第24話

 ようやくフォート・カルネアまで辿り着いたのは、空が朝焼けに染まり始めた頃だった。そんな時間だというのに、基地のゲートには元将兵と思われる人々が殺到している。警備の兵たちが警戒する中、僕らは武器の支給を待つ列の最後尾についた。人数が人数なだけあって仕方ないだろうが、列の進みは遅い。誰も彼も殺気立っており、遅々とした対応についてそこかしこで怒号が上がっていた。

 ようやく僕の番が回ってきたのは、並び始めてから二時間ほど経ってからだった。

「身分証、それと軍籍番号を」

 受付の兵に言われて、僕は財布から身分証を取り出す。と、その背後に立っている責任者らしき士官の顔を見て、僕は驚いた。

「ラトレル少尉?」

 それはいつかの新品少尉だった。思わず呼びかけた僕に、彼は怪訝そうに顔を顰める。

「確かに自分はラトレルですが、今は中尉です。失礼ですが、何処かでお会いしたことが?」

「ああ。いや……」

 聞き返されて、僕は返答に詰まった。そういえば、彼はあの後、記憶の封印処置を受けたのだった。

「いや。すまない。以前一度、一方的に見かけたことがあってね。士官学校の首席だと聞いたから。元気そうで何よりだ」

 誤魔化すようにそういった僕に、ラトレルは少しむっとした表情を作った。士官学校の首席なのに、どうしてこんなところで倉庫番なんてしているんだと馬鹿にされたと思ったのかもしれない。

「……ウィリアム・クロード。元魔導軍大尉ですか」

 受付の兵を退かして、水晶板に映し出された僕の経歴へ目を通したラトレルはますます疑うような顔つきになった。

「何故、陸軍の一少尉のことを魔導軍の大尉殿がご存じだったのでしょう」

「魔導軍に移る前は、僕も陸軍だったんだ」

 答えつつ、早いところ話を切り上げないとマズイなと僕は思った。記憶の封印処置というのは酷く不安定で、些細なことをきっかけに封印されていた記憶を思い出してしまうことがままあるのだ。もしもここで彼が先進魔導戦開発グループのことを思いだしてしまったら、ちょっとややこしいことになるかもしれない。そう思って焦っていると。

「おい、いつまでやってんだよ! 後がつかえてんだからさっさとしやがれ!!」

 背後でガラの悪い怒鳴り声が響いた。アダムスだ。それにラトレルは不愉快そうな顔をしたが、アダムスの怒声はそのさらに後ろに並んでいる者たちの総意でもあった。無数の苛立った視線に晒されて、ラトレルは渋々といったように僕への追及を打ち切った。

「支給している杖は全て整備済みですが、使用前に必ず動作確認をしてください。問題があった場合はあちらの整備担当までお願いします」

 説明を受けつつ、僕は受付の兵から杖と戦闘服を受け取った。列を離れる際に、アダムスへ「助かったよ」と視線を送る。すると、「なにやってんだ」とでも言いたげな表情が返ってきた。


 支給されたのはM16自動呪杖と、そのマガジンが三つ。それに多目的杖剣が一本だった。戦闘服は一般的な陸軍の歩兵が着ている万能迷彩柄だ。

 懐かしの軍服に袖を通した僕はアダムスと合流すると、基地のグラウンドへと向かった。装備の支給を受けた者は、そこへ集まるように指示があったからだ。到着した順にチームを編成して、街の各所で孤立している市民の捜索や救出、或いは安全を確保した地域の警備にあたらせているらしい。

 僕らがグラウンドへ入った時には三十名ほどが集まっていた。彼らを見回した僕は、集団から少し離れた場所に立つ一人の女性に目を留めた。鼓動が一つも二つも跳ね上がる。信じられない人物が、そこにいた。

「先生?」

 思わず小走りで近づいた僕が声をかけると、初老の女性が顔をあげる。エメラルドの瞳が僕を捉え、その顔に驚きが浮かんだ。

「ウィリアムか?」

 名を呼ばれて、そうですと頷いた僕に女性が破顔する。

「久しいな。何年ぶりか」

「六、いえ、七年ぶりだと思います」

「ああ。もうそんなになるのか」

 私も年を取るはずだ、と先生が懐かしむように目を細める。僕もきっと、同じような顔をしているのだろう。鮮やかな金髪だった髪には幾つかの白い筋が混じり、肉体は僕の記憶にある頃よりも少し小さくなったように思える。けれど、口元に浮かぶ不敵な微笑みから、豪快な性格は今なお健在のようだ。

