哀愁を誘う
ティーカップの縁に、口紅がべとり。
高発色の、ディープなオレンジブラウン。
カップにはまだ、なみなみと紅茶が残されていた。
「……お口に合わなかったかしら」
私がおずおずと尋ねると、彼女は薄く微笑み首を振る。
「お腹がいっぱいなのよ」
そう、と控えめに返事をすれば、またたく間に再び無言の時間が訪れた。
彼女の笑みも、消えた。
今日は旧友である彼女と、我が家でお茶会の約束。
私が結婚してからは、願っても会えなかった。
思い出話に花を咲かせるつもりが、どうしてこんなにも重苦しい再会になってしまったのだろうか。
彼女の到着時間に合わせて焼いたマドレーヌは、お互い手をつけることもなく冷え切っていた。
「……大丈夫よ、貴女を独りにはしないから」
沈黙が破られたことより、彼女の表情が気になった。
学生の頃から気の強い彼女が、私の顔色を窺っている。
静かに促されるように、彼女の視線を辿った。
――べとり。
エプロンに、白地のレースが見えないほどの何か。
鈍くて重苦しい、暗赤色。
――べとり。
酷く散乱している部屋、不自然な果物ナイフ。
至るところに、赤、朱、赫。
日常的な暴力は、こうも人を狂わせるらしい。
夫婦の掛け違えたボタンは、とうに引きちぎられていた。
この何の価値もなかった十年余りで、私に何が残ったのだろう。
怒りすらも取り上げられて、私はどこかを彷徨い続けていた。
そんな私の唯一の道しるべが、何故か目の前にいる。
長年叶わなかったお茶会がようやく開かれたということは、そうかつまり、ついに私は――
「た……すけて……」
殺し損なった。
警察に捕まる前に、「奴」に殺される。
気が付けば、奴に付けられた痣をしきりに擦っていた。
「――ちょっと御手洗、借りるわね」
それだけ言い残して、彼女は部屋を後にした。
あの果物ナイフが、消えていた。
2024/11/04【哀愁を誘う】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます