山寺(山形)

 目的地までは、山寺駅から相応の距離を歩く必要があった。雨は次第にひどくなるばかり。六甲おろしにも負けない折り畳み傘は頼もしく、濡れるのは足元だけで済んでいる。それでも指先のみならず腹やひじの裏をも突き刺す寒さは、僕が水面であれば凍り付いていたほどだ。ここに至る直前に寒さを危惧して上着を一枚買い足した。彼がいなければ、さらなる寒さに凍えていたと思うと恐ろしい。

 「山寺」という名前にふさわしく、傾斜がかなり急で、階段も多かった。しとしとと木々の葉に雨水が染み入る音を聞きながら、足を懸命に動かす。閉館間際の時間帯にこの荒天も加わって、人影は少なかった。ちらほらと覗いた人々も、人であったかは怪しい。この世には晴れが望ましい場所と雨が似合う場所とがあって、山寺は後者だった。切り立った崖のような場所にあり、柵もないため落下死がちらついて脳のリソースを食いつぶす。それでも自然に吸い込まれていくような神秘的な景色は、いつの時代にも通じるような汎用性を帯びている。

 岩肌に彫刻が為されている箇所があった。この山肌を支えるがごとく巨石に傷をつけることは、脆弱性に付け入るようでいて恐ろしさがある。ただ一つのかすり傷が致命傷になりうるような安定性に見えるけれど、かの巨石は僕の杞憂も織り交ぜてなお凛としている。ちいぽけな僕は横目に眺めることしかできない。そのような空間に安心を覚えている。

 上り切ったところには前評判通りに寺があった。いくつか社が並んでいて、そのうちの一番近いところに踏み入った。木々を抜け開けたことで、より一寸先の死が明確になる。お参りをして願うのは、この場の無事よりも日々の安寧。雨は幾分かマシになって、傘をさすことをやめた。

 やや時間が遅く、ちょうど閉めようかというところだったが、住職の方の計らいでお参りさせてもらえた。このような場で過ごしているからこそ、心に余裕があるのだろうか。一通り散策を済ませて帰路に就く。垣間見える生活感が愛おしい。

 電車の時間がまだまだ先だったので、近くにある垂水遺跡もはしごする。道中、裂けた蛇の亡骸に出会う。山から滑り落ちてきたところ、車にでも轢かれてしまったのだろう、ただ頭を避けて体が真っ二つに裂けていたので、人為的な匂いもした。太陽光発電のパネルは足が折れて崩れていた。もはや役目は果たせまい。垂水遺跡の入り口は線路をまたぐ必要があり、踏切もなくただ上を歩けるようになっている。命の軽やかさが、随所に匂う。

 また些細な山の中を散策する。雨が再開して、自然の湿度を際立たせた。観光客の団体がいた。あるいは集団神隠し。垂水遺跡には奇妙な穴が開いた岩を背に、小さな鳥居が拵えられている。小学生の自分であれば、家の近くに同じように神秘性を見出して、秘密の祠を成していただろう。土を踏む音が自然への小さな反抗。

 下山後、山寺駅から次の目的地へ向かう。駅の待合室には椅子に座布団が敷かれている。誰かの指定席なのか、誰しも受け入れる用意なのか。命の幾分かをなくしてしまったかのような心地よさと、電気ストーブの香りが鼻にまとう。もう、今日の宿のことを考えている。

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