ノイエンドルフ公爵が婚儀を認めるとは思いません」
「認めねば謀反」
陛下の浅はかな考えに眩暈を覚える。
「ことを成す時、大義名分が必要です。何より、ノイエンドルフ公爵の魔力を軽く見ないほうがよろしいと思います」
「ノイエンドルフの指輪さえなければ、余とそなたの魔力で勝てる」
父上が私に授けてくれた唯一の確かなものは皇室直系の魔力。
この魔力があったから、今でも露と果てていないのだろう。
アレクシア嬢のおかげで栄養状態もよくなったから、本来の魔力が戻ってきた。ノイエンドルフ派の魔術師には父上の魔力を凌駕したと驚かれた。当然、伏せてもらったが。
「ローデリヒやナターナエルの存在を忘れています。ノイエンドルフ参加の家門にも実力者は多い」
アレクシア嬢の専属騎士であるエグモンドからは傑出した魔力を感じた。ノイエンドルフ公爵が愛娘の専属にしたわけがよくわかる。
「アレクシアが妖精王として開花する前にノイエンドルフを葬る……葬らなければおしまいぞ」
目の前にいるのは本当に統治者か?
妖精王の覚醒を待ち詫びるのが、帝国の主ではないのか?
「陛下、それは陛下の本心ですか? ギーゼラ元皇后やローゼンベルガー宰相の考えですか?」
ありとあらゆる反対を押し切り、母上を妃に迎えた父上はいない。
今や、陛下は元皇后と宰相の操り人形。
元皇后が皇宮から追放され、第四皇子は謹慎、第二皇女が北の野蛮大国、宰相が焦って陛下を突いたのか。
アレクシア姫が後宮入りした途端、清冽な春風が吹き抜けたが、残っているゴミは大きい。
「……余の本心じゃ。我が父子の悲願、果たそうぞ」
父上の悲願ではなく、ローゼンベルガーの悲願でしょう。ノイエンドルフの財力を代々、妬んできた。
「それで?」
「明日、挙式の日取りを決める。ノイエンドルフが異議を唱えるはず。そなたはノイエンドルフの謀反を奏上せよ」
「僕に虚偽の訴えをさせるつもりですか?」
「アレクシアの夫がたまたまノイエンドルフの謀を知ってしまった。よくある話ぞ」
「短絡的です」
「明日、そなたは訴えればよい。後は宰相に任せよ」
「明日、父上はローエンシュタイン侯爵家の貴族邸を訪問される予定ではありませんでしたか?」
「それは気にせずともよい。すべて宰相に任せればいいのじゃ」
亡き母はロヴィーサ様に心酔し、ノイエンドルフ公爵を尊敬していた。
どんなに陛下が圧力をかけても、アレクシア姫と婚約すると思わなかった。結婚誓約書を交わすことも。
ノイエンドルフ公爵、何を考えていますか?
どうして、結婚誓約書の無効を訴えない?
皇帝陛下と別れてから、皇太子の部屋に戻る。苦楽をともにした侍従長は今にも霧散しそうだ。
今、僕の見張りは七人。
移動魔法を使ったら気づかれるだろう。
『殿下、意地悪されたら、これ、使って』
アレクシア嬢からいただいた伝達の魔導具を使っても気づかれるはず。
今、陛下に疑われたら元も子もない。
「今宵は疲れた。僕は寝る」
「……は、はい」
僕は寝室に進み、寝間着に着替えてから天蓋付きのベッドに横になった。
迷うことはない。
僕の気持ちは決まっている。
優しくて無邪気な姫。
今宵の陛下の命令で判明したが、ノイエンドルフともども幼い姫も屠る気だ。
ノイエンドルフの力がどれだけ強くても、宰相は幾重にも罠を張り巡らせている。ひとつずつ潰していかなければ国内の疲弊は免れない。
ノイエンドルフ公爵の本音がどこにあるのか、僕には見当もつかない。
ただ、僕はかけるしかない。
一世一代の大勝負、負ける気はなかった。アレクシア嬢を悲しませたくないから。
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