第26話
警官隊と合流した僕らは、まず負傷者を病院に運び込んだ。それから志願した市民にも手伝ってもらいながら、ひとまずの防衛体制を整える。そこまで済ませたところで、警官隊の交信具を借りて基地へ連絡を入れた。追って指示があるまで待機とのことだったので、チームにそのことを伝え、後のことは警官隊の指揮官に任せて、僕も休息をとることにした。とにかく、落ち着ける場所で少しぼうっとしたいと思った。身体はそれほど疲れているわけでもないが、久しぶりにチームを指揮する、人の命を預かるというのは精神を疲弊させるには十分な重圧だったのだ。
できればコーヒーでも飲みたい。ああ、そうだ。その前にルアハを探そうか。そう思いついた僕はふらりと病院に向かって歩き出す。と、そこで敷地内に停まっている警察車両の近くで煙草を吹かしている先生を見つけた。
「よくやった」
近づくと、唐突に先生からそう褒められた。なんのことだか分からずにいると、先生はそんな僕を見て苦笑するように紫煙を吐き出す。
「あの状況下で、よく冷静さを失わずにチームを指揮したじゃないか。見事なものだった」
「そんな」
違います、と僕は首を振った。
僕は冷静だったわけじゃない。
滅茶苦茶になった街を見ても。無残に殺された人々を目にしても。みんなのように怒るわけでもなければ、悲しむわけでもなく。ただそれら一切を他人事のように眺めていただけだ。
きっと普通なら、アダムスのように怒り狂うのが人間として正しい在り方なのだろう。それが分かっていても、しかし。どれだけ探しても、僕の中には怒りや悲しみもなく。敵を憎いとすら思わなかった。どうしてみんなのようになれないのだろうか。
きっと、僕は人間の出来損ないなのだ。だから、先生に褒めてほしくなどない。
どうにかしてこの気持ちを伝えようとするのだが、上手く言葉にできず。支離滅裂な言葉を口走る僕に、先生は悲しいものを見ているような表情を浮かべた。
「そうなるようにお前を育てたのは私だ。自分を責めるな。私を恨んだっていい」
慰めるような先生の言葉に、そんなことできるわけがないと僕は俯く。泥人形のようだった僕を人間にしてくれたのは先生なのだ。先生は教育という魔法で、人形だった僕を人間にしてくれた。だというのに、僕は未だこんなにも出来損ないのままで。だからこそ情けなかった。
「初めて会った日のことを憶えているか」
先生からそう訊かれて、僕は頷いた。確か、陸軍特殊作戦群の選抜テストの時だった。まさかこんな関係になるとは思わなくて、その時の先生がどうだったかはうろ覚えだが。
「そうか。私はよく覚えているよ」
懐かしむように語る先生の声は優しく、そして少し悲しそうだった。
「初めて見た時のお前は驚くほどに純粋で、だからこそ最高の兵士になり得る素質があると私は思った。そして事実、そうなった。なってしまった、といってもいいが。お前がいま感じているのだろう心と思考の乖離。感情と理性の分断。そして、それに対する反応は人として当然のものだ。安心しろ。お前はまともだ」
違う。違う。そうじゃない。僕がまともかどうかの問題じゃないのだ。いや。僕がまともな人間であるわけがないのだ。先生は何かを勘違いしている。僕は先生が思っているような人間ではないのに。
「それにお前は今日、少なからぬ人々を救った。それは事実だ」
病院に来るまでに助けた市民たちのことを言っているんだろうか。だとすれば、それは結果論だ。僕は別に誰かを救おうと思ったわけじゃない。僕は、僕の中にある唯一の原則に従っただけだ。生き残るため。そのために武器が必要だった。仲間が必要だった。だから、義勇兵の呼びかけに応じた。そして、生き残るために敵を殺した。その結果、たまたま助かる人がいた。それだけだ。
「違う。お前は自分が分かっていない。本当に生き残ることだけが目的だったのならば、何も危険を犯してまで軍の基地にやってくる必要はなかったはずだ。その前は安全な場所にいたのだろう? 生き残りたいだけならば、そこで助けが来るのを待っていればよかった。だが、お前はそうしなかった」
「それは」
「戦わなければ生き残れないわけではない。逃げてもいいし、隠れてもいいのだ。だが、お前はそうしなかった。何故か。お前は、私の教えを忠実に実行したからだ」
確かにその通りかもしれないと言葉に詰まった僕へ、先生は畳みかけるように言った。
「教えただろう。何か問題が起きた時。決して他人事だと思わず、その解決策は自分だ、と言えるのが最高の兵士だと。お前はまさにそれを体現してみせた。私の目に狂いはなかった。胸を張れ。お前は世界最強のアメティカ軍における最高の兵士の一人だ」
それはかつての僕であれば、脳が痺れるような先生からの称賛だった。けれど。
「でも、僕は。もう兵士ではないんです……」
血を吐くように僕は先生に言った。
そうなのだ。僕はもう兵士じゃない。もう二度と兵士にはなれない。もはや殺人は正当化されない。出来損ないの僕ができる唯一のこと。何者かであれる場所にはもう戻れない。だから、先生から褒められれば褒められるほど僕は途方に暮れてしまう。たった一つの長所を生かすことがもうできないというのに、どうして自信が持てるだろう。
「……ルアハを探してきます」
僕はそういって先生から逃げ出した。
ルアハなら分かってくれるはずだ。人殺ししか能のない僕の情けなさが。だらしなさが。愚かしさがどれほどのものなのかを。
ああ、けれど。それを分かってもらって、僕はどうしたいのだろうか。
許されたいのか。叱られたいのか。それとも慰められたいのか。
いや。違う。どれも違う。
僕は裁かれたいのだ。僕は人間の屑だと。僕のような人間は万死に値すると。彼女のような正しい人間に断罪されたいのだ。
先生ですら報いを受けた。ならば、それこそが僕の受けるべき報いではないのだろうか。
ルアハからの断罪を求めて踏み込んだ院内は野戦病院さながらの地獄絵図だった。
ベッドの空きもないのだろう。待合の椅子にまで血塗れの怪我人が寝かされている。それでも人数分にはとても足りず、床に横たわっている人もいた。
まさかアメティカの国内、それも首都の真っただ中でこんな光景を見ることになろうとは。僕は暫し茫然と院内の喧噪ぶりを眺めた。今さらになって、起きたことの重大さを理解したような気がする。
苦痛を訴える声がそこら中から響くエントランスでは、治癒術士たちが忙しなく動き回っている。僕はその中からルアハを見つけようと、エントランスを歩き回った。通路の端で、感情の切れた表情を浮かべて膝を抱え込んで座っている人々。事切れた人の前で泣き崩れている人達を横目に、建物のさらに奥へと進む。そこらじゅうが大騒ぎだった。処置室では高位の治癒術士たちがレーン作業のように運ばれてくる怪我人の治療にあたっている。
やがて、僕は通路の突き当りに蹲っている、見慣れた後ろ姿を見つけた。服装こそ他の職員たちと同じ白衣だが、プラチナブロンドの髪を持つ女性はそうそういるものではない。
「ルアハ」
呼びかけてから、しまったと思った。自分が血塗れだったことに気付いたからだ。僕の血ではない。ここへ来る途中で、物陰から飛び出してきた暴徒と揉み合いになった時、その暴徒の腹をナイフでめった刺しにした時に浴びた返り血だ。言い訳のしようがないほど人殺し直後のこんな姿を見せたら、驚かせてしまうだろうか。心配させてしまうだろうか。それとも、殺人を咎められるだろうか。様々な考えが頭を駆け巡る中、僕はその時を静かに待つ。
けれど、いつまで経ってもその時は来ない。
「……ルアハ?」
反応のない彼女の背中に、僕はもう一度呼びかけた。そこでようやく、僕は彼女の前に誰かが横たわっていることに気付く。壮年といった年頃の男性だ。どうやら死んでいるらしい。
「あの」
「この人とは知り合いだったの」
気まずさに耐えきれずもう一度声をかけると、ようやく彼女が反応を示した。その声は涙で濡れている。僕は少し姿勢を正した。
「この病院の施設保全をしている業者の人で、すれ違えば挨拶をしたり、時間があればちょっとした世間話をする程度の仲だったけれど」
彼女は振り返らずに、遺体の手を握りしめたまま独白するような口ぶりで話だした。
「奥さんからはいっつも安月給だと文句を言われてばかりだとか。二人の息子さんがいることとか。下の子はまだやんちゃ盛りで、手がかかって仕方がないとか。そんなことを、少し困ったような、でも幸せそうな顔で話してた」
そんな彼女の話に僕はどう応じたらいいものか分からず、ただ黙って続きを待つ。
「昨日もそうだった。だっていうのに、突然……」
そこで感極まったようにルアハが言葉を切る。すすり泣く声。深呼吸。
「すぐに、解呪専門の治癒術士の先生に診てもらった。でも、その先生は、もう彼は駄目だって。助けられないって。痛み止めのポーション一つ出してくれなかった。だから、私自分でやろうと思って。でも、駄目だった。どれだけ治癒術をかけても、全然傷が塞がらなくて、どんどん血が溢れて。せめて痛みだけでも取ってあげようと思って……」
そこで再び、ルアハの声は途切れた。
僕はルアハの頭越しに、彼女の前に横たわる男性を覗き込んだ。腹部に一撃。急所だ。治癒術を重ね掛けしても傷が治らなかったということは、継続性の呪いだったのだろう。似たようなのを喰らって苦しむ仲間を何度か見たことがある。専門の術士でも解呪が難しく、ほとんどの場合で助からない。
「この人みたいな目に遭った人が、昨日からたくさん、ここへ来た。きっと、来られなかった人も大勢いる。どうしてこの人は、あの人たちは、死ななければならなかったの」
悲しさと、やりきれない怒りに満ちた彼女の問いかけに僕は答えを返せない。
どこか離れたところで呪杖の発動音が響いた。またぞろ、暴徒たちが暴れ出したようだった。
「ねえ、ウィル。ウィルは、軍隊にいた頃、すごい部隊にいたんだよね? 前に、ご近所さんに聞いたの。オペレーターっていうんでしょ? 軍人の中でも一握りの最精鋭だったって。だから、給付金の額もすごかったんだね」
「……ええと。まあ」
知られていたのか、と。少し気恥ずかしくなりながら、僕は頷いた。けれど、僕の経歴が今の状況となんの関係があるのか分からない。
「ねえ、ウィル」
ルアハが再び僕を呼んだ。そこでようやく。彼女がゆっくりと僕に振り返る。濡れた瞳がまっすぐに、血塗れの僕を捉えた。僕は緊張に身体を強張らせる。彼女はどんな言葉で僕を裁くのだろうか。
けれど。
ルアハは僕を見つめたまま、おもむろに片方の腕を伸ばした。窓の外を指し示す。先ほど、呪杖の発動音が聞こえてきた方向だった。
そして次の瞬間、彼女の口から出たのは。
「アイツらを殺して」
だった。
まるで乞うようなその一言に。
「分かった」
僕は何が分かったのかも分からないまま、頷いた。
回れ右をして、ルアハに背を向けて歩き出す。思考は完全に停止していた。ふらふらとした足取りで負傷者の苦吟の呻きと、それに対応する医療スタッフたちの怒号飛び交うエントランスを抜けて、建物を出た。
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