エネルギー保存の法則
柴山 涙
エネルギー保存の法則
目が覚めるとそこは異世界の様だった。
今までに築き上げてきた常識は通じず、人々は皆、世に対する不満などを口にし、その様子はまるで地獄の様でもあった。
まともに食べるものもなく、トイレを済ませても水で流す事が許されず、ただ生きる為だけに広がっている様なこの世界で、何やら私は大きな事故にあってしまった様である。
頭も痛く、記憶も曖昧だ。
気を紛らわせようとテレビをつけてみれば、未来人を自称する男が「人は過去に戻ることができても、過去に干渉することは出来ません。過去に戻るという事は未来に過去を作り出す事で、今、私は逆流する様に過去へと向かっている途中なのかもしれません。あなたにとっての明日が僕にとっての昨日になっているかもしれないし、数十年後、数百年後、僕はまだ今にいるのかもしれない」などと語っている。
やれやれ、いつの時代もオカルトというやつは。と思いながら、今度は窓から外を見渡してみると、人類に対する新たな見解を説き、「人間は何らかの生物によって手を加えられた後天的な生物であり、先人たちにとって我々は突如自我を持った人工知能の様なものなのである!全ての行動は無意識のうちに制御されている!」などと騒ぐもの達がいる。
まったく、思想など思考をやめてしまった者がたどり着く幻想だというのに……
凝り固まった思考というのは再び動き出すことを嫌う。
だからこそ私は考えることをやめずに生きてきたのだ。
たとえ、誰かの手によって答えへと導かれることがあろうとも。
答えといえば、今私は信じたくもない様な現実を突きつけられている。
少子化対策による人類不老不死化計画というおかしな幻想である。
それは人の排泄物がエネルギーを消費した抜け殻であり、特殊な方法で溜め込んでおく事で、様々な用途で消費して大気中に散布されたエネルギーを吸収し、その状態の排泄物を元の身体に摂取させる事で老いや病を元通りに回復し、飢えもそのエネルギーによって凌ぐことができるというものであった。
また、その条件として排泄物は成人してからのものに限定され、エネルギーの吸収には10年程の月日がかかる為、30年分の食料があれば人は永遠に生きていける時代がやってくるという話がこの世界では本気で信じられていたのだ。
そして、さらにその絶望に拍車をかけていたのが、私の現状である。
私は目が覚めてから一度もこの病室から出ていないし、誰も面会には来ていない。
そんな中、微かに聞こえてくる周囲の患者とその見舞いと思われる家族の元気そうな声……
ここは確かに病院なのだ。そしてきっと私には身寄りがない。
だとすると、ここの医者はとてもじゃないが信用にならない。
例の幻想に疑いを持った私に彼は「絶対零度を知っているか?」と問いかけた。
「絶対零度に陥った空間は時間が制止する。それはその空間内の時間の流れ、つまりは原子の動きが停止するからだ。
そして止まった時はやがてまた動き出す。絶対零度に陥っていない周囲の原子が玉突きに固定された原子を刺激するからな。そうすれば自然に温度も上がる。
時間の流れというのはそういう仕組みで成り立っている。
ならば、もし絶対零度の向こう側に行くことができれば……つまり原子を操作し逆流させることができたのなら、人は時間を巻き戻すことができる様になるわけだ。
小説のように過去や未来を推敲することもできる。
そしてその夢はこの道の先にあるのだ!」
などと説教を垂れた。
そのうえ、あのクソッタレは何の変哲もない私のクソに目を輝かせながら、「ほら、みてごらん。この柱、一昨日ここに君が頭をぶつけた時、小さな傷ができていたはずなんだ。それが今は存在しない。これは君が発生させたエネルギーをそこの排泄物が吸収している証拠に他ならない!」とそんなことを語るのである。
仮にも医療に関わる病院の人間が、だ。
それに恐怖を感じずにいられるわけがなかった。
いや、医学というのは元々そういうものなのかもしれない。