「先生もいらしてたんですね」

「ああ。現役を退いて長いとはいえ、元軍人だからな。祖国の一大事を見て見ぬふりはできないさ」

 それは実に、ソニア・ラザフォードらしい発言で。僕は得も言われぬ安心感に包まれた。先生がここにいる。それはつまり、ここへ来たことが間違いでは無かったという証明に他ならないからだ。

「お子さんは元気ですか」

 僕は深く考えもせずにそう訊いた。そして、すぐに後悔した。

「死んだよ」

 先生は酷く寂しそうに、短く言った。

「すみませんでした」

 僕は先生に頭を下げながら、己を呪った。自分の馬鹿さ加減に心底腹が立った。そうした可能性も考えるべきだったのに。

「いや。違うんだ。子供の死は今回の騒動とは関係ないんだ」

 歯を食いしばって謝る僕に先生は気にするなというように手を振った。それから、どこか遠くを見つめるような目つきを浮かべる。

「流産だったんだよ。お前と別れて、軍を辞めてから一年ほど経った頃だったかな。以来、夫とも気まずくてね。ハーブの世話ばかりしていた」

 独白のように呟いて、先生は自嘲するに失笑を零した。

「まあ。散々人を殺しておいて、今さら子供を産みたいなどと高望みした報いかもしれんな」

「そんな」

 確かに、僕がそうであるように先生もまた多くの命を奪ってきた。けれど、僕のように無思慮に他者の命を奪うのとは違う。先生はいつも思慮深かった。どんな任務でも、命じられるがままに従ったりなどはしなかった。その命令が出た背景を探り、司令部の目的を推察し、その必要があると確信した時のみ、実行に移してきたはずだ。そんな先生でも報いを受けるのかと、僕は恐ろしくなった。ならば一体、僕はどんな報いを受けるのだろうか。

「なんて顔をしているんだ」

 どんな顔をしていたのだろうか。僕を見た先生が笑う。言いたいことが山のようにあった。聞きたいことが星のようにあった。けれど、今はただの一言も言葉が出てこない。

「そら。落ち込んでいる暇はないぞ。仕事だ」

 言って、先生が顎をしゃくった。その方向を見ると、ひとりの少佐が歩いてくるところだった。


「義勇兵諸君、集まってくれて感謝する。君たちに行ってもらいたいのは、パラグラヌム記念病院だ」

 義勇兵たちの前に立った少佐はそう切り出した。

「そこは……」

 病院名を耳にした僕は思わず呟きを漏らす。

「どうした?」

 隣にいる先生が、なにかあるのかと訊いてくる。

「ああ、いや。今一緒に住んでいる女性が勤めている病院なんです」

「ほう」

 答えると、先生は意外そうな顔になり、次に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「婚約者か」

「あ、いや。その。彼女とはそういう関係じゃないんですけど」

 アダムスと同じ誤解をしたらしい先生にルアハとの関係を説明しようとするも、少佐から無駄口を叩くなと睨まれてしまった。僕が口を噤むと、少佐は咳払いをしてから説明を続けた。

「現在、パラグラヌム記念病院は暴徒からの断続的な襲撃を受けている。事態発生後、すぐに駆け付けた警官隊が暴徒たちの敷地内への侵入は防いでいるが、既に交戦から六時間以上経過している。警官隊もそろそろ限界が近いだろう」

 そこで、僕らに救援に向かって欲しいという話だった。パラグラヌム記念病院は首都でも特に規模の大きな病院だ。利用者も多く、入院している患者だけで三百人はいる。当然、スタッフの数も多い。そして、そのほとんどが育成の難しい医術士だ。

「つまり、この病院が暴徒の魔の手に落ちれば無辜の市民の命のみならず、これらの優秀な医術の担い手までもが失われることになる。この社会的損失は計り知れない。決して、そのような事態を許すわけにはいかないのだ。諸君らの愛国心と奮闘に期待する」

 少佐はそんな訓示で説明を締めた。ありがちな手法ではあるが、それだけに効果はある。集まった義勇兵たちの表情は、今や兵士のそれに変わっていた。

「急がねばならんな」

 隣にいた先生が僕の背中を励ますように強く叩いた。

「いえ。ですから彼女とは……」

「なお、本チームの指揮はウィリアム・クロード元魔導軍大尉に一任する」

「は?」

 改めて先生にルアハとのことを説明しようとしたところで、思いがけず自分の名を呼ばれて僕は固まってしまった。

 指揮を一任? 言葉の意味は分かるが、理解が追いつかない。茫然としていると、少佐と目が合った。どういう意図があるのかは知らないが、少佐が頷きかけてくる。

「無論、即席チームを指揮することの難しさは承知している。問題もあるだろう。しかし、皆が彼に協力してこの仕事を成し遂げてくれるだろうと私は確信する。以上、質問は?」

