- 第弐之陸節 - 「売り込み」
知事室で知事と会談を続けていた藤本が、テーブルに置いてあった、氷が解けてしまったお茶を一口含み、喉を潤すように呑み込むと、話を続けた。
「もう一つ、私が提言したいのは、交通網の問題にも絡む話だが、観光客の誘致に関してだ。
今、南房総へ訪れる観光客の多くが、東京や神奈川方面からで、主にマイカーや高速バスを利用して、アクアラインを通って来訪する人がほとんどだ。
新幹線で東京、飛行機で羽田にそれぞれ到着しても、南房総へは、結局渋滞の激しいアクアラインを利用することになる。
であれば、もう一つの玄関口である、成田からの観光客を誘致するのが理にかなっていると思うが、どうだろうか。
確かに、
さらに言えば、成田からの直通運行が認知されれば、この資料にもある、〔来日外国人の県内訪問先ベスト10〕に南房総で唯一入っている、
成田に到着する、外国人も含めた観光客のほとんどが、東京方面に流れている現状を打開するためには、いち早く交通網の整備をし、各観光地に移動する利便性を上げるべきだと、私は思う。」
その話を受けて、知事は、
「成田からの利便性向上は、確かに進んでいません。都内方面へはJR、京成ともに本数を増便したり、高速バスも含めて、利便性を上げたりしているようですが、南房総方面へは、先生がおっしゃるとおり、まったくの手つかずです。
現在、成田空港ではC滑走路の建設計画も持ち上がっていて、ますます発着便が多くなることが予想されるので、観光客需要を取り込まない手はないですね。」
「そうだな。国内の需要を掘り起こすことはもちろんだが、インバウンド需要を掘り起こすことは、なによりも大きな経済効果になるだろうからね。
交通網の整備と成田の活用は、知事なら実現可能だと思う。ぜひ参考にして欲しい。」
「仰るとおりです。先生ありがとうございます。目から鱗でした。先生の貴重なご意見を参考に、我々のやるべきことをもう一度精査し、各企業や団体との連携を見直します。」
知事は、憑きものが取れたように、すっきりとした表情で、藤本に礼を述べた。
「土台さえしっかりしていれば、自ずと動き出すから、しっかりと方向性を示してやれば、あとは民間がなんとでもしてくれる。民間の力を信じて、手を出しすぎないようにな。過保護な子供は不良になるって言うからな。」
そう言って藤本は笑った。
「分かりました。肝に銘じます。
それにしても、自然環境保護を標榜する先生から、このようなご意見をいただけるとは思ってもみませんでした。初めてお目にかかった時は『やたらめったらと自然を壊すな』と仰っていたので、今回のプロジェクトもできるだけ自然破壊をしない方向で進めてきました。」
ホッとしたような表情で、知事が語り出すと、
「まあ、私も長年千葉に住んでるからな。この千葉の現状には憂えておるんだよ。自然を破壊することは良しとしないが、ここまで人が文明を築き上げてしまっては、今更自然を自然のままにしておくことは不可能なのだよ。
千葉の自然は、もう既に人の手が入らないと、維持できない状態になってしまっている。言うなれば里山だな。手を加えなければ荒廃してしまう。荒廃した自然は人や街に牙をむく。自然の荒廃は街の荒廃に繋がり、
だからこそ、その荒廃を食い止めなければならないし、そのためにも、資金や人手が必要になる。そう考えれば、少しでも資金を集め、人手を集める手段を講じるのは当然のことだからね。多少の自然破壊は目を
この開発が荒廃の防波堤になるなら、それは歓迎すると言うことだよ。
それに、このプロジェクトには成功して貰いたい、もう一つの理由があるからね。」
そう言うと、藤本は工藤を促し、クリアファイルに入れた数枚の資料を知事に手渡し、言葉を続けた。
「実は売り込みたいプロジェクトがあってね。」
知事は資料を受け取りながら、
「さすが先生、抜け目がないですね。」
そう応じて、資料に目を通し始めた。
「まぁそう言うなって。このプロジェクトは、
