第16話 下
「
鍋島家上屋敷。身体を引きずるように戻った彦枝に声が掛かった。
彦枝は肩で息をしながら座り込む。
鬼灯に多少の治療はしてもらってはいたがやはり素人治療。この上屋敷に着くまでに既に傷口が開いていた。
彦枝の様子を見た屋敷の者達が慌てて応援を呼びに行く。
「す、すまぬ。
急ぎで
彦枝の言葉に集まっていた者の一人がすぐに邸内へと走る。その間にも医者を呼びに人が走っていた。
暫くすると数名の足音が近づいてきた。
「彦枝、戻ったか。他の者は?」
「申し訳ございませぬ。私一人が生き恥を晒しました。
相手は槍と二刀、
肩で息をしながら絞り出すような声で得た情報を話す彦枝。
その言葉に集まっていた者達の表情が暗くなる。昨夕この屋敷を出て行った者は国元から送られてきた手練れ十名。その中から帰ってきたのが彦枝唯一人だったのだ。
「・・・・・・そうか、こちらも色々と分かったことがある。まずは傷の手当てをせい。
話はそれからだ・・・・・・」
そう言って勝俊は彦枝に部屋を用意するように腰元へと指示を出す。
「勝俊様、申し訳ございませぬが手当は必要ございません。
御免!」
「ひっっ!」
彦枝に近づいた腰元から小さな悲鳴があがる。素早く視線を向けた鍋島勝俊の視線の先に写ったものは、脇差しを引き抜き、自らの腹に突き刺す寸前の彦枝の姿であった。
腹の中へ喰い込む刀身。彦枝が刀身を真横に走らせる寸前、その手は動きを封じられる。
先程まで立っていた勝俊が彦枝の目の前にいた。
「
失敗したら死ぬ? ふざけるな。
失敗したのならば汚名を注げ。生きて死んだ者達の分、我が家の為に生きて尽くせ。それと死んだ者達の身内に奴らの最後を語ることがお主の役割であろう」
彦枝の刀身を握った手から血が滴り落ち、着物の下から流れ出る血が廊下を赤く染める。
「このまま脇差しは抜くな。
医者はまだか!。
湯とさらし、蒲団をこの場へ持ってこさせよ。
湯は特に多く持て」
昨夜から更に血を失った彦枝は顔色が青白くなっている。仰向けに寝かされた彦枝は腹の傷に大量のさらしを押しつけられていた。
「死ぬのは楽だ。
だがなぁ、楽をさせるほど我が家は
それだけ言うと勝俊は集まった者達に、くれぐれも彦枝から目を離さぬように伝えて屋敷の中へと消えていった。後には慌てて彦枝を寝かせる腰元や見守る同僚、そして涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにした彦枝が残されていた。
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「鬼灯、いるか?」
日が西の方へかなり傾いた頃、骨董屋鬼灯の扉が開く。
相も変わらず鬼灯は小袖を着崩し湯飲みから酒を飲んでいた。
「・・・・・・飲み過ぎじゃろう? 若いもんが酒に溺れるな」
鬼灯が入り口に顔を向けるとそこには笠を被った男が一人立っていた。
「あらぁ、榊原の旦那ぁ。早かったねえ」
徳利を揺らし、鬼灯が手招きをする。
その様子に榊原は大きく溜息をつき扉を閉めて中に入った。
「で、面白い情報は掴めたのかぃ?」
鬼灯の近くに座った榊原に鬼灯はしなだれかかる。その口からは酒臭い吐息が至近距離から吐き出された。思わず顔を顰める榊原。
それでも榊原は情報を伝え始めた。
「ああ、昨夜斬り合いがあったのは知っておるか?
全部で九名が殺されたわ。おかげで一切眠れておらぬ。それと斬られた連中、身許を探らせぬ為かは知らぬが所持品が一切無かったわい。でな、相手は鉤槍を使うようだ。そして二刀流だ。相手はこちらが狙っている奴で間違いは無いだろう。
それとお主と会っている時だと思うが、朱引きの外で三十程斬られた。そっちも下手人は同じだろうな」
榊原の言葉に鬼灯も居住まいを正す。
「そうかい、そうかい。じゃあ三家の追っ手は既に江戸に入ったとみて良いんだねぇ。そしてその朱引きの外で死んでいた奴らはその三家のうちの一つだって事だね。
そして旦那が遭遇した奴らも三家のうちのひとつなんだろうねぇ」
鬼灯は予想以上の情報に榊原を仲間に入れて良かったかなと思い始めていた。しかしすぐに気を引き締める。
自分が半分気を許したと悟られない為だ。
「取り敢えず忙しい。また顔を出す故、すまぬ」
それだけ言うと榊原は立ち上がり出口へと歩き出す。その背に鬼灯から声が掛かった。
「その相手の名は
相当な使い手らしいから気をつけな。
実際あたしも殺りあったから分かるけどかなりのもんだよ。それともう一つ・・・・・・」
鬼灯はそこで一度話を切る。
使い手の名に反応したのか【それと・・・・・・】に反応したのか榊原は外への歩みを止めていた。
「旦那向きの仕事が一軒入っているがどうするね?
十日以内に江戸の中から探し出して始末。江戸の目立つところに野晒しにするのが条件だ」
榊原の身体から喜びの雰囲気が伝わってくる。
「そうか、そうかそうか。分かった。
相手は? 相手の事で分かっていることは何かあるのか?」
榊原の問いに鬼灯はにやりと笑う。
「相手の名は生駒犀角。
鉤槍と二本の大刀を使う奴らしいさねぇ」
榊原の身体は明らかに反応していた。
かたかたと全身を震わせる。
「・・・・・・儂が斬っても良いのか?
儂の本職は放置で良いがな」
鬼灯はその言葉に笑っていた。
「ああ、構わないよ。これは依頼があった仕事だからねぇ。こちらの私怨や面子よりも優先する事項だ。
その代わり、途中で間から割り込みがあるかも知れないから充分に気をつけておきなよ」
榊原は分かったと短く答え、骨董屋鬼灯を後にするのであった。
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「はぁ、結局引き受けさせたのは良いけど大丈夫かねぇ」
鬼灯は空になった湯飲みに徳利から酒を注ぐ。
最後の一滴が湯飲みに落ち、鬼灯は舌打ちをした。
「多分、今朝のお武家も鍋島だろうからねぇ。
教えても良かったけど・・・・・・」
ゆっくりと酒を
鬼灯は酒とつまみが無くなったのを確認すると小銭を掴んで立ち上がった。
(町の中は町方が走り回っているからねぇ。今日も大人しくしておくかな。
ただ、鍋島の探りだけは入れておかないとね。誰に頼もうかなぁ)
鬼灯は小銭を握りしめた手を見つめ、おもむろにからくり箪笥を弄り出す。
そして数枚の小判を取り出した。
(やっぱり少し情報を買った方が良さそうだね)
小判を袖口に仕舞い、小銭を握りしめ、何故か持っていこうと思った短刀を胸元に挟むと、鬼灯は日が落ちた江戸の町へと繰り出すのであった。
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