第28話

「愚かさは、権利」

 僕は確かめるようにその一言を紡ぐ。

「僕はこのままでも良い、ってことですか」

 どうしようもなく愚かで未熟な、このままで。

 僕は縋るように訊いた。

「善いも悪いも。お前がお前のままでいることを誰が咎める。それともなんだ。お前は賢者にでもなるつもりなのか」

 聞き返されて、僕は首を振る。賢者になどなるつもりはないし、なれるとも思わない。

「人は誰しも愚かなものだ」

 新しい煙草に火を点けながら、先生がぽつんといった。

「たとえば私は、二十数年前まで愛国心に満ち溢れた少女だった。世界平和実現のため。自由で平等な世界を建設するため。その障害になると国家が定めた敵を打ち倒すことに何らの疑問も抱かないような、な。だが、そんな理想に燃える私が軍に入ってやったことといえば、魔法を使った近接戦闘術の体系化や、対魔法戦戦術の開発。そして、それらを実際に使って敵を殺すことだけだった。挙句、一念発起して産んでみようと思った子供は授かり損ね、魔力まで失った。どうだ。自分で言っておいてなんだが、こう聞くと実に愚かな女だとは思わんか?」

 誇るでも自嘲するでもなく。淡々と語られた先生の半生と、そこに含まれていた衝撃の事実に僕は驚きを隠せなかった。

「魔力を失っていたんですか」

 尋ねた僕に、先生は何を今さらと呆れた顔を浮かべる。

「死産だったとはいえ、妊娠したんだ。当然だろう」

 先生が苦笑交じりに答える。僕は自分の馬鹿さ加減に腹が立った。思えば、先生が杖を使っている時点で気付くべきだった。煙草に火を点けるためにライターを使っていることに疑問を持つべきだった。そうすれば、すぐに分かったことじゃないか。

 

 魔法使いの女性は妊娠すると魔力を失う。それはこの世界の常識だ。何故、そうなるのかは分かっていない。かつては、新たな生命を生み出すという奇跡にはそれだけの代償が必要なのだという考えが主流だったらしい。けれど、それでは魔力を持たない女性でも子供を産むことができる説明がつかないため、現在では否定されている。以来、代わりとなる考え方が見つからっておらず、中には女性は妊娠すると神秘性を失うからだ、などという馬鹿げた主張をする研究者もいるという。

 真実がどうであれ、一つだけはっきりと分かっていることがある。それは魔法使いの女性から産まれた子供は、必ず魔法の才能を受け継ぐということだ。ただし、女性は一度妊娠してしまえば魔力を失ってしまうため、魔法の素質を受け継ぐことができるのは長子に限られる。反対に、男性が魔法使いで女性がそうではない両親を持つ子供の場合、魔法の素質を持っているかどうかは半々といったところらしい。

 そのため、人類全体における魔法使いの総数が増えることはほとんどない。だからこそ、女性魔法使いはどんな国、どんな地域であれ丁重に扱われる。ひと昔前であれば、先生も軍に入ることなどできなかったはずだ。

 話が逸れたが、どうしてそんな常識を忘れていたのだろうか。いや、恐らくは先生だったからだ。僕の中にある、先生は常に完璧な存在だという思い込みから、そんな当たり前のことも失念していたのだろう。

 

「まあ、若い頃から色々無理も無茶もやったからな。とっくに子供など産める身体では無かったのかもしれん」

「……後悔しているんですか」

 少し寂しそうに呟いた先生に、僕は訊いた。少し残酷な質問だったかもしれない。

 先生ほどの才能があれば、きっとなんにでもなれただろう。誰も思いつかなったような魔法を作り出して、歴史に名を残すような大魔法使いにさえなれたかもしれない。その才能を受け継いだ子供もまた、偉大な人物になりえたかもしれない。

 しかし、軍に入隊したことでその可能性は消えてしまった。後に残ったのは磨き上げた殺人の技術と、積み上げてきた死体の山だけ。そんな人生に後悔しているのか。

 そう尋ねた僕に。

「いいや。まったく」

 先生はあっけらかんと言い切った。その表情や態度には一切の後ろめたさがない。どうしてそこまで堂々と在れるのだろうか。自らの半生を振り返り、自分は愚かだったと断じてなお、どうしてそれを笑い飛ばすことができるのか。

「私は賢者になどなるつもりはなかったからだ」

 答えはシンプルだった。

「それに、今の世界には私らのような愚か者がまだまだ必要なのさ」

 先生がそう付け加える。どういう意味か分からなかったので、そう訊いた。

「いつの日か、戦争はなくなるだろう。この後に及んで、私はまだそう信じている。人類はもう少しだけ賢くなれると」

 数えきれないほどの過ちと、僅かばかりの成功を積み重ね。反省と修正を繰り返していったその先で。この世に数多と累積する諸問題の数々を、争うことなく解決してしまえる。そんな魔法のような方法を、人類は見つけ出すに違いない。

 そうなれば、未来の人々はきっと我々のことを笑うだろう。

 アイツらはなんて馬鹿だったんだと。こんな簡単な問題を解決するために、わざわざ大金をかけて軍事力を整備し、兵士に重い荷物を担がせて何万キロも行軍させ、上空を飛ぶ航空機から飛び降りさせてまで、呪いを撃ち合わせていたなんて、と。

