第16話 皇太子妃、キューピッドになりました。

 翌日、何事もなかったかのように、私は後宮の寝室で目覚めた。

 基本、私の生活はノイエンドルフ城でも後宮でもさして変わらない。必要なことはすべて周囲がやってくれる。私は人形のようにじっとしているだけ。

「今日の髪型は豊穣の女神をイメージしました」

 毎日毎日、私のドレスアップに心血を注ぐ侍女たちの熱意がヤバい。ただ、自分で言うのもなんだけど、アレクシアは可愛すぎる。今でも鏡に映る人形が自分だと思えないくらい。毎日お風呂に入っているし、これだけ可愛かったら誰とでも会える。気後れせずに話せる、と私は俯いてばかりいた前世を思いだして首を振った。

 後宮で気がかりが増えた。

「皇太子殿下、会う」

 昨日、皇太子殿下は悠々と自分の部屋に戻ったけど、大丈夫だったのかな?

 第四皇子は謹慎したから、いじめられていない?

 私は自分の目で確認しないと安心できない。

 何せ、皇太子殿下が前世の私に重なるから。

「皇宮では親子であっても夫婦であっても、面会の約束を取らねばなりません」

 ばあやは人差し指を立てて皇宮のマナーを熱弁したけど、馬鹿馬鹿しくてたまらない。ふんっ、と私はお兄様のように腕を組んで鼻を鳴らした。

「陛下はお召し。勝手にお召し。おばちゃんのパーティも」

 後宮入りして以来、守られない皇宮マナーに振り回されている。

「……陛下は唯一の例外。ギーゼラ元皇后のお茶会はいやがらせです」

「皇太子殿下、いじめられている? 心配なの。会いたい」

 ばあやのドレスを掴み、グイグイ引っ張る。

「皇太子殿下に使者を……」

「早く会う」

「滅多に我が儘を言わない姫様がこんなに……」

 ばあやがしみじみしていると、開け放たれたドアの向こう側から専属護衛騎士の声が聞こえてきた。

「皇太子殿下はロヴィーサの庭園におられます」

「お母様のお庭、行く」

 私がドアに向かって走りだすと、ばあやは観念したように頷いた。もっとも、イルゼや侍女たちは楽しそう。




 体力温存のため、私は専属騎士のエグモンドにだっこしてもらってロヴィーサの庭園に向かう。

 皇宮騎士は定位置に立っているだけ、侍女をひとりも見かけない。後宮内は不気味なくらい静まり返っていた。

 私たちが通り過ぎるまで息を潜めている感じ?

 第四皇子や第二皇女の逆襲を危惧していたけど平気?

「アレクシア様、そのような難しい顔をされて……お腹でも空きましたか?」

 エグモンドの的外れな指摘に私は首を振った。

「違う」

「ローデリヒ様はどうしても受けなければならない試験があり、学術院に叩き返し……戻られましたが、アレクシア様が呼べば飛んできます」

「うん。試験は大事」

 そうこうしているうちに、ロヴィーサの庭園に到着した。

 さぁぁぁぁぁぁぁ~っ、と心地よい風が頰を撫でる。漂ってくる花の香りもいい。すべてが最高。

「いい天気です……うわ、大勢の妖精がいる」

 エグモンドは青々と生い茂る草木を見上げ、感服したように言った。彼は突出した魔力により、妖精が見える。

「妖精、いっぱい?」

 私はきょろきょろ見回したけど、見えるのは木々に止まった鳥たち。

「はい。アレクシア様を歓迎しているようです……え? あれはなんだ?」

 エグモンドは鬱蒼とした茂みの中、もぞもぞと蠢く人物に顔色を変えた。

「不審者、発見」

「お下がりくださいっ」

 瞬時に護衛騎士たちが私の盾になるように立つ。シュッ、とそれぞれ剣を構えた。ギーゼラ元皇后一派の刺客かもしれない。

 けれど、不審者にしては動作がおかしい。もぞもぞもぞ、と。

「……げ、下人? 後宮の下人にしてはみすぼらしい」

「……に、庭師?」

 ボロボロの作業衣姿の男性が、ひょっこり草の間から顔を出す。無造作にまとめられた髪の毛は淡い紫色だ。

「……ま、まさか、皇太子殿下?」

 エグモンドが目を丸くした瞬間、私は人形を抱えて飛び降りた。

「殿下、いじめられた?」

 まだ元皇后に命令されて庭の草むしりをさせられているの? 

 謹慎中の第四皇子の仕業?

 第二皇女のいやがらせ?

 庭のお手入れは皇太子の役目じゃない。

「誰に命令されたわけでもありません。僕はロヴィーサの庭園が好きなのです」

 皇太子殿下は泥がついた顔でにっこりと微笑んだ。

 さぁぁぁぁ~っと爽やかな風が吹き、花が舞い、鳥のさえずりが大きくなる。ロヴィーサの庭園に愛されている証?

「お母様のお庭」

「さようです。姫の母君が蘇らせた庭です。僕の亡き母が守っていた庭でもあります」

 皇太子殿下は切なそうに言うと、楡の木の根元に落ちている落ち葉を拾った。侍従長が用意した籠に入れる。

 どこからどう見ても、太陽の沈まぬ国の皇太子と侍従長には見えない。ばあやにしろ、私の専属騎士たちにしろ、惚けた顔で固まっている。

「殿下のお母様?」

「僕の実母が平民で庭師だとご存じですか?」

「はい」

「元々、僕の母方の祖父が庭師でした。下賎と蔑まれました」

「ないない。下賤じゃない。」

 私が首を小刻みに振ると、皇太子殿下は嬉しそうに頷いた。

「僕は実母を恥ずかしいと思ったことは一度もありません。僕にとって最愛の母でした」

「はい。素敵なお母様」

「母が守った庭を僕も守りたい。専属の管理人や腕のいい庭師はいますが、どうしても手が出てしまう。庭師の真似事、軽蔑しますか?」

 皇太子殿下の髪の毛には落ち葉がついているし、顔も手も靴も汚れているけれど、誰よりもキラキラ輝いていた。

「私も手伝う」

「アレクシア嬢は汚れるからいけません」

「私お手伝い」

 ふんっ、と私は目の前の雑草を引き抜こうとした。

 その瞬間、殿下の手に止められてしまう。

「それは雑草ではありません」

「ふんっ?」

「薬草ですから育てましょう」

 皇太子殿下は薬草に詳しい感じがする。

「はい」

「ロヴィーサ様には母も僕も可愛がっていただきました。姫にお会いできて光栄です」

「私、殿下のお嫁さん」

 私が頬を真っ赤にして指摘すると、皇太子殿下は照れくさそうに微笑んだ。

「……そうですね。光栄です」

 皇太子殿下は優しい……優しすぎる?

 こんなに優しくて儚いから、早死にしてしまった?

 子供の頃から病弱だって聞いたけど、今も身体が弱いのかな?

 ……や、身体が弱いんじゃなくて虐待されていたから弱かった?

「元気ない?」

「アレクシア嬢にお会いできたから元気です」

「ごはん、食べた?」

 皇太子殿下の部屋はノイエンドルフの力で改善された。

 食事もちゃんと用意されているよね?

「ご心配してくださり、感謝します」

 殿下、私は誤魔化されない。

 その笑い方、イントネーション、前世の私と同じ。

 皇太子とは思えない待遇だから食事もひどいと思った。

 ギーゼラ元皇后が消えて、第四皇子が謹慎しても、食事は改善されていない?

 ノイエンドルフの力はまだ届いていないの?

「何、食べたの?」

「いつもと同じ食事をいただきました」

 殿下、上手い切り返し。

 正直に言って。

 ノイエンドルフなら助けられるから。

「いつものごはん、何?」

「スープとパンです」

「私、殿下のごはん、一緒に食べたい」

「姫の口にはあわないと思います」

「殿下、ごはん、たくさん食べて」

 ペチペチペチッ、と思わず手が出た。紫色の目が煽情的なまでに揺れる。……うわ、超セクシー。

「……姫」

 私は背後に控えていた護衛騎士やばあや、侍女たちに向かって力んだ。

「ノイエンドルフの力、見せておやり」

 皇太子殿下も助ける。辛い未来は変えればいい。そのためにお母様は夢で未来を見せてくれたんだ。

「……か、可憐な姫が稀代の悪女のような……」

「姫、ノイエンドルフの女帝のようなお顔」

「……さ、さすが、それでこそ、ノイエンドルフの姫」

 誰が何を言ったのか、覚えておく必要はない。大切なことは皇太子殿下の生活を整えること。

 厨房に乗りこみ、ギーゼラ元皇后派の料理長を解雇した。さらに、ノイエンドルフの息がかかった料理人を料理長に抜擢した。

 念のため、当分の間、皇太子殿下の食事にはチェックが必要。

 皇太子殿下は人形のように立ち尽くしていた。けど、別れ際、照れくさそうにお礼を言った。

「アレクシア嬢、僕の妃、お心遣い、深く感謝します」

 手に優しくキスされ、私の心臓がおかしくなった。

 心筋梗塞かな?

