第4回 「あの夢を見たのは、これで9回目だった。」


『或る老人の場合』




 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 口にするのもおぞましい恐怖の日々が、二年の歳月をもってしても私を苦しめる。


 私にはわかる。わかっている。これは一生私につきまとう闇なのだ。


「それで、なにがあったんです」


 正面の相手が、じれた声をあげる。

 私は指の間から彼を覗いた。

 

 小野寺というこの男は、オカルト系のフリーライターだと名乗った。失踪した弟を探すために「神の木陰」と呼ばれる新興宗教を調査していると。


 だが私は、彼を疑っている。

 名刺も差し出されたのだが、そんなものいくらでも偽装できる。


 数々の経験が、私を疑い深い男に変えていた。

 同時に、この男が現れたせいで、私は再びあれに囚われようとしているのだ。もう乗り越えたはずの、とっくに過去へ置いてきたはずの、闇。


 いいや、先生だって言ってたじゃないか。

 ああいった体験をした人は、もう大丈夫だと思っても、何年も、ときには何十年も、ふとした時に記憶が蘇っては苦しむこともあるのだと。


 だから、『もう大丈夫』は厳禁なのだ。


「……さん? 大丈夫ですか? 休憩しますか?」


 注意力が散漫になり、意識を保てないのも後遺症の一つだ。


 他人の目を恐れわざわざ貸し会議室まで用意してもらったのに、私は入室して挨拶したきり黙りこくっていた。


 小野寺は必死の形相でメモ帳を握りしめている。休憩と口にしつつも、そのつもりはないらしい。


 だが、少なくとも彼は約束を守る男だ。録画や録音を拒んだら、律儀に守ってくれている。


 年のころは三十くらいか。私にも、これくらいの息子がいてもおかしくない。その弟が行方不明なのだ。そこに、どうやら新興宗教が関わっている。


 兄弟。私の息子たち。私の次男。そうであってもおかしくない彼ら。

 ああ、子よ。

 世界は。なぜ……


「もし事実を話すのが苦痛でしたら」小野寺の言葉が私の危うい思考を遮る。「その夢の話を聞かせてもらえるだけでも」


 せっつかれるようにして、私はついに言葉を発した。


「申し訳ないのですが、先日もお話ししたとおり、『神の木陰』という団体は存じ上げません。私が所属……いえ、軟禁されていたのはそんな名前の組織では……」


 私は視線を窓の外へ投げ、遠い昔へ思いを馳せた。熱意と信念に背中を押され、人類のより良い未来を体現するために、みんなで山中の廃村に移り住んだ頃だ。


「最初はただのコミューンだったんです。共同体というか……同じ思いの人々が集まって、小さな村を作っていた。それがいつのまにか、きたる終焉を鳥の神様が救ってくれるとか言う者が現れて──……」

「人をさらっているというのは本当ですか」


 小野寺は食い気味に、身を乗り出した。


 精神科への通院中に声をかけられたのだ。再三取材依頼をされ、根負けした。

 私は彼を信用していない。そうだ、私は、彼を信用していないのだ。彼は連中の一味かもしれない。取材と称して、私を監視しているのだ。


「信者を増やすために、手荒なことをしているんじゃないですか? 弟は、毎日何十件もSNSに書き込むような奴だったんです。ゲームにだって毎日ログインしてたし。だから何も残さないなんて……」

「若者には、元来そういう衝動が備わっているものですよ」

「そういう衝動って? 蒸発することですか?」


 小野寺の顔には不快感が浮かんでいた。


「……後先考えず、行動に移すことができる、若さというエネルギーです」

「あいつはそういう人間じゃないから、だから俺は必死に探してるんです。これを見てください。これが弟の机の上に」


 そう言って彼が差し出したのは葉書だった。白地に、毛筆で大きく「トリの降臨」とだけ書いてある。


 私は、自分の心拍が異様に早くなっていくのを感じた。汗が吹き出し、熱いのに、体の芯は一気に冷えていく。目の前で光がパッシングし、世界がハレーションを起こす。


「違うんだ……そんなつもりじゃ……ただの冗談だったんだ……」

「え?」


 夜の森の中で、白い羽を広げた大きな鳥たちが舞い踊っている。

 踊れ、踊れ。ムクドリのように、一糸乱れず。

 終わりが近い。

 御鳥おとり様を呼ばなくては。

 子よ。世界中の、我が子たちよ。

 母鳥の羽毛に包まれるのだ。私があなたたちを守ろう。この世界の終焉から……


「鴉田さん、いったい何があったんです……。どこに行けば、弟に会えるんです」

「私が始めてしまったんだ……最初は、ただの冗談だったんだ……」



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