 僕は誰よりも早く挙手した。もちろん、疑問をぶつけるためだ。しかし、真っ先に発言したのは僕では無かった。

「失礼ですが、指揮官を彼に決めた理由はなんです?」

 あからさまに不満げな声で質問したのは、ぐんずりとした見た目の中年の男だった。恰幅は良いが、太っているわけではない。はち切れるほどに鍛え上げた筋肉を無理やり服の中に詰め込んでいるのだ。アダムスと同じ武闘派の人種なのだろう。

「自分は海兵隊で十六年間勤務しました。階級も同じ大尉です」

 言いながら、男は反り込みの入ったこめかみに血管を浮き上がらせながら僕を睨みつける。流石は自らを猛犬と呼んではばからない海兵らしい態度だと思った。

 彼の後にも、二人の大尉が名乗りを上げた。一人は陸軍で、もう一人は空軍だったといってみんなから失笑を買っていた。要するに、このチームには僕を含めて四人の元大尉がいるというわけだ。名乗りを上げた全員が、僕に胡散臭そうな目を向けてくる。どこの馬の骨とも知れないヤツに指揮なんて任せられるかと思っているのだろう。

「諸君らの現役時代の経歴については無論、承知している。それを加味した上での決定だ」

 ライバル心を剥き出しにしている大尉たちに、少佐が少し苛ついたように口を開いた。

「詳細は明かせないが、彼は魔導軍の特殊戦術群の実戦部隊で五年勤務し、その内の三年間はチームを率いて任務に従事していた。これだけでは不満かね。ならば、もう一つ付け加えよう。義勇兵という扱いとはいえ、今は現役に復帰したつもりで振舞ってもらいたい。将校であれば、なおさらに」

 突っぱねるように言って、憤然と僕らを見回す。要するに、命令には従えというわけだ。三人の元大尉が不満を飲み下すような低い唸りを漏らした。

元特殊部隊員オペレーターか」

 海兵大尉が値踏みするような目で僕を見る。しばらくして、「まあいいか」と吐き捨てるように呟いた。その意外な素直さに僕はむしろ困ってしまう。

「ちょっと待てよ……ウィリアム・クロード? もしかして、元陸軍特殊作戦グループの?」

 陸軍大尉が何かを思い出したような声を出した。そうだと頷いた僕に、彼は驚きの表情を作る。

「最初の六人の一人か。あの伝説の……」

「いや。伝説ではないけど」

 興奮した口ぶりの彼に、僕はやんわりと訂正を入れる。最初の六人というのは、アメティカ軍の特殊部隊に非術技兵として初めて入隊した六人を指す言葉だ。新たな歴史の始まりだとか何とかいって、軍が大々的に宣伝したせいでいつの間にかそんな大仰な呼ばれ方をされるようになり、伝説だなんだと持て囃されるようになってしまった。確かに僕もその一人ではあるが、僕らは別に何らかの偉業を成し遂げたわけじゃない。以前にもいった通り、僕らは単に欠員を埋めるための数合わせで入隊しただけなのだ。

 それに、本物の伝説ならば僕の横にいる。そう思って戦線に視線を送るも、現代対魔法戦術の礎を築き上げたアメティカ軍特殊部隊の母は我関せずとばかりにそっぽを向いていた。

「ともかく、頼んだぞ。必要なものがあれば、補給係に申し付けてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 話は終わりだとばかりに歩き去ろうとする少佐を僕は必死に呼びとめた。いきなりチームの指揮を執れなんていわれても困ってしまう。僕は特殊作戦、主に少人数での隠密強襲や長距離偵察、暗殺任務の指揮は執ったことがあっても、通常の歩兵部隊を指揮した経験などない。そもそも正規の手順を踏んで任官されたわけでもないのだ。

 何よりも、この場には僕よりもよほど指揮官として優れた人がいるではないか。

「こういう場合は最先任の者が指揮を執るべきではないですか? それなら僕よりも……」

「お前が指揮するんだよ、ウィリアム」

 先生を指揮官に推そうとする僕をしかし、その本人が遮った。

「こんな年寄りをこき使う気かい? 私はずっと前に引退した身なんだぞ。それに、もう昔のようには戦えない」

 そう言われてしまって、僕は途方に暮れて立ち竦んだ。肩にアダムスのごつい手がポンと置かれる。諦めろということだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る