 うん、胸きゅん病だ。




 お茶の時間、皇太子妃の客間にドミニク様が現われた。手土産はデーニッツ伯爵領特産の果物で作ったジャム。

「アレクシア様、御挨拶をさせていただく機会を与えていただき、深く感謝いたします」

「ドミニク様、ようこそいらっしゃいました」

 昨日の夕方、ドミニク様から面会の申し込みがあった。控えめな淑女だと思ったら意外に行動力がある。

 私はすぐに会いたかったけど、皇宮のマナー云々で、ばあやに止められてしまった。……で、実際に会うのは今日の今。

「今回のお心遣い、両親も深く感謝しております」

 夢で見た未来、ドミニク様の父親のデーニッツ伯爵はノイエンドルフ公爵を信じ、皇帝陛下に命がけで進言した。結果、謀反に加担した罪で成敗された。正義と信念の貴族だ。

「ドミニク様、叔父様のお嫁さんです」

 私が三段重ねのワッフルの前で人差し指を立てると、ドミニク様は恥ずかしそうに頰を染めた。

「アレクシア様、私の気持ちを知っていたのですか?」

「ドミニク様、叔父様を好きでしょう?」

 私がドヤ顔を決めると、ドミニク様は頰に手を当てて語りだした。

「子供の頃、居城が魔獣に襲われた時にナターナエル様に助けていただきました」

「初恋?」

「まぁ、初恋という言葉をご存知なのですね。さようでございます」

「ふふっ、初恋ですか」

 これがコイバナ?

 前世、クラスメイトが楽しそうにコイバナしていても私は入れてもらえなかった。

「子供の頃からずっとお慕い申し上げていました。フロレンティーナ様がいらっしゃったので敵わないと知りつつも」

 報われないとわかっていても、叔父様を想い続けていたという。想うだけなら罪にはならない、と。

「叔父様に子供がいるの」

 フロレンティーナに抱かれていた赤ん坊はノイエンドルフの特徴を受け継ぐやんちゃ坊主に成長した。

「存じあげています。私の息子として可愛がらせていただきます」

 ドミニク様の決意を聞き、私はばあやに声をかけた。

「ばあや、叔父様」

「ご用意しています」

 ばあやは伝達の魔導具を運んできた。大貴族でもほとんど所有していない希少価値の高いタイプの魔導具だ。

 私が魔導具についている赤水晶に触れた途端、白い壁に叔父様が現われた。一人息子を抱いている。

『ドミニク姫、挨拶は省かせてもらう。デーニッツ伯爵と話はすんだ。庶子が九人いるハゲ親父より俺のほうがマシだ。嫁に来てくれ』

 北の王太子だけど、若くもないし、側室が八人、愛人が九人いる。すでに庶子が九人誕生し、後宮は毎日のように毒殺騒動があるという。皇帝陛下が第二皇女を嫁がせたくなかった理由がよくわかる。元皇后と宰相が大反対した理由も。

「……は、はい。ありがとうございます」

『俺には子供がいる』

 叔父様に呼応するように一人息子が元気よく手を上げた。そのまま叔父様を小さくしたような男児がマジ可愛い。

 ドミニク様の目もうるり。

「私の子として育てさせてください」

『嫁いでくるまで、俺の姪を頼む』

「アレクシア様のことはお任せください。お辛い思いはさせません」

『俺の姫、もっと暴れていいぞ』

 叔父様は未来の妻から私に視線を流した。いつもと同じよう叔父バカぶりがだだ漏れ。

「叔父様、ドミニク様と末永くお幸せに」

『あぁ、時間がない。またな』

 叔父様は照れたように微笑むと姿を消した。伝達の魔導具の光も消える。

「アレクシア様、夢のようです」

 花も恥じらう乙女は夢を見ているような顔。

「ドミニク様、叔父様と早く幸せになってください。結婚式、早く」

 うっとりしている場合じゃない、と私は急かした。これ、さっさと結婚しないと安心できない。

「父も早急に結婚式を挙げる手筈を整えています。陛下の心変わりがないうちに」

「はい。陛下、大嘘、駄目」

「アレクシア様、ギーゼラ元皇后様には気をつけてください。第二皇女も素直に北に輿入れするとは思えません」

 ドミニク様は私と同じ懸念を抱いていた。

「第二皇女、尾行」

 言葉が足りなかったけど、ドミニク様は的確に把握してくれた。

「……そうですね。第二皇女様の輿入れに極秘で尾行したほうがいいと思います」

 私とドミニク様は各自、専属護衛騎士に耳打ちする。

 これで動いてくれるはず。

 私が大騒ぎしてノイエンドルフの暗躍があったのか、デーニッツ伯爵の工作があったのか、意外なくらい早くドミニク様は後宮から下がった。

 同時に第二皇女が北の大国に向けて出立する。

 これでひとつ、変えた。

 第二皇女とフロレンティーナっていう二大破滅フラグは消えた……甘いかな?

 ドミニク様も言っていたけど、第二皇女がこのまま北の野蛮大国に嫁ぐとは思えない。

 何か、企んでいるはず。

 ノイエンドルフの力、見せるのはこれから。

 これからよ。

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