「けれど、その未来でも相変わらず、人々は休日をだらけて過ごすだろう」

 深宇宙の彼方にある星を見つめるような顔で、先生はあるかないかも分からない遥か未来のことを語る。

「本当にそんな未来が来るでしょうか」

 僕はほんの少し不安になって訊いた。

「分からない」

 先生は笑って答えた。

 争いのない平和な世界というのは、きっと誰もが夢見る未来なのだろう。けれど、もしもそんな世界が実現してしまったら。僕はどうなるのだろうか。僕のような者はどうやって生きてゆくのだろうか。

 考えてみれば、世界平和のために戦う、なんてのは酷い矛盾だ。現役の頃、僕らは建前に過ぎなかったとしても世界平和のために戦ってきた。しかし、いざその目的が達成されたとしたら。この世から争いが無くなれば。僕のような者は無用になる。なんて皮肉なのだろう。

「だが、少なくとも今日ではない。そして恐らく明日でもない。少なくとも、私やお前が生きている間にはたどり着けない未来だろうな」

 何故なら、人類は未だ暴力を用いる以上に効果的で効率的な物事の解決法を知らないからだと先生はいった。

「だから、私やお前のような愚か者がまだまだ必要なのさ。今のような状況では特にな。事情も目的もなんとなく察しは付くが、だからといってこんな大それたことをしでかしてしまうような大馬鹿どもの相手には、同じくらいどうしようもない大馬鹿者が必要になるとは思わないか?」

 僕に視線を送りながら、先生がふっと笑う。確かにそうだと思った。そして、その大馬鹿者はここにいる。そのことだけは確信をもって断言できた。

 先生が咥えている煙草から立ち昇る煙を目で追って、僕は空を仰ぐ。いつの間にかすっかり陽が落ちて、夜になっていた。魔力の供給が断たれているせいで街は真っ暗だ。そのせいで、夜空はいつもより暗く、その分、多くの星々が煌めてみえた。

 それはいつか、どこかの異国で見上げた夜空と同じくらい綺麗だった。まさか、アメティカの首都でこんな星空を見る日が来るとは思わなかった。

 酷く心が軽かった。先生の言葉一つひとつが、僕が僕自身にかけていた呪いをまるで魔法のように解いてくれたからだ。


 どこかで呪杖が呪いを吐きだす音が響いた。まだ街で暴れている奴らがいるのか。どこかで戦っている部隊があるのかもしれない。

 そんな風に思いを馳せながら、僕は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。先生の煙草の煙と、未だ空気にこびりつく血の匂い。呪杖から撃ちだされた呪いの弾が大気を焼いた時に生じる独特の臭気。懐かしい、戦場の匂い。僕が僕のままであれる場所。目の前の問題を暴力で解決する術しかもたない、こんな愚かな僕だけど。そんな僕が必要とされる唯一の場所。

 それでも、これまでの僕は戦場に出ることに若干の気後れを感じていた。

 何故なら、僕らが戦う相手には、相手なりの大義名分があることを知っていたからだ。彼らには彼らなりの正義があり、論理があった。いまこの国で暴れまわっている連中にも、それはあるのだろう。

 僕には何もなかった。アダムスたちのように無辜の市民を虐殺したテロリストへ怒りを燃やすわけでもなく。国家への愛国心も、世界平和のためだとかいった信念もなく。借り物の理由を掲げて、命じられるがままに目の前の敵を殺していただけだった。

 彼らの正しさを否定するだけの何かが僕にあるのか。きっとこんな自分は間違っているに違いないと思い続けてきた。だから、本当はこんなことしたくない。だけど仕事だから仕方ないと、取ってつけたような言い訳で自分を誤魔化し続けてきた。憐憫も罪悪感も抱いたことなどないくせに、さも殺してしまったことを嘆き悲しんでいるような演技をしてきた。

 けれど、もうそんなことはしない。しなくていいと知ったから。僕は、僕のままでいて良いと知ったから。

 もしかしたら、違う生き方があったのかもしれない。けれど、今さらもう手遅れだ。それに実は、僕はこの生き方をそう嫌っているわけでもないと気付いた。

 だって楽だ。

 重要なことは誰かが考えてくれる。何をして、何をしないかも誰かが決断してくれる。僕はただそれに従っていればいいのだから。

 たとえこの生き方が大勢の人に否定され、誹られ、咎められ、詰られようとも。僕にはありのままの僕でいる権利がある。愚かであり続ける権利がある。

 そして、今この国で暴れまわっている連中にもその権利はある。彼らにどんな主義主張があるのか。一体全体、どんな大義名分を掲げて人々を虐殺しているのかは知らない。誰かの復讐か。何かの報復か。それとも僕には想像もつかないような、崇高な使命とかいうやつか。

 何にせよ。そのための手段として暴力を用いた以上、僕と彼らの間にどんな違いがあるだろう。ならば。なるほど。こんなことをしでかしてしまうような大馬鹿どもの相手は、この僕がしてやらねばならないのだろう。

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