正常な身体に起きた異変を出来る限り元に戻そうとする行為。
それは右から力を加えられた粘土に左から力を加えて元の形へと戻すのと同じ様に繊細で手に負えない行為だ。
理論的にはどうなのか知らないが、現実的に不可能である様に思えることを幾度となく繰り返して発展させていく。
その結果、元の形にまでは戻らないがそれに近い状態を維持して少しでも長く健康な命を繋げていく……
その医療によって戻しきれなかった部分が老いという奴なのだろう、身体も細胞も破壊と再生を繰り返して病原菌や物理的な衝撃、重力などの小さな外部からの影響を受け続けているんだ。医療による回復がそれに追いつくはずがない。
テセウスの船じゃないけれどそうやって人は生きながらえているのかもしれないな。
……はぁ。
別に恐怖を紛らわせる為ではないが、病院にいると不意に考えに耽る時間が増える。
曖昧だった記憶も微かにだが蘇ってくる。
小さな頃から夢のない人間だった。
悪目立ちする事なく、苦労から身を避け、ただぼんやりとした幸せを掴むことを目標として、無気力に終わりに向かって進んでいく、そんな人生だった。
二十歳を過ぎ、色々な妄想に浸りながら買った一軒家はまだ多くの部屋に埃が積もっていた。
趣味もなく、大抵の欲求は一人で済ましてしまう為、友達や恋人などとの交流にも積極的になれず、一人暮らしにしては少し高めの食費を除けば稼いだ金は貯まっていく一方だった。
そのうえ、何か生きた功績を残そうと不意にやる気になった拍子に行動へ移してみると、その度にタイミング悪く全ての行動が良くない方向へと転がっていった。
ちょっとした気遣いはいつも迷惑がられた。
金を寄付した団体は行っていた悪行が公となり、その金の使い道は耳を塞ぎたくなる様なものばかりだった。
救おうと手を差し伸べた友人達は助言した通りに動いた結果、全ての行動が悪い方向に転がり責任を追う羽目になってしまったり、相手に理解されなければ問題が解決しない状態で理解を得られず絶望したりして、その後は遺書の中で一方的な感謝を綴って姿を消したり、自暴自棄になって発狂したりと、まぁ散々だ。
それでも、いつかは何かをやり遂げる日が来るだろうと信じて生きてきたが、大きな変化を嫌う自分にとうとうそんな日はやってこなかった。
不意に考える。
もし、人が不老になる未来が本当に来るとしたらどうだろう。
その先に明るい未来はあるのだろうか?
きっと今が選択の時なのだろう。
自分にとって排泄物を摂取しながら生きる未来など屈辱的でとても耐えられない。
そこまでして生きる執着心などないだろうと自分に言い聞かせた。
過去の自分は誰からも認められる様な綺麗な終わり方を求めていたのかもしれない。
今の自分は世の中の大きな変化を言い訳に人生における良い区切り所を見つけたのだと妥協しているだけなのかもしれない。
しかし、何であれ終わりのない旅路というものほど行き先が見えず歩き始める気が起きないものはないのだ。
どうせ退院したところで、外に待つ人もいない……
こうして、孤独のまま一人思考を巡らせた先に綺麗な終わりどころを見つけた私は、静かに重い腰を宙へと浮かせてこの世界から旅立った。
ピーッ!!!ピーッ!!!ピーッ!!!
「先生!息を吹き返しました!実験は成功した様です!!!」
「ふむ、しかしまだ完璧かはわからない。少し様子を見ようじゃないか。
むっ、まだ身体は動かさない方がいい。
あぁ、頭を、これは事故ではあるが柱に傷がついたのは面白い。実験の経過を見るには丁度いいだろう」
何やら周りが騒がしい。
どうやら私は何か事故にあった様である。
いや、しかしどうもこの感覚には覚えがある。
あぁ、そうか……
目が覚めるとそこは異世界だった。
エネルギー保存の法則 柴山 涙 @shshigadelicious
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます