第25話 枕返し vs アップデート③
「どうしたの? 浮かない顔して……大丈夫?」
「う、うん……」
土曜日。
楽しみにしていたデートは、運よく天気に恵まれた。だけど……。
せっかくいるかちゃんと水族館に行けたと言うのに、ぼくは朝からずっと、どうもスッキリとしなかった。デートの約束ができたのも、新しく買ってもらったスマホのおかげだ。これが矢文ならこうスムーズに行かなかった。楽しみにしていたのも本当だ。
だけど……どうしてだろう?
この狐色のスマホを手にしてから、ぼくの周りでどうも不可思議なことが巻き起こっていた。もっとも、スマホを手にいれる前から……正確にいうとコックリさんが現れた辺りから……ぼくの周りは不可思議だらけだったけど。
あの日以来、お行儀の悪い生徒が次々とクマちゃんの人形になっていく。ぼくは人形になる前の、彼らの名前や顔をどうしても思い出せなかった。思い出そうとすると、頭に靄がかかったみたいになって、何もかもがぼんやりとしてしまうのだ。
おまけにいつも暴れ回っている健太や秀平も、薄気味悪いほど腰が低くなってしまった。二人とも、全然似合わない不気味な笑顔を浮かべ、バカ丁寧な敬語で話しかけてくるからむず痒い。お父さんはフランス人になってしまうし、お母さんは最近寝る前にバラエティ番組じゃなくて教育番組を観ている。知っている人が全員知らない人になってしまったみたいで、ぼくはみんなと一緒にいるはずなのに、一人心細かった。
一度、コックリさんに相談してみようと稲荷神社に行ってみた。だけどコックリさんはいなかった。寂れた神社があったはずの場所が、いつの間にか『生成AI研究所(株)』がなっていてぼくは驚いた。こんな高層ビル、いつの間に建ったのだろうか?
「すみません、ここに狐の格好をしたちっちゃな巫女がいませんでしたか?」
「狐?」
忙しなく出入りする白衣の男を捕まえて、ぼくは思い切って尋ねてみた。
「確かここに、神社があったはずなんですけど」
「神社……? 前世紀の宗教用語か何かかい? そう言う非科学的なものは、時代とともにアップデートされたんじゃないかな」
「え……」
「キミ、今時宗教を信じてるの? 珍しいなあ。”あなたは神を何%信じますか?” 0%? 100%?」
「え、えぇと……ぼくは……」
「失礼。スケジュールが分刻みなものでね」
よっぽど仕事が忙しいらしい。ぽかんと口を開けるぼくを置いて、白衣の男はそそくさと建物に入っていった。結局、誰に聞いても稲荷神社のことを覚えている人はいなかった。スマホで検索しても、ヒット数は0件だ。まるで最初からここに神社なんてなかったみたいに……ぼくはふと、以前コックリさんが言ったことを思い出した。
「誰も存在すら覚えていない……忘れ去られた怪異の末路は、死よりも恐ろしい。骨も残らぬ。消滅じゃ。誰の記憶からも消え去ってしまうのじゃ」
もしかしたら本当に……コックリさんはいなくなってしまったのだろうか?
いつもゴロゴロしていて、泣いたり喚いたりうるっさくて、大して役に立つ奴でもなかったけど……いなくなったらなったで、何だか胸にぽっかりと穴が空いたみたいだった。ぼくは忘れてないのに……。
「ね、アシカショーが始まるみたいよ。行きましょう」
隣で明るい声がして、ぼくは現実に引き戻された。暖かい手に引かれながら、ぼくはいるかちゃんの横顔をこっそり盗み見た。いるかちゃんはいつも優しい。こんな世界になっちまう前から、ずっとだ。性格も良く、頭も良く……彼女なら、もしかしたら、ぼくのばく然とした悩みにも答えてくれるかもしれない。
「いるかちゃん、あのね」
「どうしたの?」
道中、ぼくはいるかちゃんにこの頃感じていた違和感を打ち明けた。いるかちゃんはぼくの隣で、キョトンとしながら小首をかしげた。
「普段乱暴な人が大人しくなったら、何か困るの?」
「う、うーん……そういう訳じゃないんだけど……」
「迷惑な人はずっとそばにいないと嫌?」
「そんなことないよ。そんなことないけどさ」
「なら良いじゃない」
いるかちゃんがクスッと笑った。
「みんな笑顔なんだし、良い方向に変わってるなら、何を迷うことがあるの? アップデートされたのよ。悪い部分がなくなるなら、それは良いことでしょう? 違う?」
「う、うん……」
……ぼくの気にしすぎなのかもしれない。
彼女のキラキラした笑顔を見ながら、ぼくはそう思い直した。そうだよ。別に良いじゃないか。何も困らないし、みんな楽しそうだ。コックリさんだって、ネコちゃんとどこかに出かけただけかもしれない。何よりぼくは忘れてないんだから。きっとそのうちひょっこり戻ってくるに違いない。
『えー、予定していたアシカショーはアップデートのため中止となり、代わりに「ロボット大相撲」
になりました』
たちまちそこら中から大歓声が上がった。水槽の中で、サメロボットやピラニアロボットたちが水飛沫を上げ跳ね回っている。そこら中でフラッシュが焚かれ、まるで目が焼かれたみたいに眩しかった。みんなスマホで写真や動画を取っているのだ。ぼくも慌ててスマホを取り出した。スマホを手に入れたら、自分の目で見るじゃなく、何よりもまず画面をかざす。かっこいい。みんなやってるから、何となく憧れで、一度ぼくもやってみたかったのだ。
「忘れましょう? ね?」
「え?」
すると、不意にいるかちゃんがぼくのスマホをひょいと取り上げた。
「ダ〜メ。スマホばっかり見ちゃ……もっと私のことも見て?」
「え? え??」
いるかちゃんは突然、狐色のスマートフォンを水槽の中に投げ入れた。ポチャン、と音がして……ぼくのスマホはたちまち寄ってきたサメロボットたちに噛み砕かれてしまった。
「あ……!」
「良いじゃない。夢みたいに楽しいんだから……」
驚くぼくの顔をいるかちゃんが両手で包み込み、ぐいっ、と首を捻じ曲げられた。彼女のニコニコとした笑顔が、ぼくの目と鼻の先にある。ぼくの心臓は生まれたての子猫みたいに跳ね上がった。
「あ……あ……!」
「嫌なことも悲しいことも、ぜーんぶ忘れて……夢の世界を楽しみましょうよ。ずっとここにいましょう? ね?」
「で、でも……! 帰りの電車が……!」
「あら」
いるかちゃんが天使のように優しくほほ笑んだ。スマホのフラッシュが後光のように差している。
「帰りの切符なら、さっき捨ててしまったわ」
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