今は、詳細を詰めている最中だが、ハイキングコースと自然観察場所の整備を予定していて、コース内にある神社と城跡が一応の目玉にはなる。里山の原風景を基にしたコースと、房総の動植物を観察できる場所を用意して、ハイカーを取り込もうという寸法だ。神余の歴史と絡めたコース設計を考えているので、歴史ファンにも響くとみている。まぁコアな層ではあるがな。
それと地域神社の例祭で奉納される〔かっこ舞〕と言うのがあるのだが、それを観光客向けに、保存会の人たちが定期的に披露することも視野に入れている。まあ当分は公開練習のような形だけどね。
市民の知恵を集めたものなので、専門家から見たらお粗末かも知れないが、どうか手を貸してやってほしい。
自然を売りにしたプロジェクトだから、県のプロジェクトとも方向性は合っているだろうし、県にお願いしたいのは、横の連携のサポートになるので、特段手をかけてやることもないし、問題ないと思う。
そう言う訳で、神余のプロジェクトも末席に加えておいてくれないだろうか。」
藤本のいたずらっ子のような表情に、知事も、
「先生の頼みとあれば、否やはないですよ。もちろんできる限りバックアップさせて貰います。」
苦笑いをしながらも、そう応えた。
「それを聞いてひとまず安心した。よろしく頼むよ。」
藤本は心のつかえがとれたように言う。
「ところで、このプロジェクトの主体は地区の自治体ですか。それとも館山市が主導で。」
「一応主体は神余の自治体だが、館山市がバックアップしてくれている。館山市はサイクリング道路の整備も考えているようで、そのコース内に神余のハイキングコースを組み込むことで、集客を見込んでいるようだ。自転車で訪れた人が、軽くハイキングを楽しむ、そんなコースも用意する予定ではある。」
「なるほど。房総の沿岸は〔太平洋岸自転車道〕のコースにもなっているので、その波及効果を内陸にも広げようということですね。」
「さすが知事さん、よくご存じで。そう、館山市としては太平洋岸自転車道を走るサイクリストを取り込もうという腹づもりらしく、成功すれば、西の起点である和歌山から訪れる、関西圏のサイクリストを取り込めると考えているようだ。」
「市長さんも大きく出ましたね。分かりました。この件は館山市長とも連携をとりながら、我々のプロジェクトにも組み入れていきましょう。」
「それは願ったり叶ったりだ。よろしく頼むよ。」
熱く語り合った二人は、一息入れるべく、すっかりぬるくなったテーブルのお茶に手を伸ばした。
その後、プロジェクトの担当責任者や窓口担当者などと顔合わせをし、今後の方針をいくつか取り決めて、2時間以上に及んだ会談が終了した。
帰りの途中、千葉都市モノレールのホームに上がりながら、
「このプロジェクトを成功に導くためには、まだまだ時間がかかるだろうが、一つずつ問題を解決していくしかないだろうな。」
藤本が呟いた。
「そうですね。そのためにも田中さんの力が必要なんですよね。」
工藤が応じる。
「そうだな。彼の協力があれば、このプロジェクトを成功に導けるだろうし、問題解決への大きな原動力となるだろうからな。本当に彼が入社してくれてありがたいよ。」
二人は新たに入社した田中に何を期待しているのか、彼をどうしたいのか、もちろん田中自身も周囲の社員たちも知る由もなかったが、藤本と工藤には何やら大きなプランがあるようだった。
照りつける真夏の太陽に熱せられた灼熱の熱気が、日陰のホームにまで流れ込んできていて、ホームで待つ人々は手や扇子、携帯扇風機などで顔に風を送ったり、ペットボトルを呷って水分を補給するなどして、思い思いにこの灼熱の熱気に対抗していた。
そこに到着した折り返しのモノレールへと、冷気に吸い込まれるように人々が乗り込み、二人も続いて乗り込んで、帰路についたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます